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地形 — 地のかたち地形篇

孫子兵法(兵法の書) 十一家註孫子 · 孫武、注釈者十一人 · 紀元前5世紀(注釈は3〜11世紀) · 段落 24 · 漢字 548字 · 朗読 2.2分

孫子兵法(兵法の書) 巻中 最も古い兵法書。本書は曹操をはじめ十一人が同じ句にそれぞれ注を付けた版本なので、意味の分かれる箇所が原典にそのまま残っている。
編の冒頭の注 4
曹操

欲戰,審地形以立勝也。

戦おうとするならば、地の形をよく見きわめて勝ちを立てるのである。

李筌

軍出之後,必有地形變動。

王晳

地利當周知險、隘、支、挂之形也。

張預

凡軍有所行,先五十里內山川形勢,使軍士伺其伏兵,將乃自行視地之勢,因而圖之,知其險易。故行師越境,審地形而立勝,故次《行軍》。

1六つの地

孫子曰︰地形︰有通者,有挂者,有支者,有隘者,有險者,有遠者。

孫子が言う。

地の形には、通じる地(通)、引っかかる地(挂)、にらみ合う地(支)、狭い地(隘)、険しい地(険)、遠い地(遠)がある。

注 9
梅堯臣

道路交達。

道が互いに行き交って通じている所である。

梅堯臣

網羅之地,往必掛綴。

網のような地であり、行けば必ず引っかかって絡めとられる。

梅堯臣

相持之地。

互いに持ちこたえてにらみ合う地である。

梅堯臣

兩山通谷之間。

二つの山の間を谷が通じている所である。

梅堯臣

山川丘陵也。

山と川と丘である。

曹操

此六者,地之形也。

この六つが地の形である。

梅堯臣

平陸也。

平らな陸地である。

杜佑

此六地之名,教民居之,得便利則勝也。

これが六つの地の名である。民を教えてそこに居らせ、便と利を得れば勝つのである。

張預

地形有此六者之別也。

地の形にはこの六つの違いがある。

2通じる地

我可以往,彼可以來,曰通。

わが方が行くことができ、敵の方も来ることができる所を通という。

注 2
杜佑

謂俱在平陸,往來通利也。

双方が平らな陸地にいて、行き来が通じて便であることをいう。

張預

俱在平陸,往來通達。

双方が平らな陸地にいて、行き来が通じて達するのである。

3通じる地では

通形者,先居高陽,利糧道,以戰則利。

通じる地では、まず高くて日の当たる所に居を定め、糧道を通じやすくしておく。そうして戦えば利がある。

注 9
曹操

寧致人,無致於人。

むしろ敵をこちらに引き寄せよ。敵に引き寄せられてはならない。

李筌

先之以待敵。

先に居を定めて敵を待つのである。

杜牧

通者,四戰之地,須先據高陽之處,勿使敵人先得,而我後至也。利糧道者,每於津阨或敵人要衝,則築壘或作甬道以護之。

通とは四方から戦うことになる地である。必ずまず高くて日の当たる所を占め、敵が先に手に入れてこちらが後から着くようなことがあってはならない。糧道を利するとは、渡し場や狭い隘路、あるいは敵が狙う要所ごとに塁を築き、または甬道(ようどう)を作って道を守ることである。

賈林

通形者,無有崗坂,亦無要害,故兩通往來。處高易於望候,向陽視生、通糧道,便易轉運,於此利於戰也。

通じる地とは、岡や坂もなく、また要害もないため、双方が行き来して通じる所である。高い所にいれば見張りやすく、日に向かえば生きる地を見分けられ、糧道が通じれば運び送るのが楽であるから、こういう所では戦いに利がある。

杜佑

寧致人,無致於人。己先據高地,分爲屯守於歸來之路,無使敵絶己糧道也。

むしろ敵を引き寄せるべきで、敵に引き寄せられてはならない。自分が先に高い地を占め、帰り道に兵を分けて駐屯させて守り、敵がこちらの糧道を断てないようにするのである。

梅堯臣

先據高陽,利糧通阨;敵人來至,我戰則利。

まず高くて日の当たる所を占め、糧道と狭い隘路を通じやすくしておく。敵が来着したとき、こちらが戦えば利がある。

王晳

王晳《註》同曹操。

王晳(おうせき)の註は曹操(そうそう)と同じである。

何氏

何氏同杜佑《註》。

何氏(かし)は杜佑(とゆう)の註と同じである。

張預

先處戰地以待敵,則致人而不致於人。我雖居高面陽,坐以致敵,亦慮敵人不來赴戰,故須使糧餉不絶,然後爲利。

まず戦う地に居を定めて敵を待てば、敵を引き寄せて敵に引き寄せられることがない。こちらが高い所で日に向かって座し、敵を引き寄せるにしても、敵が戦いに出て来ないことも考えておかねばならない。必ず糧食が絶えないようにしてのちに、はじめて利となる。

4引っかかる地

可以往,難以返,曰挂。

行くことはできるが帰るのが難しい所を挂という。

注 1
杜佑

掛者,牽掛也。

挂とは、引かれて絡めとられることである。

5引っかかる地では

挂形者,敵無備,出而勝之;敵若有備,出而不勝,難以返,不利。

引っかかる地では、敵に備えがなければ出て行って勝つ。敵に備えがあれば、出て行っても勝てず、帰るのも難しいので利がない。

注 6
李筌

往不宜返曰挂。

行けば帰るに適さないのを挂という。

杜牧

挂者,險阻之地,與敵共有,犬牙相錯,動有挂礙也。往攻敵,敵若無備,攻之必勝,則雖與險阻相錯,敵人已敗,不得復邀我歸路矣;若往攻敵人,敵人有備,不能勝之,則爲敵人守險阻,邀我歸路,難以返也。

挂とは、険しく阻まれた地を敵と共に持ち、犬の歯のように互いに入り組んでいて、動けば引っかかる所があることである。行って敵を攻めるとき、敵に備えがなければ攻めて必ず勝つ。険しく阻まれた地が互いに入り組んでいても、敵はすでに敗れているので、もはやこちらの帰り道を遮ることはできない。しかし行って敵を攻めるとき、敵に備えがあって勝てなければ、敵が険阻を守ってこちらの帰り道を遮るので、帰るのが難しい。

陳皥

不得已陷在此,則須爲持久之計,掠取敵人之糧,以伺利便而擊之。

やむをえずこの地に陥ったならば、必ず長く持ちこたえる計を立て、敵の糧食を奪い取りながら、好都合な機をうかがって攻めるべきである。

杜佑

敵無備,出攻之勝,可也;有備,不得勝之,則難還返也。

敵に備えがなければ、出て攻めて勝つのがよい。備えがあれば勝てないので、帰るのが難しい。

梅堯臣

出其不意,往則獲利;若其有備,往必受制。

敵の不意に出れば、行って利を得る。もし敵に備えがあれば、行けば必ず抑えられる。

張預

察知敵情,果爲無備,一舉而勝之,則可矣;若其有備,出而弗克,欲戰則不可留,欲歸則不得返,非所利也。

敵の実情を察して知り、果たして備えがないならば、一挙に勝つのがよい。しかし備えがあって、出て行っても勝てなければ、戦おうとしても留まることができず、帰ろうとしても帰れないので、利のあるところではない。

6にらみ合う地

我出而不利,彼出而不利,曰支。

わが方が出ても利がなく、敵の方が出ても利がない所を支という。

注 2
杜佑

支,久也,俱不便久相持也。

支とは久しいということであり、双方とも長く互いに持ちこたえ合うのに便ならぬということである。

張預

各守險固,以相支持。

それぞれ険しく固い所を守って、互いに持ちこたえ合うのである。

7にらみ合う地では

支形者,敵雖利我,我無出也;引而去之,令敵半出而擊之,利。

にらみ合う地では、敵がこちらに利を見せても出て行かない。兵を引いて去るように見せかけ、敵が半ばまで出て来たところで撃つのが利である。

注 8
李筌

支者,兩俱不利,如挂之形,故各分其勢。

支とは双方ともに利がなく、挂の地の形と同じであるから、それぞれがその勢を分けるのである。

杜牧

支者,我與敵人各守高險,對壘而軍,中有平地,狹而且長,出軍則不能成陳,遇敵則自下禦上,彼我之勢俱不利便。如此,則堂堂引去,伏卒待之。敵若躡我,候其半出,發兵擊之,則利;若敵人先去以誘我,我不可出也。

支とは、こちらと敵がそれぞれ高く険しい所を守り、塁を向かい合わせて陣を構えているが、その中間に狭くて長い平地があり、兵を出せば陣を組むことができず、敵に遭えば下から上を防がねばならないので、あちらもこちらも勢が共に利あらず便ならぬ地である。こういうときは、堂々と兵を引いて去りながら、伏兵を置いて待つ。敵がこちらを追って来たなら、その半ばが出たところをうかがって兵を発して撃てば利がある。もし敵が先に去ってこちらを誘うのであれば、こちらは出てはならない。

陳皥

此說理繁而語倒。但彼此出軍,地形不便,敵若設利誘我而去,我慎勿追之。我若引去,敵止則已;若來襲我,候其半出,則急擊之。

この説は理が煩雑で、言葉の順が逆である。ただ、あちらもこちらも兵を出すのに地の形が便ならぬのであるから、敵が利を装ってこちらを誘いながら去るならば、こちらは慎んで追ってはならない。こちらが兵を引いて去るとき、敵が止まればそれまでであるが、来てこちらを襲うなら、その半ばが出たところで急ぎ撃つべきである。

賈林

支者,隔險隘,可以相要截,足得相支持,故不利先出也。

支とは、険しく狭い所に隔てられて互いに要所を断ち切ることができ、互いに持ちこたえ合えるだけの地であるから、先に出るのは利がないのである。

杜佑

利,利我也。佯背我去,我無出逐;待其引而擊之,可敗也。

利とは、こちらを利に誘うことである。偽ってこちらに背を向けて去るならば、こちらは出て追ってはならない。敵が兵を引くときを待って撃てば、破ることができる。

梅堯臣

各居所險,先出必敗。利而誘我,我不可愛,僞去引敵,半出而擊。

それぞれ険しい所に居を定めているのだから、先に出れば必ず敗れる。利でこちらを誘っても、こちらはそれを欲してはならない。偽って去って敵を引き出し、半ばが出たところで撃つ。

王晳

敵不肯至,則設奇伏而退,且詭之,令必出。

敵が来ようとしないなら、奇兵と伏兵を置いて退き、さらに敵を偽って必ず出て来させる。

張預

利我,謂佯背我去也,不可出攻。我捨險,則反爲所乘,當自引去。敵若來追,伺其半出,行列未定,銳卒攻之,必獲利焉。李靖《兵法》曰︰「彼此不利之地,引而佯去,待其半出而邀擊之。」

こちらを利に誘うとは、偽ってこちらに背を向けて去ることをいうのであり、出て攻めてはならない。こちらが険しい所を捨てれば、かえって敵に乗ぜられるので、自ら兵を引いて去るべきである。敵が追って来たなら、その半ばが出て隊列がまだ定まらぬときをうかがい、鋭い兵で撃てば、必ず利を得る。李靖(りせい)の『兵法』に「あちらもこちらも利のない地では、兵を引いて偽り去り、その半ばが出るのを待って遮り撃つ」とある。

8狭い地では

隘形者,我先居之,必盈之以待敵;若敵先居之,盈而勿從,不盈而從之。

狭い地では、こちらが先に居を定めたなら、必ずそこを満たして敵を待つ。敵が先に居を定めたなら、満たされていれば追って入らず、満たされていなければ追って入る。

注 10
杜佑

盈,滿也。以兵陳滿隘形,欲使敵不得進退也。

盈とは満たすことである。兵の陣で狭い地を満たし、敵が進むことも退くこともできないようにしようとするのである。

曹操

隘形者,兩山間通谷也,敵勢不得撓我也。我先居之,必前齊隘口,陳而守之,以出奇也;敵若先居此地,齊口陳,勿從也。卽半隘陳者從之,而與敵共此利也。

狭い地とは二つの山の間を通る谷であり、敵の勢がこちらを揺るがすことのできない所である。こちらが先に居を定めたなら、必ず前の狭い口を一様にふさいで陣を構えて守り、そこから奇襲を出す。敵が先にこの地を占め、口を一様にふさいで陣を構えているなら、追って入ってはならない。半ばだけふさいで陣を構えているなら、追って入り、その利を敵と分け合う。

李筌

盈,平也。敵先守隘,我去之。趙不守井陘之口,韓信下之;陳豨不守漳水,高祖下之是也。

盈とは平らにすることである。敵が先に狭い地を守っているなら、こちらは去る。趙(ちょう)が井陘(せいけい)の口を守らなかったので韓信(かんしん)が下り、陳豨(ちんき)が漳水(しょうすい)を守らなかったので高祖(こうそ)が下ったのが、それである。

杜牧

盈者,滿也。言遇兩山之間,中有通谷,則須當山口爲營,與兩山口齊,如水之在器而盈滿也。

盈とは満たすことである。二つの山の間に通じる谷のある所に遭えば、必ず山の口を押さえて営とし、両方の山の口と並ぶようにして、水が器に入って満ちあふれるようにせねばならないという意味である。

杜佑

謂齊口,亦滿也。如水之滿器,與口齊也。若我居之,平易險阻皆制在我,然後出奇以制敵。若敵人據隘之半,不知齊口滿盈之道,我則入隘以從之;蓋敵亦在隘,我亦在隘,俱得地形,勝敗在我,不在地形也。夫齊口盈滿之術,非惟隘形獨解有口,譬如平坡迥澤,車馬不通,舟楫不勝,中有一逕,亦須據其路口,使敵不得進也。諸可知矣。

口と並ぶというのも、また満たすということである。水が器に満ちて口と並ぶのと同じである。こちらがその地に居を定めれば、平らで易しい所も険しく阻まれた所もすべてこちらに抑えられるので、そのうえで奇兵を出して敵を抑える。敵が狭い地の半ばだけを占め、口と並べて満たす法を知らなければ、こちらは狭い地に入ってこれに従う。敵も狭い地にあり、こちらも狭い地にあって、双方ともに地の形を得たのであるから、勝ち負けはこちらにあって地の形にあるのではない。そもそも口と並べて満たす法は、狭い地にだけ口があるというのではない。たとえば平らな坂や遠くまで広がる沢のように、車も馬も通れず舟でも渡れないのに、その中に一筋の道がある所でも、必ずその道の口を占めて敵が進めないようにせねばならない。ほかもみなこれによって知ることができる。

陳皥

隘口,言陳是也,言營非也。

狭い地の口は、陣について言うのが正しく、営について言うのは正しくない。

賈林

從,逐也。盈,實也。敵若實而滿之,則不可逐討;若虛而無備,則入而討之。

従とは追うことであり、盈とは満ちていることである。敵が実で満ちているなら追って討つことはできず、虚で備えがないなら入って討つ。

梅堯臣

梅堯臣同杜牧《註》。

梅堯臣(ばいぎょうしん)は杜牧(とぼく)の註と同じである。

王晳

王晳同曹操《註》。

王晳(おうせき)は曹操(そうそう)の註と同じである。

張預

左右高山,中有平谷,我先至之,必齊滿山口以爲陳,使敵不得進也。我可以出奇兵,彼不能以撓我。敵若先居此地,盈塞隘口而陳者,不可從也。若雖守隘口,俱不齊滿者,入而從之,與敵共此險阻之利。吳起曰︰「無當天竈。天竈者,大谷之口。」言不可迎隘口而居之也。

左右に高い山があり、その中に平らな谷のある所へこちらが先に至ったなら、必ず山の口を並べて満たし陣として、敵が進めないようにする。こちらは奇兵を出すことができ、敵はこちらを揺るがすことができない。敵が先にこの地に居を定め、狭い口を満たしふさいで陣を構えているなら、追って入ってはならない。狭い口を守ってはいても、みな並べて満たしきれていないなら、入ってこれに従い、敵とともにこの険阻の地の利を分け合う。呉起(ごき)が「天の竈に当たるな。天の竈とは大きな谷の口である」と言ったのは、狭い口に向き合って居を定めてはならないという意味である。

9険しい地では

險形者,我先居之,必居高陽以待敵;若敵先居之,引而去之,勿從也。

険しい地では、こちらが先に居を定めたなら、必ず高くて日の当たる所に居を定めて敵を待つ。敵が先に居を定めたなら、兵を引いて去り、追って入ってはならない。

注 8
杜佑

居高陽之地以待敵人;敵人從其下陰而來,擊之則勝。

高くて日の当たる地に居を定めて敵を待つ。敵がその下の日陰から上って来たなら、撃てば勝つ。

曹操

地形險隘,尤不可致於人。

地の形が険しく狭いときは、なおさら敵に引き寄せられてはならない。

李筌

若險阻之地,不可後於人。

険しく阻まれた地であれば、人より後れてはならない。

杜牧

險者,山峻谷深,非人力所能作爲,必居高陽以待敵。若敵人先據之,必不可以爭,則當引去。陽者,南面之地,恐敵人持久,我居陰而生疾也。今若於崤澠遇敵,則先據北山,此乃是面陰而背陽也。高、陽二者,止可捨陽而就高,不可捨高而就陽。孫子乃統而言之也。

険しい地とは山が高く谷が深く、人の力で作り出せるものではないから、必ず高くて日の当たる所に居を定めて敵を待つ。敵が先に占めているなら争ってはならず、兵を引いて去るべきである。日の当たる所とは南に面した地である。敵と長く対することになれば、こちらが日陰にいて病を生じるのを恐れるからである。いま崤山(こうざん)と澠池(べんち)の間で敵に遭うなら、まず北の山を占めるであろう。これは日陰に面して日向を背にすることである。高い所と日の当たる所の二つのうちでは、日向を捨てて高い所を取ることはできても、高い所を捨てて日向を取ることはできない。孫子はこれを一つにまとめて言ったのである。

杜佑

地險先據,則不致於人也。

地の険しい所を先に占めれば、敵に引き寄せられることがない。

梅堯臣

先得險固,居高就陽,待敵則強;敵苟先之,就戰則殆,引去勿疑。

険しく固い所を先に得て、高い所に居を定め日向に就いて敵を待てば強い。敵が先に占めているのに出て戦えば危ういので、兵を引いて去るのをためらってはならない。

王晳

此亦爭地,若唐太宗先據武牢以待竇建德是也。

これもまた争う地である。唐の太宗(たいそう)が武牢(ぶろう)を先に占めて竇建徳(とうけんとく)を待ったのが、それである。

張預

平陸之地,尚宜先據,況險阨之所,豈可以致於人?故先處高陽,以佚待勞,則勝矣。若敵已據此地,宜速引退,不可與戰。裴行儉討突厥,嘗際晚下營,壍壘方周,忽令移就崇岡。將士不悅,以謂不可勞衆。行儉不從,速令徙之。是夜風雨暴至,前設營所,水深丈餘,將吏驚服。以此觀之,居高陽不惟戰便,亦無水澇之患也。

平らな陸地でさえ先に占めるのが当然であるのに、まして険しく狭い所をどうして敵に譲れようか。だから高くて日の当たる所に先に居を定め、安らかさで労れを待てば勝つ。敵がすでにその地を占めているなら、速やかに引き退くべきで、戦ってはならない。裴行倹(はいこうけん)が突厥(とっけつ)を討ったとき、日暮れに営を構え、壕と塁をちょうど囲い終えたところで、急に高い岡へ移れと命じた。将も兵も喜ばず、衆を労れさせることはできないと言ったが、行倹は聞かず、急いで移らせた。その夜、風雨が激しく襲い、先に営を構えた所は水が一丈あまりの深さになったので、将も吏も驚いて服した。これで見れば、高くて日の当たる所に居を定めるのは、戦いに便であるばかりでなく、水に浸かる憂いもないのである。

10遠い地では

遠形者,勢均,難以挑戰,戰而不利。

遠い地では、勢が互いに等しければ戦いを挑むのが難しく、戦っても利がない。

注 9
曹操

挑戰者,延敵也。

戦いを挑むとは、敵を引き出すことである。

李筌

力敵而挑,則利未可知也。

力が互角なのに挑めば、利があるかどうかは分からない。

杜牧

譬如我與敵壘相去三十里,若我來就敵壘,而延敵欲戰者,是我困敵銳,故戰者不利;若敵來就我壘,延我欲戰者,是我佚敵勞,敵亦不利,故言勢均。然則如何?曰︰欲必戰者,則移相近也。

たとえばこちらと敵の塁が三十里離れているとして、こちらが敵の塁へ進んで敵を引き出して戦おうとすれば、こちらは疲れ敵は鋭いので、戦っても利がない。敵がこちらの塁へ来てこちらを引き出して戦おうとすれば、こちらは安らかで敵は労れているので、敵もまた利がない。だから勢が等しいと言ったのである。それならどうするのか。必ず戦おうとするなら、互いに近いところへ移るのである。

陳皥

夫與敵營壘相遠,兵力又均,難以挑戰,戰則不利。故下文云「勢均,以一擊十,曰走」是也。夫挑戰,先須料我兵衆強弱,可以加敵則爲之;不然,則不可輕進,自取敗也。

敵の営塁と互いに遠く、兵の力もまた等しければ、戦いを挑むのが難しく、戦えば利がない。だから後の文に「勢が等しいのに一で十を撃つのを走という」とあるのが、これである。そもそも戦いを挑もうとするなら、まずこちらの兵の多少と強弱を見積もり、敵を抑えられるならそうし、そうでなければ軽々しく進んで自ら敗れを招いてはならない。

孟氏

兵勢旣均,我遠入挑,則不利也。

兵の勢がすでに等しいのに、こちらが遠く入り込んで挑めば、利がない。

杜佑

挑,迎敵也。遠形,去國遠也。地勢均等,無獨便利,先挑之戰,不利也。

挑とは敵を迎えて戦いを挑むことである。遠い地とは国から遠く離れた所である。地の勢が等しく、ひとりだけ便や利があるということがないので、先に戦いを挑めば利がない。

梅堯臣

勢旣均一,挑戰則勞,致敵則佚。

勢がすでに等しいのだから、戦いを挑めば労れ、敵を引き寄せれば安らかである。

王晳

以遠致我,勞也。

遠い道でこちらを引き出すのだから、労れるのである。

張預

營壘相遠,勢力又均,止可坐以致敵,不宜挑人而求戰也。

営塁が互いに遠く、勢力もまた等しければ、ただ座して敵を引き寄せるべきで、人に戦いを挑んで争いを求めるのは当然ではない。

11将の至って重い任

凡此六者,地之道也,將之至任,不可不察也。

およそこの六つが地の道である。将の至って重い任であるから、察しないわけにはいかない。

注 4
李筌

此地形之勢也,將不知者以敗。

これが地の形の勢であり、将が知らなければ敗れる。

賈林

天生地形,可以目察。

天が生んだ地の形は、目で察することができる。

梅堯臣

夫地形者,助兵立勝之本,豈得不度也?

そもそも地の形とは、兵を助け勝ちを立てる本であるから、どうして測らずにいられようか。

張預

六地之形,將不可不知。

六つの地の形は、将が知らずにいてはならない。

12六つの敗れ方

故兵有走者,有弛者,有陷者,有崩者,有亂者,有北者。凡此六者,非天之災,將之過也。

だから兵には、逃げ走るもの(走)、緩むもの(弛)、落ち込むもの(陥)、崩れるもの(崩)、乱れるもの(乱)、敗れるもの(北)がある。およそこの六つは天の災いではなく、将の過ちである。

注 2
賈林

走、弛、陷、崩、亂、北,皆敗壞大小變易之名也。

走・弛・陥・崩・乱・北は、みな崩れ壊れるさまの大小を言い分けた名である。

張預

凡此六敗,咎在人事。

およそこの六つの敗れは、咎が人の事にある。

13六つが生じるわけ

夫勢均,以一擊十,曰走;卒強吏弱,曰弛;吏強卒弱,曰陷;大吏怒而不服,遇敵懟而自戰,將不知其能,曰崩;將弱不嚴,教道不明,吏卒無常,陳兵縱橫,曰亂;將不能料敵,以少合衆,以弱擊強,兵無選鋒,曰北。

そもそも勢が等しいのに一で十を撃つのを走という。兵卒が強くて吏(り)が弱いのを弛という。吏が強くて兵卒が弱いのを陥という。大吏(たいり)が怒って服さず、敵に遭えば恨みから勝手に戦い、将がその能力を知らないのを崩という。将が弱くて厳しくなく、教えの道が明らかでなく、吏も兵卒も定まりがなく、陣の構えが縦横に乱れているのを乱という。将が敵を見積もることができず、少数で多数に合わせ、弱いもので強いものを撃ち、兵に先鋒の精鋭がないのを北という。

注 44
曹操

不料力。

力を見積もらなかったのである。

李筌

不量力也。若得形便之地,用奇伏之計,則可矣。

力を量らなかったのである。地の形が便な所を得て、奇と伏の計を用いるなら、できるであろう。

杜牧

夫以一擊十之道,先須敵人與我將之智謀、兵之勇怯、天時地利、飢飽勞佚十倍相懸,然後可以奮一擊十;若勢均力敵,不能自料以我之一擊敵之十,則須奔走,不能返舍復爲駐止矣。

そもそも一で十を撃つ道は、まず敵とこちらの将の智謀、兵の勇と怯、天の時と地の利、飢えと飽き、労れと安らかさが十倍も隔たっていなければならず、そのうえではじめて一を奮って十を撃つことができる。勢が等しく力が互角なのに、自ら見積もることなくこちらの一で敵の十を撃てば、走り逃げるほかなく、陣に戻って再び留まることもできない。

梅堯臣

勢雖均而兵甚寡,以寡擊衆,必走之道也。

勢は等しくても兵がきわめて少なく、少数で多数を撃てば、必ず走り逃げる道である。

王晳

不待鬬而走也。

闘いを待つこともできずに走り逃げるのである。

張預

勢均,謂將之智勇、兵之利鈍一切相敵也。夫體敵勢等,自不可輕戰;況奮寡以擊衆,能無走乎?

勢が等しいとは、将の智と勇、兵の鋭さと鈍さがすべて互角だということである。そもそも体も勢も等しければ、もとより軽々しく戦うことはできない。まして少数を奮って多数を撃てば、走り逃げずにいられようか。

曹操

吏不能統,故弛壞。

吏が統率できないので、緩み壊れるのである。

杜牧

言卒伍豪強,將帥懦弱,不能驅率,故弛坼壞散也。國家長慶初,命田布帥魏以伐王延湊。布長在魏,魏人輕易之,數萬人皆乘驢行營,布不能禁。居數月,欲合戰,兵士潰散,布自剄身死。

兵卒が荒く強く、将帥が弱々しければ、駆り率いることができないので、緩み裂け壊れ散るという意味である。わが国の長慶(ちょうけい)の初め、田布(でんぷ)に魏(ぎ)の軍を率いて王延湊(おうえんそう)を討たせた。布は魏で育ったので、魏の人は彼を侮り、数万人がみな驢馬に乗って営を移しても、布は止めることができなかった。数か月を経て戦おうとしたが、兵士は潰え散り、布は自ら首を刺して死んだ。

賈林

令之不從,威之不服,見敵則亂,不壞何爲?

命じても従わず、威で抑えても服さず、敵を見れば乱れるのだから、壊れずにどうしようというのか。

梅堯臣

吏無統率者,則軍政弛壞。

吏が統率しなければ、軍の政が緩み壊れる。

王晳

王晳同曹操《註》。

王晳(おうせき)は曹操(そうそう)の註と同じである。

何氏

言卒伍豪強,將帥懦弱,不能驅領,故弛坼壞散也。

兵卒が荒く強く、将帥が弱々しければ、駆り領することができないので、緩み裂け壊れ散るという意味である。

張預

士卒豪悍,將吏懦弱,不能統轄約束,故軍政弛壞也。吳楚相攻,吳公子光曰︰「楚軍多寵,政令不一;帥賤而不能整,無大威命,楚可敗。」果大敗楚師也。

士卒が荒く強いのに将や吏が弱々しければ、統べ束ねることができないので、軍の政が緩み壊れるのである。呉(ご)と楚(そ)が互いに攻めたとき、呉の公子光(こう)が言った。「楚の軍には君の寵愛を受けた者が多く、政と令が一つでない。帥が賤しくて整えることができず、大きな威も命もないから、楚は敗ることができる。」果たして楚の軍を大いに敗った。

曹操

吏強欲進,卒弱輒陷,敗也。

吏は強くて進もうとするのに、兵卒が弱くてたちまち落ち込む。敗れである。

李筌

陷,敗也。卒弱不一,則難以爲戰,是以強陷也。

陥とは敗れることである。兵卒が弱く一つにならなければ戦いにくいので、強い者まで落ち込むのである。

杜牧

言欲爲攻取,士卒怯弱,不量其力,強進之,則陷没於死地也。

攻め取ろうとするのに、士卒が怯え弱いのをその力を量らず無理に進ませれば、死地に落ち込んで埋もれるという意味である。

陳皥

夫人皆有血氣,誰無鬬敵之心?若將乏刑德,士乏訓練,則人皆懦怯,不可用也。

人はみな血と気があるのだから、誰に敵と闘う心がないであろうか。もし将に刑と徳が欠け、士に訓練が欠けていれば、人はみな弱々しく怯えて、用いることができない。

賈林

士卒皆羸,鼓之不進;吏強獨戰,徒陷其身也。

士卒がみな痩せ弱って、鼓を打っても進まないのに、吏だけが強くて独りで戦えば、ただ自分の身を落ち込ませるだけである。

梅堯臣

吏雖強進,不能激之以勇,故陷於死。

吏が強く進んでも、兵卒を勇で奮い立たせることができないので、死に落ち込む。

王晳

爲下所陷。

下の者のために落ち込むのである。

張預

將吏剛勇欲戰,而士卒素乏訓練,不能齊勇同奮,苟用之,必陷於亡敗。

将や吏は剛く勇ましく戦おうとするが、士卒がもとより訓練に欠け、そろって勇み共に奮うことができないのに、あえて用いれば、必ず亡び敗れるところに落ち込む。

曹操

大吏,小將也。大將怒之,心不壓服,忿而赴敵,不量輕重,則必崩壞。

大吏とは小さな将である。大将がこれを怒らせ、心から抑えつけられて服することがなく、憤って敵に駆け向かい、軽重を量らないので、必ず崩れ壊れる。

李筌

將爲敵所怒,不料強弱,驅士卒如命者,必崩壞。

将が敵に怒らされ、強弱を量らず、兵卒を命を捨てさせるように駆り立てれば、必ず崩れ壊れる。

杜牧

春秋時,楚子伐鄭,晉師救之。伍參言於楚子曰︰「晉之從政者新,未能行令;其佐先縠剛愎不仁,未肯用命;其三帥者,專行不獲,聽而無上,衆無適從。此行也,晉師必敗。」晉魏錡求公族未得而怒,欲敗晉師。請致師,不許;請使,許之,遂往請戰而還。趙旃求卿未得,請挑戰,不許;召盟,許之。與魏錡皆命而往。郤克曰︰「二憾往矣,弗備必敗。」隨會曰︰「若二子怒楚,楚人乘我,喪師無日矣,不如備之。」先縠曰︰「不可。」隨會使鞏朔、韓穿師七覆於敖前,故上軍不敗,而中軍、下軍果敗。七覆,七處伏兵也。敖,山名也。

春秋のとき、楚の君が鄭(てい)を攻めると、晋(しん)の軍がこれを救った。伍参(ごしん)が楚の君に言った。「晋の政を執る者は新しく就いたばかりで、まだ令を行うことができません。その補佐の先縠(せんこく)は剛情で頑なで仁がなく、命に従おうとしません。その三人の帥は勝手に振る舞っても意を得られず、上の言葉を聴くところもないので、衆は従うべきところがありません。この度は、晋の軍は必ず敗れるでしょう。」晋の魏錡(ぎき)は公族の位を求めて得られず、怒って晋の軍を敗らせようとした。戦いを挑むことを願ったが許されず、使者に立つことを願うと許されたので、ついに行って戦いを請うて帰った。趙旃(ちょうせん)は卿の位を求めて得られず、戦いを挑むことを願ったが許されず、盟に招くことを願うと許された。魏錡とともに命を受けて行った。郤克(げきこく)が言った。「恨みを抱いた二人が行った。備えなければ必ず敗れる。」随会(ずいかい)が言った。「あの二人が楚を怒らせ、楚人がわが方に乗じれば、軍を失う日は遠くない。備えるにこしたことはない。」先縠は「ならぬ」と言った。随会は鞏朔(きょうさく)と韓穿(かんせん)に敖(ごう)の前の七か所に伏兵を置かせたので、上軍は敗れず、中軍と下軍は果たして敗れた。七覆とは七か所の伏兵である。敖とは山の名である。

陳皥

此大將無理而怒小將,使之心內懷不服,因緣怨怒,遇敵便戰,不顧能否,所以大敗也。

これは大将が理由もなく小さな将を怒らせ、心の内に服さぬ思いを抱かせるので、その恨みと怒りに乗じて敵に遭えばすぐ戦い、できるかどうかを顧みないため、大敗するのである。

賈林

自上墮下曰崩。大吏、小將不相壓伏,崩壞之道;將又不量己之能否,不知卒之勇怯,強與敵鬬,自取賊害,豈非自上而崩乎?

上から下へ落ちるのを崩という。大吏と小さな将が互いに抑え服させられないのが、崩れ壊れる道である。将がまた自分の能力を量らず、兵卒の勇と怯を知らないまま、無理に敵と闘って自ら害を招くのだから、どうして上から崩れるのでないことがあろうか。

梅堯臣

小將心怒而不服,遇敵怨懟而不顧,自取崩敗者,蓋將不知其能也。

小さな将が心で怒って服さず、敵に遭えば恨んで顧みず、自ら崩れ敗れることを招くのは、おおむね将がその能力を知らないからである。

王晳

謂將怒不以理,且不知裨佐之才,激致其兇懟,如山之崩壞也。

将が理に合わぬ怒りをもち、また補佐する者の才を知らないので、その凶々しい恨みを煽り立てる。山が崩れ壊れるようなものだという意味である。

何氏

三軍同力,上下一心,則勝也。

三軍が力を合わせ、上下が一心であれば勝つ。

張預

大凡百將一心,三軍同力,則能勝敵。今小將恚怒,而不服於大將之令,意欲俱敗,逢敵便戰,不量能否,故必崩覆。晉伐秦,荀偃行令是也。曰︰「雞鳴而駕,唯余馬首是瞻。」欒書怒曰︰「晉國之命,未是有也!」遂棄之歸。又,趙穿惡臾駢而逐秦,魏錡怒晉師而乘楚。

およそ百人の将が一心で、三軍が力を合わせれば、敵に勝つことができる。いま小さな将が怒って大将の令に服さず、ともに敗れることを望み、敵に遭えばすぐ戦ってできるかどうかを量らないので、必ず崩れ覆る。晋(しん)が秦(しん)を攻めたとき、荀偃(じゅんえん)が令を下したのがそれである。「鶏が鳴けば車を繋ぎ、ただわが馬の首だけを見よ」と言った。欒書(らんしょ)が怒って「晋国の令に、こんなものはなかった」と言い、ついにこれを捨てて帰った。また趙穿(ちょうせん)は臾駢(ゆへん)を憎んで秦を追い、魏錡(ぎき)は晋の軍を怒らせて楚にその隙に乗じさせた。

曹操

爲將若此,亂之道也。

将のあり方がこうであれば、乱れる道である。

李筌

將或有一於此,亂之道也。

将にこのうちの一つでもあれば、乱れる道である。

杜牧

言吏卒皆不拘常度,故引兵出陳,或縱或橫,皆自亂之也。

吏も兵卒もみな定まった法度に縛られないので、兵を率いて出て陣を敷けば、縦にも横にもなって、みな自ら乱れるという意味である。

賈林

威令旣不嚴明,士卒則無常禀,如此軍幕,不亂何爲?謂將無嚴令,賞罰不行之故。

威と令がすでに厳しく明らかでなければ、兵卒に定まった受けどころがない。こんな軍幕が乱れずにどうしようというのか。将に厳しい令がなく、賞と罰が行われないわけを言ったのである。

梅堯臣

懦而不嚴,則士無常檢;教而不明,則出陳縱橫。不整,亂之道也。

弱々しくて厳しくなければ、士に定まった取り締まりがない。教えが明らかでなければ、出て敷いた陣が縦に横に散る。整わないことが、乱れる道である。

王晳

亂者不勝其敗。

乱れる者は、その敗れに耐えられない。

張預

將弱不嚴,謂將帥無威德也;教道不明,謂教閱無古法也;吏卒無常,謂將臣無久任也;陳兵縱橫,謂士卒無節制也。爲將若此,自亂之道。

将が弱くて厳しくないとは、将帥に威も徳もないことをいう。教えの道が明らかでないとは、教え検めるのに古の法がないことをいう。吏も兵卒も定まりがないとは、将や臣が長く任にとどまることがないことをいう。陣の構えが縦横に乱れているとは、兵卒に節度と制がないことをいう。将たる者がこうであれば、自ら乱れる道である。

曹操

其勢若此,必走之兵也。

その勢がこうであれば、必ず走り逃げる兵である。

李筌

軍敗曰北,不料敵也。

軍が敗れることを北という。敵を見積もらなかったのである。

杜牧

衞公李靖《兵法》有戰鋒隊,言揀擇敢勇之士,每戰皆爲先鋒。《司馬法》曰︰「選良次兵,益人之強。」《註》曰︰「勇猛勁捷,戰不得功,後戰必選於前,當以激致其銳氣也。」東晉大將軍謝玄北鎮廣陵時,苻堅強盛,玄多募勇勁。劉牢之、何謙、諸葛侃、高衡、劉軌、田洛、孫無終等,以驍猛應募,玄以牢之領精銳,爲前鋒,百戰百勝,號爲北府兵。敵人畏之,所向必克也。

衛公(えいこう)李靖(りせい)の兵法に戦鋒隊(せんぽうたい)があり、果敢で勇ましい兵を選び抜き、戦うたびに先鋒とさせるという意味である。『司馬法』に「良い兵を選んで前に立てれば、人の強さを増す」とあり、その註に「勇猛で速い者でも、戦いで功を得られなければ、次の戦いでは必ず前から選ぶ。その鋭い気を奮い立たせようとするのである」とある。東晋の大将軍謝玄(しゃげん)が北の広陵(こうりょう)を鎮めていたとき、苻堅(ふけん)が強く盛んであったので、玄は勇ましく強い者を多く募った。劉牢之(りゅうろうし)・何謙(かけん)・諸葛侃(しょかつかん)・高衡(こうこう)・劉軌(りゅうき)・田洛(でんらく)・孫無終(そんむしゅう)らが、猛々しさをもって募りに応じた。玄は牢之に精鋭を率いさせて先鋒としたので、百たび戦って百たび勝ち、北府兵(ほくふへい)と呼ばれた。敵はこれを畏れ、向かう所は必ず破った。

賈林

兵鋒不選利鈍,士卒不知勇怯,如此用兵,自取背道也。

先鋒となる兵を鋭さと鈍さで選ばず、兵卒の勇と怯を知らないまま、こうして兵を用いれば、自ら背を向けて逃げる道を取ることになる。

梅堯臣

不能量敵情,以少當衆;不能選精銳,以弱擊強,皆奔北之理也。

敵の情を量ることができず少数で多数に当たり、精鋭を選ぶことができず弱いもので強いものを撃つのは、みな逃げ敗れる理である。

何氏

夫士卒疲勇,不可混同爲一;一則勇士不勸,疲兵因有所容,出而不戰,自敗也。故《兵法》曰︰「兵無選鋒曰北。」昔齊以伎擊強,魏以武卒奮,秦以銳士勝,漢有三河俠士、劒客奇材,吳謂之解煩,齊謂之決命,唐謂之跳盪,是皆選鋒之別名也。兵之勝術,無先於此。凡軍衆旣具,則大將勒諸營,各選精銳之士,須趫健出衆、武藝軼格者,部爲別隊,大約十人選一人,萬人選千人,所選務寡,要在必當,擇腹心健將統率,自大將、親兵、前鋒、奇伏之類,皆品量配之也。

そもそも疲れた兵と勇ましい兵を混ぜて一つにしてはならない。一つにすれば勇ましい者は励まず、疲れた者は身を隠す場を得て、出ても戦わないので、自ら敗れる。だから兵法に「兵に先鋒の精鋭がないのを北という」とある。昔、斉(せい)は技で撃って強く、魏(ぎ)は武卒(ぶそつ)で奮い、秦(しん)は鋭士(えいし)で勝ち、漢(かん)には三河(さんが)の侠士と剣客の優れた才があった。呉(ご)ではこれを解煩(かいはん)といい、斉では決命(けつめい)といい、唐(とう)では跳盪(ちょうとう)といった。みな先鋒の精鋭を選び抜いたものの別名である。兵が勝つ術で、これに先立つものはない。およそ軍の人数がそろえば、大将が諸営を取り締まり、それぞれ精鋭の兵を選ばせる。身軽く健やかで衆に抜きんで、武芸が格を超える者を、別の隊として部立てする。おおよそ十人から一人を選び、万人から千人を選ぶ。選ぶ数は少ないほどよく、肝要なのは必ず適う者であることにある。腹心の健やかな将を択んで率いさせ、大将の親兵・先鋒・奇と伏の類まで、みな品を量って配するのである。

張預

設若奮寡以擊衆,驅弱以敵強,又不選驍勇之士,使爲先鋒,兵必敗北也。凡戰,必用精銳爲前鋒者,一則壯吾志,一則挫敵威也。故《尉繚子》曰︰「武士不選,則衆不強。」曹公以張遼爲先鋒而敗鮮卑,謝玄以劉牢之領精銳而拒苻堅是也。

もし少数を奮って多数を撃ち、弱いものを駆って強いものに当たらせ、そのうえ猛々しく勇ましい兵を選んで先鋒とさせなければ、兵は必ず敗れ逃げる。およそ戦うときに必ず精鋭を先鋒とするのは、一つにはこちらの志を強くするためであり、一つには敵の威を折るためである。だから『尉繚子』に「武士を選ばなければ、衆は強くならない」とある。曹操(そうそう)が張遼(ちょうりょう)を先鋒として鮮卑(せんぴ)を破り、謝玄(しゃげん)が劉牢之(りゅうろうし)に精鋭を率いさせて苻堅(ふけん)を防いだのが、それである。

14これもまた将の至って重い任である

凡此六者,敗之道也,將之至任,不可不察也。

およそこの六つは敗れる道である。将の至って重い任であるから、察しないわけにはいかない。

注 2
陳皥

一曰不量寡衆,二曰本乏刑德,三曰失於訓練,四曰非理興怒,五曰法令不行,六曰不擇驍果,此名六敗也。

第一には多少を量らないこと、第二にはもとより刑と徳が欠けていること、第三には訓練を失っていること、第四には理に合わぬ怒りを起こすこと、第五には法と令が行われないこと、第六には猛々しく果敢な者を選ばないこと。これを六つの敗れという。

張預

已上六事,必敗之道。

以上の六つの事は、必ず敗れる道である。

15地は兵を助ける

夫地形者,兵之助也。

そもそも地の形は、兵を助けるものである。

注 6
杜牧

夫兵之主,在於仁義節制而已;若得地形,可以爲兵之助,所以取勝也。「助」一作「易」。

そもそも兵の主となるものは、仁と義と節度と制にあるだけである。地の形を得れば兵を助けるものとなるので、それで勝ちを得るのである。「助」は、ある本には「易」とある。

陳皥

天時不如地利。

天の時は地の利に及ばない。

孟氏

地利待人而險。

地の利は、人を待ってはじめて険しさとなる。

賈林

戰雖在兵,得地易勝,故曰︰「兵之易也。」山可障,水可灌,高勝卑,險勝平也。

戦いは兵にかかっているが、地を得れば勝ちやすいので、「兵を易くするもの」と言ったのである。山は遮ることができ、水は注ぎ込むことができ、高い所は低い所に勝ち、険しい所は平らな所に勝つ。

王晳

兵道則在人。

兵の道は人にある。

張預

能審地形者,兵之助耳,乃末也;料敵制勝者,兵之本也。

地の形をよく察することは兵を助けるだけであるから、末である。敵を見積もって勝ちを制するのが、兵の本である。

16上将の道

料敵制勝,計險阨、遠近,上將之道也。

敵を見積もって勝ちを制し、険しく阻まれた所と遠近を計るのが、上将の道である。

注 4
杜牧

饋用之費,人馬之力,攻守之便,皆在險阨遠近也。言若能料此以制敵,乃爲將臻極之道。

食わせ用いる費えも、人と馬の力も、攻め守りの便も、みな険阻と遠近にかかっている。これを見積もって敵を制することができれば、すなわち将として至り極まる道だという意味である。

王晳

料敵窮極之情,險阨遠近之利害,此兵道也。

敵の極まるところまでの情と、険阻や遠近の利害を見積もること、これが兵の道である。

何氏

知敵、知地,將軍之職。

敵を知り地を知るのが、将軍の職である。

張預

旣能料敵虛實強弱之情,又能度地險阨遠近之形,本末皆知,爲將之道畢矣。

敵の虚実強弱の情を見積もることができ、また地の険阻と遠近の形を測ることができて、本も末もみな知れば、将たる道を尽くしたのである。

17知って戦えば勝つ

知此而用戰者必勝,不知此而用戰者必敗。

これを知って戦う者は必ず勝ち、これを知らずに戦う者は必ず敗れる。

注 3
杜牧

謂知險阨遠近也。

険阻と遠近を知るということである。

梅堯臣

將知地形,又知軍政,則勝;不知則敗。

将が地の形を知り、また軍の政を知れば勝ち、知らなければ敗れる。

張預

旣知敵情,又知地利,以戰則勝;俱不知之,以戰卽敗。

敵の情を知り、また地の利を知って戦えば勝ち、どちらも知らずに戦えばすぐ敗れる。

18君が止めても戦う

故戰道必勝,主曰無戰,必戰可也;戰道不勝,主曰必戰,無戰可也。

だから戦いの理で必ず勝てるなら、君が戦うなと言っても戦うのが正しく、戦いの理で勝てないなら、君が必ず戦えと言っても戦わないのが正しい。

注 5
李筌

得戰勝之道,必可戰也;失戰勝之道,必無戰可也。立主人者,發其行也。

戦って勝つ理を得たなら、必ず戦うのが正しく、戦って勝つ理を失ったなら、必ず戦わないのが正しい。君を立てて言ったのは、その行いを明らかにしようとしたのである。

杜牧

主者,君也。黃石公曰︰「出軍行師,將在自專;進退內御,則功難成。故聖主明王,跪而推轂曰︰閫外之事,將軍裁之。」

主とは君である。黄石公(こうせきこう)が言った。「軍を出して師を率いるとき、将は自ら専らにするところにある。進退を内から操れば、功は成りにくい。だから聖なる主、明らかな王は、跪いて車の轂(こしき)を押し、『門の外のことは、将軍が裁きなさい』と言った。」

孟氏

寧違於君,不逆士衆。

むしろ君に背くとしても、士や衆の意に逆らわない。

梅堯臣

將在軍,君命在有不受。

将が軍中にあれば、君の命でも受けないことがある。

張預

苟有必勝之道,雖君命不戰,可必戰也;苟無必戰之道,雖君命必戰,可不戰也。與其從令而敗事,不若違制而成功。故曰︰「軍中不聞天子之詔。」

必ず勝つ理があるなら、君が戦うなと命じても必ず戦うのが正しく、必ず戦うべき理がないなら、君が必ず戦えと命じても戦わないのが正しい。令に従って事を損なうよりは、制に背いて功を成すほうがよい。だから「軍中では天子の詔も聞かない」と言うのである。

19国の宝

故進不求名,退不避罪,唯人是保,而利合於主,國之寶也。

だから、進んでも名を求めず、退いても罪を避けず、ただ人を守り、その利が君に適う者こそ、国の宝である。

注 8
王晳

皆忠以爲國也。

みな忠をもって国のためにするのである。

何氏

進豈求名也?見利於國家、士民,則進也;退豈避罪也?見其蹙國殘民之害,雖君命使進,而不進,罪及其身不悔也。

進むのがどうして名を求めることであろうか。国家と士民に利があると見れば進むのである。退くのがどうして罪を避けることであろうか。国を縮め民を損なう害があると見れば、君が進めと命じても進まず、罪がその身に及んでも悔いないのである。

李筌

進退皆保人,非爲身也。

進むも退くもみな人を守るためであり、自分の身のためではない。

杜牧

進不求戰勝之名,退不避違命之罪也。如此之將,國家之珍寶,言其少得也。

進んでも戦って勝った名を求めず、退いても命に背いた罪を避けない。このような将は国家の珍宝であり、得がたいという意味である。

陳皥

合,猶歸也。

合とは、帰するという意味と同じである。

梅堯臣

寧違命而取勝,勿順命而致敗。

むしろ命に背いて勝ちを取るべきで、命に従って敗れに至ってはならない。

王晳

戰與不戰,皆在保民利主而已矣。

戦うことも戦わないことも、みな民を守り君を利することにあるだけである。

張預

進退違命,非爲己也,皆所以保民命而合主利,此忠臣,國家之寶也。

進退に命に背くのは自分のためではない。みな民の命を守り、君の利に適わせようとするのであるから、これが忠臣であり、国家の宝である。

20兵卒を赤子のように見る

視卒如嬰兒,故可與之赴深谿;視卒如愛子,故可與之俱死。

兵卒を見ることが赤子のようであるから、ともに深い谷へも入ることができる。兵卒を見ることが愛する子のようであるから、ともに死ぬこともできる。

注 6
李筌

若撫之如此,得其死力也。故楚子一言,三軍之士皆如挾纊也。

このように撫で育てれば、その死力を得る。だから楚の君が一言を発すると、三軍の士がみな綿を抱いたようであった。

杜牧

戰國時,吳起爲將,與士卒最下者同衣食,卧不設席,行不乘騎,親裹贏糧,與士卒分勞苦。卒有病疽,吳起吮之,其卒母聞而哭之。或問曰︰「子,卒也,而將軍自吮疽,何爲而哭?」母曰︰「往年,吳公吮其父,其父不旋踵而死於敵;今復吮此子,妾不知其死所矣!」

戦国のとき、呉起(ごき)が将となり、最も下の兵卒と衣食を同じくし、寝るのに席を敷かず、行くのに馬に乗らず、余った糧を自ら包み、兵卒と労苦を分けた。ある兵卒が疽(そ)を病んだので、呉起がこれを吸ってやったところ、その兵卒の母が聞いて泣いた。ある人が尋ねた。「あなたの子は兵卒なのに、将軍が自ら疽を吸ってくださった。何ゆえに泣くのか。」母が言った。「去る年、呉公はその父の疽を吸ってくださり、父は踵を返すいとまもなく敵に死にました。いま再びこの子のを吸ってくださったので、わたくしはこの子がどこで死ぬのか分かりません。」

梅堯臣

撫而育之,則親而不離;愛而勗之,則信而不疑。故雖死與死,雖危與危。

撫で育てれば親しんで離れず、愛して励ませば信じて疑わない。だから死ぬ場であってもともに死に、危うい場であってもともに危うきを踏む。

王晳

以仁恩結人心也。

仁と恩で人の心を結ぶのである。

何氏

如後漢段熲爲破羌將軍以征西羌,行軍仁愛,士卒傷者,親自瞻省,手爲裹瘡。在邊十餘年,未嘗一日蓐寢,與將士同苦,故皆樂爲死戰也。晉王濬爲巴郡太守,郡邊吳境,兵士苦役,生男多不舉。濬乃嚴其科條,寬其徭課,其産育者皆與休復,所全活者數千人。及後伐吳,先在巴郡之所全活者,皆堪徭役供軍。其父母戒之曰︰「王府君生爾,爾必勉之,無愛死也。」故《吳子》有父子之兵。

後漢の段熲(だんけい)が破羌将軍(はきょうしょうぐん)となって西羌(せいきょう)を征したとき、軍を率いるのに仁と愛をもってし、傷ついた兵卒を自ら見舞い、手で傷を包んだ。辺境に十余年あって、一日も敷物を敷いて寝たことがなく、将士と苦しみを同じくしたので、みな喜んで死を賭して戦った。晋(しん)の王濬(おうしゅん)が巴郡(はぐん)の太守となったが、郡が呉(ご)の境に接していて、兵士も民も役に苦しみ、男の子を産んでも育てないことが多かった。濬はその法の条を厳しくし、徭役と課を緩めて、子を産み育てる者にはみな休みと免除を与えたので、生かし全うされた子は数千人であった。後に呉を討つとき、さきに巴郡で生かし全うされた者たちがみな徭役を担って軍に供した。その父母は戒めて言った。「王府君(おうふくん)がおまえを生かしてくださった。おまえは必ず励み、死を惜しんではならない。」だから『呉子』に父子のような兵という言葉があるのである。

張預

將視卒如子,則卒視將如父;未有父在危難,而子不致死。故荀卿曰︰「臣之於君也,下之於上也,如子弟之事父兄、手足之捍頭目也。」夫美酒泛流,三軍皆醉;溫言一撫,士同挾纊。信乎,以恩遇下,古人所重也。故《兵法》曰︰「勤勞之師,將必先己。暑不張蓋,寒不重衣,險必下步,軍井成而後飲,軍食熟而後飯,軍壘成而後舍。」

将が兵卒を子のように見れば、兵卒は将を父のように見る。父が危難にあって子が死を尽くさないということはない。だから荀卿(じゅんけい)が言った。「臣が君に、下が上にするのは、子や弟が父や兄に仕え、手足が頭や目を庇うのと同じである。」よい酒を流して三軍がみな酔い、温かい言葉で一度撫でると士はみな綿を抱いたようであった。まことに、恩をもって下に接することは、古の人が重んじたところである。だから兵法に「労苦する軍には、将が必ず自分の身を先に立てる。暑くても覆いを張らず、寒くても衣を重ねず、険しい所では必ず降りて歩き、軍の井戸ができてのちに飲み、軍の食が炊けてのちに飯を食べ、軍の塁ができてのちに宿る」とある。

21甘やかされた子

厚而不能使,愛而不能令,亂而不能治,譬若驕子,不可用也。

厚くしても使うことができず、愛しても命じることができず、乱れても治めることができなければ、たとえば甘やかされた子のようであって、用いることができない。

注 8
曹操

恩不可專用,罰不可獨任。若驕子之喜怒,對目還害,而不可用也。

恩だけを用いるべきでもなく、罰だけに頼るべきでもない。甘やかされた子が喜んだり怒ったりするようであれば、目の前でかえって害となり、用いることができない。

李筌

雖厚愛人,不令如驕子者,有勃逆之心,不可用也。

人を厚く愛しても命じることができず、甘やかされた子のようになった者は、逆らう心があって用いることができない。

杜牧

黃石公曰︰「士卒可下,而不可驕。」夫恩以養士,謙以接之,故曰「可下」;制之以法,故曰「不可驕」。《陰符》曰︰「害生於恩。」吳起曰︰「夫鼓鼙金鐸,所以威耳;旌旗麾章,所以威目;禁令刑罰,所以威心。耳威於聲,不得不清;目威於色,不得不明;心威於刑,不得不嚴。三者不立,必敗於敵。故曰︰將之所撝,莫不從移;將之所指,莫不前死。」衞公李靖曰︰「古之善爲將者,必能十卒而殺其三,次者十殺其一。十殺其三,威振於敵國;十殺其一,令行於三軍。是知畏我者不畏敵,畏敵者不畏我。」善無細而不賞,惡無微而不貶。馬謖軍敗,諸葛亮對泣而行誅;鄉人盜笠,呂蒙垂涕而後斬;馬逸犯禾,曹公割髮而自刑;兩掾辭屈,黃蓋詰問而俱斬。故能威克其愛,雖少必濟;愛加其威,雖多必敗。

黄石公(こうせきこう)が「士卒には身を低くすることはできるが、甘やかさせてはならない」と言った。恩で士を養い、謙りで接するので「身を低くできる」と言い、法で制するので「甘やかさせてはならない」と言ったのである。『陰符』に「害は恩から生じる」とある。呉起(ごき)が言った。「太鼓と小鼓、鐘と鈴は耳を畏れさせるものであり、旗と指図の章は目を畏れさせるものであり、禁令と刑罰は心を畏れさせるものである。耳が声に畏れるには、清らかでなければならない。目が色に畏れるには、明らかでなければならない。心が刑に畏れるには、厳しくなければならない。この三つが立たなければ、必ず敵に敗れる。だから、将が手で示すところへ移らぬ者はなく、将が指すところへ進んで死なぬ者はないという。」衛公(えいこう)李靖(りせい)が言った。「古の将たることに巧みな者は、必ず十人の兵卒のうち三人を殺すことができ、その次の者は十人のうち一人を殺した。十人のうち三人を殺せば威は敵国に振るい、十人のうち一人を殺せば令は三軍に行われる。これで、こちらを畏れる者は敵を畏れず、敵を畏れる者はこちらを畏れないと知れる。」善は細かくても賞さないことがなく、悪は微かでも貶さないことがない。馬謖(ばしょく)が軍を敗らせると諸葛亮(しょかつりょう)は向かい合って泣きながら誅を行い、郷里の人が笠を盗むと呂蒙(りょもう)は涙を垂らしたのちに斬り、馬が逸れて禾(いね)を踏むと曹公(そうこう)は髪を切って自らを罰し、二人の掾(えん)が言葉に詰まると黄蓋(こうがい)は問い詰めたうえでともに斬った。だから威がその愛に勝てば、少なくとも必ず済い、愛がその威を上回れば、多くても必ず敗れる。

孟氏

唯務行恩,恩勢已成,刑之必怨;唯務行刑,刑怨已深,恩之不附。必使恩威相參,賞罰並用,然後可以爲將,可以統衆也。

恩を行うことばかりに努め、恩の勢がすでに成ってしまえば、罰しても必ず怨む。刑を行うことばかりに努め、刑への怨みがすでに深ければ、恩を与えても懐かない。必ず恩と威を互いに交え、賞と罰を併せ用いさせてのちに、はじめて将となることができ、衆を統べることができる。

梅堯臣

厚養而不使,愛寵而不教,亂法而不治,猶如驕子,安得而用也?

厚く養っても使わず、愛し寵んでも教えず、法を乱しても治めなければ、甘やかされた子と同じであるから、どうして用いることができようか。

王晳

恩不以嚴,未可濟也。

恩に厳しさが伴わなければ、済うことはできない。

何氏

言恩不可純任,純任則還爲己害。

恩だけに任せてはならないという意味である。それだけに任せれば、めぐって自分の害となる。

張預

恩不可以專用,罰不可以獨行。專用恩,則卒如驕子而不能使。此曹公所以割髮而自刑,卧龍所以垂泣而行戮,楊素所以流血盈前而言笑自若,李靖所以十殺其三使畏我而不畏敵也。獨行罰,則士不親附而不可用。此古將所以投酒,楚子所以挾纊,吳起所以分衣食,闔閭所以同勞佚也。在《易》之《師》初六曰「師出以律」,謂齊衆以法也;九二曰「師中承天寵」,謂勸士以賞也。以此觀之,王者之兵,亦德刑參任而恩威並行矣。《尉繚子》曰︰「不愛悅其心者,不我用也;不嚴畏其心者,不我舉也。」故善將者,愛與畏而已。

恩を専ら用いてはならず、罰を独り行ってはならない。恩だけを用いれば、兵卒は甘やかされた子のようになって使うことができない。これが曹操(そうそう)が髪を切って自らを罰したわけであり、臥龍(がりょう)が涙を垂らして誅を行わせたわけであり、楊素(ようそ)が前に血があふれても語り笑って平然としていたわけであり、李靖(りせい)が十人のうち三人を殺して、こちらを畏れて敵を畏れないようにさせたわけである。罰だけを行えば、士が親しみ懐かず、用いることができない。これが古の将が酒を川に注いだわけであり、楚の君が士を綿を抱いたようにさせたわけであり、呉起(ごき)が衣食を分けたわけであり、闔閭(こうりょ)が労れと安らかさを共にしたわけである。『易』の師の卦の初六に「師を出すには律をもってする」とあるのは、法で衆を整えることをいい、九二に「師の中にあって天の寵を承ける」とあるのは、賞で士を励ますことをいう。これで見れば、王者の兵もまた徳と刑を交え任せ、恩と威を併せ行うのである。『尉繚子』に「その心を愛し悦ばせなければ、わがために用いられない。その心を厳しくして畏れさせなければ、わがために起ち上がらない」とある。だから将たることに巧みな者は、愛と畏れだけなのである。

22半ばの勝ち

知吾卒之可以擊,而不知敵之不可擊,勝之半也;知敵之可擊,而不知吾卒之不可以擊,勝之半也︰知敵之可擊,知吾卒之可以擊,而不知地形之不可以戰,勝之半也。

わが兵卒が撃てることを知っていても、敵が撃ってはならない相手であることを知らなければ、勝ちは半ばである。敵が撃てることを知っていても、わが兵卒が撃てないことを知らなければ、勝ちは半ばである。敵が撃てることを知り、わが兵卒が撃てることも知っていても、地の形が戦うに適さないことを知らなければ、勝ちは半ばである。

注 11
梅堯臣

知己而不知彼,或有勝耳。

己を知って相手を知らなければ、勝つこともあるだけである。

杜牧

可擊者,勇敢輕死也;不可擊者,頓弊怯弱也。

撃てるとは、勇ましく果敢で死を軽んじることである。撃てないとは、疲れ果てて怯え弱いことである。

陳皥

此說非也。可擊、不可擊者,所謂「兵衆孰強,士卒孰練,賞罰孰明,」也。

この説は正しくない。撃てる、撃てないとは、いわゆる「兵の衆はどちらが強いか、士卒はどちらが練れているか、賞罰はどちらが明らかか」ということである。

梅堯臣

知彼而不知己,或有勝耳。

相手を知って己を知らなければ、勝つこともあるだけである。

王晳

知己不知彼,知彼不知己,皆未可以決勝也。

己を知って相手を知らず、相手を知って己を知らなければ、どちらも勝ちを決することはできない。

張預

或知己而不知彼,或知彼而不知己,則有勝有負也。唐太宗曰︰「吾嘗臨陳,先料敵心與己之心孰審,然後彼可得而知焉;察敵氣與己之氣孰治,然後我可得而知焉。」言料心審治亂,察氣見強弱形也,可戰與不可戰也。

己を知って相手を知らず、あるいは相手を知って己を知らなければ、勝つこともあり負けることもある。唐の太宗(たいそう)が言った。「わたしはかつて陣に臨むとき、まず敵の心とわが心のどちらが深く察しているかを見積もり、そのうえではじめて相手を知ることができた。敵の気とわが気のどちらが治まっているかを察し、そのうえではじめてわが方を知ることができた。」心を見積もって治まりと乱れを察し、気を察して強弱の形を見るのであり、戦えるか戦えないかはそこから出るという意味である。

曹操、李筌

勝之半者,未可知也。

勝ちが半ばとは、まだ分からないという意味である。

杜牧

地形者,險易遠近,出入迂直也。

地の形とは、険しさと平らさ、遠近、出入りの道の迂回と真直である。

梅堯臣

知彼知己,而不知地形,亦或不勝。

相手を知り己を知っても、地の形を知らなければ、やはり勝てないことがある。

王晳

雖知彼己可以戰,然不可虧地利也。

相手と己を知って戦えるとしても、地の利を欠いてはならない。

張預

旣知己而又知彼,但不得地形之助,亦不可全勝。

己を知りまた相手を知っても、地の形の助けを得なければ、やはり全く勝つことはできない。

23動いても迷わない

故知兵者,動而不迷,舉而不窮。

だから兵を知る者は、動いても迷わず、起こしても行き詰まらない。

注 5
杜牧

未動未舉,勝負已定,故動則不迷,舉則不窮也。一云「動而不困,舉而不頓」。

まだ動かず、まだ起こさぬうちに勝ち負けはすでに定まっているので、動けば迷わず、起こせば行き詰まらない。ある本には「動いても困らず、起こしても挫けない」とある。

陳皥

窮者,困也,我若識彼此之動否,量地形之得失,則進而不迷,戰而不困者也。

窮とは困ることである。こちらが相手とこちらの動きの可否を見分け、地の形の得失を量れば、進んでも迷わず、戦っても困らないのである。

梅堯臣

無所不知,則動不迷闇,舉不困窮也。

知らないところがなければ、動いても暗がりに迷わず、起こしても困り行き詰まらない。

王晳

善計者不迷,善軍者不窮。

計に巧みな者は迷わず、軍に巧みな者は行き詰まらない。

張預

不妄動,故動則不誤;不輕舉,故舉則不困。識彼我之虛實,得地形之便利,而後戰也。

みだりに動かないので、動けば誤らない。軽々しく起こさないので、起こせば困らない。相手とこちらの虚実を見分け、地の形の便と利を得たうえで戦うのである。

24天を知り地を知れば

故曰︰知彼知己,勝乃不殆;知天知地,勝乃不窮。

だからこう言う。相手を知り己を知れば、勝ちは危うくない。天を知り地を知れば、勝ちは尽きることがない。

注 6
張預

曉攻守之術,則有勝而無危。

攻めと守りの術に明るければ、勝ちはあって危うさはない。

李筌

人事、天時、地利,三者同知,則百戰百勝。

人の事、天の時、地の利、この三つをともに知れば、百たび戦って百たび勝つ。

杜佑

知地之便,知天之時。地之便,依險阻、向高陽也;天之時,順寒暑、法刑德也。旣能知彼知己,又按地形、法天道,勝乃可全,又何難也?

地の便を知り、天の時を知る。地の便とは、険阻に依り、高くて日の当たる所に向かうことである。天の時とは、寒さと暑さに順い、刑と徳を法とすることである。相手を知り己を知り、また地の形を調べ天の道を法とすれば、勝ちを全うすることができる。また何が難しいであろうか。

梅堯臣

知彼利,知此利,故不危;知天時,知地形,故不極。

相手の利を知り、こちらの利を知るので危うくない。天の時を知り、地の形を知るので極まることがない。

王晳

王晳同梅堯臣《註》。

王晳(おうせき)は梅堯臣(ばいぎょうしん)の註と同じである。

張預

順天時,得地利,取勝無極。

天の時に順い、地の利を得れば、勝ちを取ることに際限がない。