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壺の碑

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 奥の細道 · 松尾芭蕉 · 元禄15年(1702年)刊 · 1689年の旅 · 段落 3 · 漢字 301字 · 朗読 0.8分

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 全一巻 「月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人です」 — 芭蕉が四十六歳で江戸を離れ、奥州と北陸を五か月かけて歩いた紀行文。夏草に武士たちの夢を見、岩にしみ入る蝉の声を聞き、一つ屋根の下に眠る遊女を萩と月に見立てる。散文が終わるところごとに俳句が一句置かれる。法顕・玄奘・慧超の求法記と並ぶ、この書斎のもう一つの道である。

1十符の菅

かの畫づに任せてたどり行けばおくの細道の山際にとふの菅あり今も年々十符のすげごもを調へて國守に獻ずといへり 壺碑市川村多賀城

あの絵図に任せてたどって行くと、おくの細道の山際に十符(とふ)の菅があります。今も年々、十符の菅ごもを調えて国守に献上すると言われています。

壺の碑 — 市川村、多賀城。

2壺の石文 — 千年の記念

つぼのいしふみは高六尺餘橫三尺ばかりか苔をうがちて文字幽也四維國界の數里をしるす御城神龜元年按察使鎭守府將軍大野朝臣東人之所里也天平寶字六年參議東海東山節度使同將軍惠美朝臣獦修造而十二月朔日と有り聖武皇帝の御時にあたれり

壺の石文は高さ六尺あまり、横は三尺ほどでしょうか。苔を削り取ると文字がかすかです。四方の国境までの里数を記しています。

「この城は神亀元年、按察使鎮守府将軍大野朝臣東人が置いたものである。天平宝字六年、参議東海・東山節度使、同じく将軍恵美朝臣獦が修造した。十二月一日」とあります。聖武皇帝の御代に当たります。

夾注 3

一本か字ナシ

異本には「か」の字がありません。

一本城ハトアリ

異本には「城ハ」とあります。

一本皇ノ字ナシ

異本には「皇」の字がありません。

3古い跡はおおむね確かでないが

むかしよりよみ置るうた枕多く語りつたふといへども山崩れ川流て道改り石は埋りて土にかくれ木は老て若木にかはれば時うつり代變じて其跡たしかならぬ事のみをこゝに至て疑なき千歲の記念今眼前に古人の心を閱す行脚の一德存命の悅び羇旅の勞れをわすれてなみだもおつるばかり也

昔から詠まれてきた歌枕が多く語り伝えられていますが、山は崩れ、川は流れて道が変わり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に替わるので、時が移り世が変わって、その跡が確かでないことばかりでした。

ところがここに至っては、疑いようのない千年の記念が今目の前にあって、昔の人の心をそのまま見ることができます。行脚の一つの徳、生きていることの喜びで、旅の疲れも忘れて涙まで落ちるほどでした。