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飯塚の里

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 奥の細道 · 松尾芭蕉 · 元禄15年(1702年)刊 · 1689年の旅 · 段落 2 · 漢字 309字 · 朗読 0.8分

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 全一巻 「月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人です」 — 芭蕉が四十六歳で江戸を離れ、奥州と北陸を五か月かけて歩いた紀行文。夏草に武士たちの夢を見、岩にしみ入る蝉の声を聞き、一つ屋根の下に眠る遊女を萩と月に見立てる。散文が終わるところごとに俳句が一句置かれる。法顕・玄奘・慧超の求法記と並ぶ、この書斎のもう一つの道である。

1飯塚 — 雨漏りの下で持病まで

五月五日の事なり其夜飯塚にやとる溫泉あれば湯に入て宿をかるに土座に莚を敷てあやしき貧家なり灯もなければゐろりの火かげに寢所をまうけて臥夜に入て雷鳴り雨しきりに降て臥せる上より雨もり蚤蚊にさゝれて眠らず持病さへおこりて消入ばかりになん短夜の空も漸〳〵明れば又旅立ぬ猶夜の名殘こゝろすゝまず馬をかり桑折の驛に出る

五月五日のことです。その夜は飯塚に宿りました。温泉があるので湯に入り、宿を借りましたが、土間に筵を敷いた粗末な貧しい家でした。灯もないので、囲炉裏の火影で寝床をしつらえて横になりました。

夜になると雷が鳴り、雨がひどく降って、寝ている上から雨が漏り、蚤や蚊に刺されて眠れません。持病まで起こって、消え入るばかりでした。短い夜の空がようやく明けると、また旅立ちました。まだ夜の名残があって気が進まないので、馬を借りて桑折の駅に出ました。

夾注 2

さ一本せトアリ

「さ」は異本に「せ」とあります。

一本コノるナシ

異本にはこの「る」がありません。

2道で死ぬならそれが天命

遙なる行末をかゝへてかゝる病ひ覺束なしといへど羇旅邊土の行脚捨身無常の觀念道路に死なん是天命なりと氣力聊とり直し路縱橫にふんで伊達の大木戶を越す鐙摺白石の城を過笠島の郡に入れは藤中將實方のつかはいづくの程ならんと人にとへばこれよりはるか右に見ゆる山ぎはの里をみのは笠島といふ道祖神の社かたみの薄今にありとおしゆ

遥かな行く末を抱えてこのような病とは心もとないけれども、旅の辺土をめぐる行脚は身を捨てて無常を観ずることであり、道で死ぬならそれが天命だと思って、気力を少し取り直し、道を縦横に踏んで伊達の大木戸を越えました。

鐙摺や白石の城を過ぎ、笠島の郡に入ると、「藤中将実方の塚はどのあたりでしょうか」と人に問いました。すると、「ここから遥か右に見える山際の里を、蓑輪・笠島と言います。道祖神の社と、形見の薄が今もあります」と教えてくれます。