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羽黒羽黑
奥の細道(奥州へ向かう細道の記) 全一巻 「月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人です」 — 芭蕉が四十六歳で江戸を離れ、奥州と北陸を五か月かけて歩いた紀行文。夏草に武士たちの夢を見、岩にしみ入る蝉の声を聞き、一つ屋根の下に眠る遊女を萩と月に見立てる。散文が終わるところごとに俳句が一句置かれる。法顕・玄奘・慧超の求法記と並ぶ、この書斎のもう一つの道である。
1羽黒山に登る
六月三日羽黑山にのぼる圖司佐吉といふものを尋て別當代會覺阿闍梨に謁す南谷の別院に舍して憐愍の情こまやかにあるじせらる 有難や雪をかほらす南谷 四日本坊に於て俳諧興行
六月三日、羽黒山に登りました。図司左吉という人を訪ねて、別当代の会覚阿闍梨にお目にかかりました。南谷の別院に泊めていただき、憐愍の情こまやかにもてなしてくださいます。
ありがたい / 雪を香らせる南谷
四日、本坊で俳諧を興行しました。
2三山の由来
五日權現に詣當山開闢能除大師のいづれの代の人といふ事をしらず延喜式に羽洲里山の神社とあり書寫黑の字を里山となせるにや羽洲里山を中略して羽黑山といふにや出羽といへるは鳥の毛羽を此國の貢に獻ると風土記に侍るとやらん月山湯殿を合て三山とす當寺武江東叡に屬して天台止觀の月明らかに圓頓融通の法の灯かゝげそひて僧坊棟をならべ修驗行法をはげまし靈山靈地の驗郊人貴ひかつ恐る繁榮長にしてめで度御山といひつべし
五日、権現に参詣しました。この山を開いた能除大師がどの時代の人かは分かりません。『延喜式』に「羽州里山の神社」とあります。書き写すうちに「黒」の字を「里山」としたのでしょうか。「羽州里山」を中略して「羽黒山」と言うのでしょうか。「出羽」と言うのは、鳥の毛羽をこの国の貢物として献じたと『風土記』にあるとかいうことです。
月山・湯殿を合わせて三山としています。この寺は江戸の東叡山に属して、天台止観の月が明らかで、円頓融通の法の灯が掲げ添えられ、僧坊が棟を並べて修験の行法に励んでいます。霊山霊地の効験を、里の人が貴び、また恐れています。繁栄が長く、まことにめでたい御山と言うべきです。
夾注 2
一本はトアリ
異本には「は」とあります。
効ノ誤リナリ
「驗」は「効」の誤りです。