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末の松山・塩竈末の松山·鹽竈

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 奥の細道 · 松尾芭蕉 · 元禄15年(1702年)刊 · 1689年の旅 · 段落 4 · 漢字 431字 · 朗読 1.1分

奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 全一巻 「月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人です」 — 芭蕉が四十六歳で江戸を離れ、奥州と北陸を五か月かけて歩いた紀行文。夏草に武士たちの夢を見、岩にしみ入る蝉の声を聞き、一つ屋根の下に眠る遊女を萩と月に見立てる。散文が終わるところごとに俳句が一句置かれる。法顕・玄奘・慧超の求法記と並ぶ、この書斎のもう一つの道である。

1末の松山 — 墓ばかりの丘

それより野田の玉川冲の石をたづぬ末の松山は寺を造てすゑの松山といふあひ〳〵みな墓原にて羽をかはし枝を連るちぎりの末も終はかくのみと悲しさもまさりて鹽がまのうらに入相のかねを聞く

それから野田の玉川、沖の石を訪ねました。末の松山は寺を建てて末松山と言います。松の間はみな墓原で、羽を交わし枝を連ねようという契りの果ても、結局はこれだけなのかと思うと、悲しさもまさりました。塩がまの浦に入ると、入相の鐘が聞こえました。

夾注 2

一本松のあひ〳〵トアリ

異本には「松のあひ〳〵」とあります。

一本かくの如きトアリ

異本には「かくの如き」とあります。

2盲法師の琵琶

五月雨の空聊晴れて夕月夜かすかにまがきが島もほど近し蜑の小舟こぎつれて肴わかつ聲〳〵につなでかなしもとよみけん心もしられていと哀也その夜盲法師の琵巴をならしておく上るりといふ物をかたる平家にもあらず舞にもあらず鄙びたる調子うちあげて枕近うかしましけれど流石に邊土の遺風忘れざるものから殊勝に覺えらる

五月雨の空が少し晴れて、夕月夜がかすかで、まがきが島も近いです。海人の小舟が漕ぎ連れて来て魚を分ける声々に、「つなでかなしも」と詠んだ心も知られて、たいそう哀れでした。

その夜、盲法師が琵琶を鳴らして、おく上るりというものを語りました。平家でもなく、舞でもありません。田舎びた調子を高く張り上げて、枕近くは騒がしかったけれども、やはり辺土の遺風を忘れないものなので、殊勝に思われました。

夾注 2

琶ノ誤也

「琵巴」の「巴」は「琶」の誤りです。

一本かしがましトアリ

異本には「かしがまし」とあります。

3塩釜明神

早朝鹽釜明神に詣づ國守再興せられて宮ばしらふとしく彩椽きらびやかに石の階九仭にかさなり朝日朱の玉垣を輝かすかゝる道のはて塵土の境まで神靈あらたにましますこそ吾國の風俗なれといと貴けれ

早朝、塩釜明神に参詣しました。国守が再興されて、宮柱が太く、彩った椽(たるき)がきらびやかで、石の階段が九仞に重なり、朝日が朱の玉垣を輝かせています。このような道の果て、塵土の境にまで神霊があらたかにいらっしゃることこそ、我が国の風俗だと思われて、たいそう貴いことです。

4宝塔に刻まれた名

神前に寶塔有かねの戶びら面に文治三年和泉三郞寄進と有り五百年來の俤今目のまへにうかびてそゞろに珍しかれは勇義忠孝の士也佳命今にいたりてしたはずといふ事なし誠人能道をつとめ義を守べし名も又是にしたがふといへり

神前に宝塔があります。鉄の扉の表に「文治三年、和泉三郎寄進」とあります。五百年前の面影が今目の前に浮かんで、おのずから珍しく思われました。彼は勇義忠孝の士です。よい名が今に至るまで、慕われないということがありません。まことに人はよく道を勤め、義を守るべきで、名もまたこれに従うと言われています。

夾注 2

一本古き寶燈トアリ

異本には「古き宝燈」とあります。

一本戶びらのトアリ

異本には「戶びらの」とあります。