九地 — 九つの立場九地篇
編の冒頭の注 4
欲戰之地有九。
戦おうとする地には九つある。
勝敵之地有九,故次《地形》之下。
用兵之地,利害有九也。
用兵之地,其勢有九。此論地勢,故次《地形》。
1九つの地
孫子曰︰用兵之法︰有散地,有輕地,有爭地,有交地,有衢地,有重地,有圮地,有圍地,有死地。
孫子が言う。
兵を用いる法には、散る地(散地)、軽い地(軽地)、争う地(争地)、行き交う地(交地)、四つ辻の地(衢地)、重い地(重地)、崩れる地(圮地)、囲まれた地(囲地)、死ぬ地(死地)がある。
注 2
此九地之名也。
これが九つの地の名である。
此九地之名。
これが九地の名である。
2散る地
諸侯自戰其地,爲散地。
諸侯が自分の地で戦うのが、散る地である。
注 8
士卒戀土,道近易散。
兵卒が故郷を恋しがり、道が近いので散りやすい。
卒恃土,懷妻子,急則散,是爲散地也。
兵卒が自分の地を頼み、妻子を思うので、急げば散る。これが散る地である。
士卒近家,進無必死之心,退有歸投之處。
兵卒が家に近いので、進んでも必ず死ぬという心がなく、退けば帰って身を寄せる所がある。
戰其境內之地,士卒意不專,有潰散之心,故曰散地。
自分の境内の地で戦えば、兵卒の意が一つに集まらず、潰え散る心があるので、散る地という。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)は杜牧(とぼく)の註と同じである。
王晳同曹操《註》。
王晳(おうせき)は曹操(そうそう)の註と同じである。
散地,士卒恃土,懷戀妻子,急則散走,是爲散地。一曰︰地無關鍵,士卒易散走,居此地者,不可數戰。又曰︰地遠四平,更無要害,志意不堅,而易離,故曰散地。吳王問孫武曰︰「散地,士卒顧家,不可與戰,則必固守不出;若敵攻我小城,掠吾田野,禁吾樵採,塞吾要道,待吾空虛而急來攻,則如之何?」武曰︰「敵人深入吾都,多背城邑,士卒以軍爲家,專志輕鬬。吾兵在國,安土懷生,以陳則不堅,以鬬則不勝,當集人合衆,聚穀蓄帛,保城備險,遣輕兵絶其糧道。彼挑戰不得,轉輸不至,野無所掠,三軍困餒,因而誘之,可以有功。若欲野戰,則必因勢,依險設伏;無險,則隱於天氣陰晦、昏霧,出其不意,襲其懈怠,可以有功。」
散る地では、兵卒が自分の地を頼み、妻子を恋しがるので、急げば散り走る。これが散る地である。一説には、地に関や鍵のような要所がないので兵卒が散り走りやすく、この地にいる者はたびたび戦ってはならないという。また、四方が遠く平らで要害もなく、志や意が固まらずに離れやすいので、散る地というともいう。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「散る地では兵卒が家を顧みるので、ともに戦うことができません。必ず固く守って出ないことになります。ところが敵がわが小さな城を攻め、わが田野を掠め、わが薪取りや収穫を禁じ、わが要路をふさぎ、こちらが空しくなるのを待って急に攻めて来たら、どうすればよいでしょうか。」武が言った。「敵がわが都の深くまで入り込み、城や邑を多く背にすれば、その兵卒は軍を家として志を一つにし、軽々と闘います。わが兵は自国にいて土地を安んじ生きることを思うので、陣を敷いても固まらず、闘っても勝てません。まさに人を集めて衆を合わせ、穀を積み帛を蓄え、城を保ち険に備え、軽い兵を遣わしてその糧道を断つべきです。敵は戦いを挑んでも得られず、運び送るものも届かず、野に掠めるものもなければ、三軍は困り飢えます。そこに乗じて誘い出せば、功を得ることができます。もし野で戦おうとするなら、必ず勢に因って険に依り伏兵を置くべきです。険がなければ、天気の曇り暗く、夕霧の立つときに隠れ、不意に出てその怠りを襲えば、功を得ることができます。」
戰於境內,士卒顧家,是易散之地也。鄖人將伐楚師,楚鬬廉曰︰「鄖人軍其郊,必不誡;恃近其城,莫有鬬志。」果爲楚所敗是也。
境内で戦えば兵卒が家を顧みるので、これが散りやすい地である。鄖(うん)の人が楚の軍を討とうとしたとき、楚の鬬廉(とうれん)が言った。「鄖の人は自分の郊に陣を構えたから、必ず戒めがない。自分の城が近いことを頼んで、闘う志がない。」果たして楚に敗られたのが、それである。
3軽い地
入人之地而不深者,爲輕地。
人の地に入ったが深くない所が、軽い地である。
注 7
士卒皆輕返也。
兵卒がみな軽々と帰ろうとする。
師出越境,必焚舟梁,示民無返顧之心。
軍が出て境を越えれば、必ず舟と橋を焼き、人々に帰り顧みる心がないことを示す。
輕於退也。
退くことを軽く見るのである。
入敵未遠,道近輕返。
敵の地に入ったのが遠くなく、道が近いので軽々と帰る。
初涉敵境,勢輕,士未有鬬志也。
敵の境に初めて踏み入ると、勢が軽くて、士にまだ闘う志がない。
輕地者,輕於退也。入敵境未深,往返輕易,不可止息,將不得數動勞人。吳王問孫武曰︰「吾至輕地,始入敵境,士卒思還,難進易退;未背險阻,三軍恐懼;大將欲進,士卒欲退,上下異心。敵守其城壘,整其車騎,或當吾前,或擊吾後,則如之何?」武曰︰「軍至輕地,士卒未專,以入爲務,無以戰爲。故無近其名城,無由其通路,設疑佯惑,示若將去。選驍騎,銜枚先入,掠其牛馬六畜。三軍見得,進乃不懼。分吾良卒,密有所伏,敵人若來,擊之勿疑;若其不至,捨之而去。」又曰︰「軍入敵境,敵人固壘不戰,士卒思歸,欲退且難,謂之輕地。當選驍兵伏要路,我退敵追,來則擊之也。」
軽い地とは、退くことを軽く見る所である。敵の境に入ったのが深くなく、行き帰りがたやすいので留まり休むことができず、将はたびたび動いて人を労れさせてはならない。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「わたしが軽い地に至り、敵の境にちょうど踏み入ると、兵卒は帰ることを思って進みにくく退きやすい。まだ険阻を背にできず三軍は恐れおののき、大将は進もうとするのに兵卒は退こうとして、上と下で心が違う。敵は自分の城と塁を守り、車と騎を整えて、こちらの前を遮ったり後を撃ったりする。どうすればよいでしょうか。」武が言った。「軍が軽い地に至れば、兵卒の志はまだ一つになっていないので、入ることを務めとし、戦うことを事としません。だから名のある城に近づかず、通じる路を行かず、疑わしい構えを設けて偽り惑わせ、立ち去ろうとするように見せます。猛々しい騎兵を選び、口に枚を銜ませて先に入らせ、その牛馬や家畜を掠めます。三軍が得たものを見れば、進んでも恐れません。わが良い兵卒を分け、ひそかに伏せる所を設け、敵が来れば躊躇わずに撃ち、来なければそのままにして去ります。」また言った。「軍が敵の境に入ったのに、敵が塁を固めて戦わず、兵卒が帰ることを思い、退こうとしても難しいのを、軽い地という。まさに猛々しい兵を選んで要路に伏せ、こちらが退いて敵が追い、来たところを撃つのである。」
始入敵境,士卒思還,是輕返之地也。《尉繚子》曰︰「征役分軍而歸,或臨戰自北,則逃傷甚焉。」言民兵四集,分屯占地,使北來者當北道,則多逃,以其開之耳。
敵の境にちょうど踏み入ると兵卒が帰ることを思うので、これが軽々と帰る地である。『尉繚子』に「徴役の軍を分けて帰らせたり、戦いに臨んで自ら逃げたりすれば、逃亡の損なわれ方がはなはだしい」とある。民の兵が四方から集まり、分かれて屯し地を占めるのに、北から来た者に北の道を当てれば逃げる者が多い。その道を開いてやったことになるという意味である。
4争う地
我得則利,彼得亦利者,爲爭地。
こちらが得ても利があり、敵が得てもまた利がある所が、争う地である。
注 9
可以少勝衆,弱擊強。
少数で多数に勝ち、弱いもので強いものを撃つことができる。
此阨喉守險地,先居者勝,是爲爭地也。
これは喉のように狭く険しい所を守る地であり、先に居を定めた方が勝つ。これが争う地である。
必爭之地,乃險要也。前秦苻堅先遣大將呂光討西域,堅敗績後,光自西域還,師至宜禾,堅涼州刺史梁熙謀拒之。高昌太守楊翰曰︰「呂光新定西國,兵強氣銳,其鋒不可當。若出流沙,其勢難測。高梧谷口險要,宜先守之,而奪其水。彼旣困渴,人自然投戈。如以爲遠不可守,伊吾之關,亦可拒之。若廢此二要,難爲計矣。地有所必爭,真此機也。」熙不從,竟爲光所滅也。
必ず争うべき地とは、すなわち険しく要となる所である。前秦の苻堅(ふけん)がまず大将の呂光(りょこう)を遣わして西域を討たせたが、堅が敗れた後、光が西域から還り、軍が宜禾(ぎか)に至ると、堅の涼州刺史の梁熙(りょうき)がこれを防ごうとした。高昌(こうしょう)の太守の楊翰(ようかん)が言った。「呂光は西の国を平定したばかりで、兵が強く気が鋭く、その鋒先には当たれません。流沙を出てしまえば、その勢は測りがたいでしょう。高梧谷(こうごこく)の口は険しく要となる所ですから、まずここを守ってその水を奪うべきです。敵が渇きに困れば、人は自然に戈を投げ出します。遠くて守れないとお考えなら、伊吾(いご)の関でも防ぐことができます。この二つの要所を捨てては、計を立てるのが難しくなります。地に必ず争うべき所があるという言葉は、まさにこの機のことです。」熙は従わず、ついに光に滅ぼされた。
彼我若先得其地者,則可以少勝衆,弱勝強也。
敵とこちらのうち、その地を先に得た方は、少数で多数に勝ち、弱いもので強いものに勝つことができる。
謂山水阨口,有險固之利,兩敵所爭。
山と水の狭い口で、険しく固い利があり、両方の敵が争う所をいう。
無我無彼,先得則利。
こちらも敵も区別なく、先に得た方に利がある。
王晳同陳皥《註》。
王晳(おうせき)は陳皥(ちんこう)の註と同じである。
爭地,便利之地,先居者勝,是以爭之。吳王問孫武曰︰「敵若先至,據要保利,簡兵練卒,或出或守,以備我奇,則如之何?」武曰︰「爭地之法,先據爲利,敵得其處,慎勿攻之,引而佯走,建旗鳴鼓,趣其所愛,曳柴揚塵,惑其耳目;分吾良卒,密有所伏;敵必出救,人欲我與,人棄我取。此爭先之道也。若我先至,而敵用此術,則選吾銳卒,固守其所,輕兵追之,分伏險阻;敵人還鬬,伏兵旁起。此全勝之道。」
争う地とは、便と利のある地であり、先に居を定めた方が勝つので、これを争うのである。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「敵が先に至り、要所を占めて利を保ち、兵を選んで卒を練り、出たり守ったりしてこちらの奇に備えたら、どうすればよいでしょうか。」武が言った。「争う地の法は、先に占めるのが利です。敵がその所を得たなら、慎んで攻めてはなりません。兵を引いて偽り走り、旗を立て鼓を鳴らして敵の愛しむ所へ向かい、柴を引いて塵を揚げ、その耳と目を惑わせます。わが良い兵卒を分け、ひそかに伏せる所を設ければ、敵は必ず出て救おうとします。人が欲しがるものはこちらが与え、人が捨てるものはこちらが取る。これが先を争う道です。こちらが先に至ったのに敵がこの術を用いたなら、わが鋭い兵卒を選んでその所を固く守り、軽い兵で追い、険阻に分けて伏せます。敵が引き返して闘えば、伏兵が傍から起こります。これが全く勝つ道です。」
險固之利,彼我得之,皆可以少勝衆、弱勝強者,是必爭之地也。唐太宗以五千人守成皐之險,坐困竇建德十萬之衆是也。
険しく固い利は、敵もこちらもこれを得れば、みな少数で多数に勝ち、弱いもので強いものに勝つことができるので、これが必ず争うべき地である。唐の太宗(たいそう)が五千人で成皐(せいこう)の険を守り、座したまま竇建徳(とうけんとく)の十万の衆を困らせたのが、それである。
5行き交う地
我可以往,彼可以來者,爲交地。
こちらが行くことができ、敵も来ることができる所が、行き交う地である。
注 7
道正相交錯也。
道がちょうど互いに交わり入り組んでいる所である。
川廣地平,可來可往,足以交戰對壘。
野が広く地が平らで、来ることも行くこともできるので、互いに戦い塁を向かい合わせるに足る所である。
交錯是也,言其道路交橫,彼我可以來往。如此之地,則須兵士首尾不絶,切宜備之。故下文云「交地,吾將謹其守」,其義可見也。
交わり入り組んだ所が、それである。道路が横切って交わり、敵もこちらも行き来できるという意味である。このような地では、兵士の首と尾が絶えないようにし、ぜひとも備えなければならない。だから後の文に「行き交う地では、守りを謹もう」とあり、その意が見て取れる。
交地,有數道往來,交通無可絶。
行き交う地は、いくつもの道で行き来できるので、通じる道を断つことができない。
梅堯臣同陳皥《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)は陳皥(ちんこう)の註と同じである。
交地,平原交通也。一曰︰可以交結,不可杜絶之,絶之致隙。又曰︰交通四遠,不可遏絶。吳王問孫武曰︰「交地吾將絶敵,使不得來,必令吾邊城修其守備,深絶通路,固其隘塞。若不先圖之,敵人已備,彼可得而來,吾不得而往,衆寡又均,則如之何?」武曰︰「旣我不可以往,彼可以來,吾分卒匿之,守而易怠,示其不能。敵人且至,設伏隱廬,出其不意,可以有功也。」
行き交う地は、平らな原が互いに通じている所である。一説には、互いに交わり結ぶことができるので、塞いで断ってはならず、断てば隙を招くという。また、四方の遠くまで通じていて、遮り断つことができないともいう。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「行き交う地でこちらが敵を断って来られないようにするには、必ずわが辺境の城に守りの備えを修めさせ、通じる路を深く断ち、その隘路と塞を固めねばなりません。先に図らず、敵がすでに備えて、あちらは来ることができこちらは行くことができず、多少もまた等しければ、どうすればよいでしょうか。」武が言った。「こちらが行くことができず、あちらが来ることができるなら、兵卒を分けて隠し、守りながら怠っているように見せ、できないふうに見せます。敵が至ろうとするとき、伏兵を設けて庵に隠れ、その不意に出れば、功を得ることができます。」
地有數道,往來通達而不可阻絶者,是交錯之地也。
地にいくつもの道があり、行き来が通じていて遮り断つことができない所が、交わり入り組んだ地である。
6四つ辻の地
諸侯之地三屬,先至而得天下之衆者,爲衢地。
諸侯の地が三方で接していて、先に至れば天下の衆を得る所が、四つ辻の地である。
注 9
我與敵相當,而旁有他國也。
こちらと敵が相対しているのに、傍に他の国がある所である。
若鄭界於齊、楚、晉是也。
鄭(てい)が斉(せい)・楚(そ)・晋(しん)と境を接していたのが、それである。
先至得其國助也。
先に至った者が、その国の助けを得る。
對敵之傍,有一國爲之屬,先往而通之,得其衆也。
敵と向かい合う傍に一つの国が接しているので、先に行って通じれば、その衆を得る。
衢地者,三屬之地,我須先至其衝,據其形勢,結其旁國也。天下,猶言諸侯也。
四つ辻の地とは、三方で接する地である。こちらはその要路に先に至り、その形勢を占め、傍の国と結ばなければならない。天下とは、諸侯と言ったのと同じである。
彼我相當,有旁國三面之會,先至則得諸侯之助也。
敵とこちらが相対している所に、傍の国が三面から寄り集まるので、先に至れば諸侯の助けを得る。
曹公云︰「先至得其國助。」晳謂先至者,結交先至也。言天下者,謂能廣助,則天下可從。
曹公(そうこう)は「先に至った者が、その国の助けを得る」と言った。わたしは、先に至るとは、交わりを結ぶのを先にすることだと見る。天下と言ったのは、助けを広く得られれば天下が従いうるという意味である。
衢地者,地要衝,控帶數道,先據此地,衆必從之,故得之則安,失之則危也。吳王問孫武曰︰「衢地必先,若吾道遠發後,雖馳車驟馬,至不能先,則如之何?」武曰︰「諸侯參屬,其道四通。我與敵相當,而旁有他國。所謂先者,必先重幣輕使,約和旁國,交親結恩,兵雖後至,衆已屬矣。我有衆助,彼失其黨,諸國掎角,震鼓齊攻,敵人驚恐,莫知所當。」
四つ辻の地とは、地が要路となっていて、いくつもの道を握り押さえている所である。この地を先に占めれば衆は必ず従うので、これを得れば安らかで、失えば危うい。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「四つ辻の地は必ず先に至らねばならないが、わが道が遠く出発が後れて、車を駆り馬を走らせても先に至ることができなければ、どうすればよいでしょうか。」武が言った。「諸侯の地が三方で接し、その道は四方に通じています。こちらと敵が相対している所に、傍に他の国があります。いわゆる先にするとは、必ず幣を厚くし使いを軽やかに遣わして、傍の国と和を約し、親しく交わって恩を結ぶことです。兵は後れて至っても、衆はすでに味方についています。こちらには衆の助けがあり、あちらはその党を失うので、諸国が角を突き合わせるように挟み、鼓を震わせて一斉に攻めれば、敵は驚き恐れて、当たるべき所を知りません。」
衢者,四通之地。我所敵者,當其一面,而旁有鄰國,三面相連屬,當往結之,以爲己援。先至者,謂先遣使以重幣約和旁國也。兵雖後至,已得其國助矣。
衢とは四方に通じる地である。こちらが敵とする相手はその一面に当たり、傍に隣の国があって三面が互いに接しているので、行って結び、自分の援けとすべきである。先に至るとは、先に使いを遣わし幣を厚くして傍の国と和を約することをいう。兵は後れて至っても、すでにその国の助けを得たのである。
7重い地
入人之地深,背城邑多者,爲重地。
人の地に深く入り、背後に城や邑が多い所が、重い地である。
注 8
難返之地。
帰るのが難しい地である。
堅志也。白起攻楚,樂毅伐齊,皆爲重地。
志を固めるのである。白起(はくき)が楚(そ)を攻め、楽毅(がくき)が斉(せい)を討ったのが、みな重い地であった。
入人之境已深,過人之城已多,津梁皆爲所恃,要衝皆爲所據,還師返旆,不可得也。
人の境に入ったのがすでに深く、人の城を過ぎたのがすでに多く、渡し場も橋もみな敵の頼むところとなり、要路もみな敵の占めるところとなるので、軍を返し旗を引き返そうとしてもできない。
難返還也。背,去也。「背」與「倍」同。多,道里多也。遠去己城郭,深入敵地,心專意一,謂之重地也。
帰り還るのが難しいのである。「背」は離れることであり、「倍」と同じである。「多い」とは道のりが遠いことである。自分の城郭から遠く離れて敵の地に深く入れば、心は専ら一つになる。これを重い地という。
乘虛而入,涉地愈深,過城已多,津要絶塞,故曰重難之地。
虚に乗じて入り、渡ってきた地がいよいよ深く、過ぎた城がすでに多く、渡し場も要路も断たれふさがれるので、重く難しい地という。
兵至此者,事勢重也。
兵がここに至れば、事の勢が重い。
重地者,入敵已深,國糧難應資給,將士不掠何取?吳王問孫武曰︰「吾引兵深入重地,多所踰越,糧道絶塞。設欲歸還,勢不可過;欲食於敵,持兵不失,則如之何?」武曰︰「凡居重地,士卒輕勇,轉輸不通,則掠以繼食,下得粟帛,皆貢於上,多者有賞,士卒無歸意。若欲還出,卽爲戒備,深溝高壘,示敵且久。敵疑通途,私除要害之道,乃令輕車,銜枚而行,以牛馬爲餌。敵人若出,鳴鼓隨之;陰伏吾士,與之中期,內外相應,其敗可知也。」
重い地とは、敵の地に入ったのがすでに深く、国の糧を送り届けるのが難しいので、将や士が掠めなければ何を得ようか。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「わたしが兵を率いて重い地に深く入り、越えてきた所が多く、糧道が断たれふさがれた。帰ろうとしても勢が通れず、敵から食べながら兵を守って失わないようにするには、どうすればよいか。」武が言った。「およそ重い地にいれば、兵卒は軽やかに勇ましくなるが、運び送るものが通じないので、掠めて食をつなぐ。下の者が粟や帛を得たらみな上に貢がせ、多く貢いだ者に賞を与えれば、兵卒に帰る気がなくなる。帰り出ようとするなら、すぐに守りの備えをし、溝を深く掘り塁を高く築いて、敵に長く留まるように見せる。敵が道を疑えば、ひそかに要害の道を取り除いておき、軽い車に枚を銜ませて行かせ、牛馬を餌とする。敵が出てくれば鼓を鳴らしてこれに随い、わが士をひそかに伏せて時を合わせ、内と外が相応ずれば、その敗れは知れたものである。」
深涉敵境,多過敵城,士卒心專,無有歸志,是難退之地也。司馬景王謂諸葛恪卷甲深入,其鋒不可當是也。
敵の境を深く渡り、敵の城を多く過ぎれば、兵卒の心が専らになって帰る志がなくなるので、これが退きにくい地である。司馬景王(しばけいおう)が、諸葛恪(しょかつかく)は甲を巻いて深く入って来るからその鋒先には当たれないと言ったのが、これである。
8崩れる地
行山林、險阻、沮澤,凡難行之道者,爲圮地。
山林、険阻、沼沢を行くなど、およそ行き難い道が、崩れる地である。
注 5
少固也。
固い所が少ない。
經水所毁曰圮。沮洳圮地,不得久留,宜速去也。
水が過ぎて壊したものを圮という。じめじめした崩れる地では長く留まることができないので、速やかに去るべきである。
水所毁圮,行則猶難,況戰守乎?
水が壊した所は、通るだけでもかえって難しい。まして戦い守ることはどうであろうか。
圮地者,少固之地也,不可爲城壘溝隍,宜速去之。吳王問孫武曰︰「吾入圮地,山川險阻,難從之道,行久卒勞;敵在吾前,而伏吾後;營在吾左,而守吾右;良車驍騎,要吾隘道,則如之何?」武曰︰「先進輕車,去軍十里,與敵相候,接期險阻。或分而左,或分而右;大將四觀,擇空而取,皆會中道,倦而乃止。」
崩れる地とは、固い所が少ない地であり、城や塁や溝や濠を作ることができないので、速やかに去るべきである。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「わたしが崩れる地に入り、山川が険しく従い行きにくい道なので、長く歩いて兵が疲れた。敵はわが前にいながらわが後に伏せ、営はわが左にありながらわが右を守り、良い車と猛々しい騎がわが隘路を遮る。どうすればよいか。」武が言った。「まず軽い車を進め、本軍から十里離して敵をうかがわせ、険阻で時を合わせる。あるものは左へ分け、あるものは右へ分け、大将は四方を見て空いた所を択んで取り、みな中の道で会い、疲れたらそこで止まる。」
險阻、漸洳之地,進退艱難,而無所依。
険阻でじめじめした地は、進退が難しく、依るところがない。
9囲まれた地
所由入者隘,所從歸者迂,彼寡可以擊吾之衆者,爲圍地。
入る道が狭く、帰る道が回り遠く、敵の少数でこちらの多数を撃つことができる所が、囲まれた地である。
注 6
舉動難也。
動きを起こすのが難しい。
出入艱難,易設奇伏覆勝也。
出入りが難しいので、奇と伏を設けて覆して勝ちやすい。
所從入阨險,歸道遠也。持久則糧乏,故敵可以少擊吾衆者,爲圍地也。
入る道が狭く険しく、帰る道が遠い。長く持ちこたえれば糧が乏しくなるので、敵が少数でこちらの多数を撃つことができる所を、囲まれた地という。
山川圍繞,入則隘、歸則迂也。
山と川が囲み巡っていて、入れば狭く、帰れば回り遠い。
圍地,入則隘險,歸則迂回,進退無從,雖衆何用?能爲奇變,此地可由。吳王問孫武曰︰「吾入圍地,前有強敵,後有險難,敵絶我糧道,利我走勢,敵鼓譟不進,以觀吾能,則如之何?」武曰︰「圍地之宜,必塞其闕,示無所往,則以軍爲家,萬人同心,三軍齊力,并炊數日,無見火煙,故爲毁亂寡弱之形。敵人見我,備之必輕。則告勵士卒,令其奮怒,陳伏良卒,左右險阻,擊鼓而出。敵人若當,疾擊務突。我則前鬬後拓,左右掎角也。」又曰︰「敵在吾圍,伏而深謀,示我以利,縈我以旗,紛紜若亂,不知所之,奈何?」武曰︰「千人操旌,分塞要道,輕兵進挑,陳而勿搏,交而勿去。此敗謀之法。」
囲まれた地は、入れば狭く険しく、帰れば回り巡るので、進退する道がなく、衆が多くても何の用があろうか。奇に変ずることができれば、この地も通ることができる。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「わたしが囲まれた地に入ったが、前には強い敵があり、後には険しく難しい所がある。敵はわが糧道を断ち、こちらが走り出る勢を利として、鼓を打ち騒ぎながら進まず、こちらの力をうかがう。どうすればよいか。」武が言った。「囲まれた地で当然なのは、必ずその隙をふさいで行く所がないことを示すことである。そうすれば軍を家として万人が心を一つにし、三軍が力をそろえる。数日分を一度に炊いておいて火も煙も見せず、わざと崩れ乱れ少なく弱い形を作る。敵がこちらを見れば、その備えは必ず軽くなる。そこで兵卒を励まして奮い怒らせ、良い兵卒を左右の険阻に伏せ、鼓を打って出る。敵が立ち向かえば、速く撃って突き抜けることに努める。こちらは前で闘い後で道を開き、左右から角を突き合わせるように挟む。」また問うた。「敵がわが囲みの中にいながら伏せて深く謀り、こちらに利を見せ、旗でこちらを絡め、紛れ乱れたようでどこへ行くのか分からない。どうするか。」武が言った。「千人に旗を持たせて要道を分けてふさぎ、軽い兵を進めて挑みかけ、陣を敷いて組み合わず、出会っても去らない。これが敵の謀を敗る法である。」
前狹後險之地,一人守之,千人莫向,則以奇伏勝。
前が狭く後が険しい地は、一人が守れば千人も向かえないので、奇と伏で勝つ。
10死ぬ地
疾戰則存,不疾戰則亡者,爲死地。
速く戦えば生き、速く戦わなければ亡びる所が、死ぬ地である。
注 8
前有高山,後有大水,進則不得,退則有礙。
前に高い山があり、後に大きな水があって、進んでも得られず、退いても阻まれる所である。
阻山、背水、食盡,利速不利緩也。
山に阻まれ、水を背にし、食が尽きている。速いのが利であり、緩いのは利でない。
衞公李靖曰︰「或有進軍行師,不因鄉導,陷於危敗,爲敵所制。左谷右山,束馬懸車之逕;前窮後絶,鴈行魚貫之巖。兵陳未整,而強敵忽臨,進無所憑,退無所固,求戰不得,自守莫安。駐則日月稽留,動則首尾受敵。野無水草,軍乏資糧,馬困人疲,智窮力極。一人守隘,萬夫莫向。如彼要害,敵先據之,如此之利,我已失守,縱有驍兵利器,亦何以施其用乎?若此死地,疾戰則存,不疾戰則亡。當須上下同心,併氣一力,抽腸濺血,一死於前,因敗爲功,轉禍爲福。」此乃是也。
衛公(えいこう)李靖(りせい)が言った。「軍を進め師を行らせるのに、郷の導き手に因らず、危うく敗れるところに陥って敵に制されることがある。左は谷、右は山で、馬を束ね車を吊らねばならない小道であり、前が窮まり後が絶えて、雁のように列をなし魚のように連なって行かねばならない巌である。兵の陣がまだ整わないうちに強い敵が突然臨めば、進んでも頼るところがなく、退いても固いところがなく、戦いを求めても得られず、自ら守っても安らかでない。留まれば日も月も引き延ばすことになり、動けば首も尾も敵を受ける。野には水も草もなく、軍は資も糧も乏しく、馬は困り人は疲れ、智が窮まり力が極まる。一人が隘路を守れば、万人も向かえない。あの要害を敵が先に占めて、このような利をこちらがすでに失ってしまえば、猛々しい兵と鋭い器があっても、またどこにその用を施せようか。このような死ぬ地では、速く戦えば生き、速く戦わなければ亡びる。まさに上下が心を同じくし、気を併せ力を一つにし、腸を抜き血を散らして、前で一度死ぬ覚悟をし、敗れに因って功を成し、禍を転じて福とせねばならない。」これがまさにそれである。
人在死地,如坐漏船,伏燒屋。
人が死ぬ地にいるのは、漏る舟に座り、燃える家に伏せているようなものである。
左右高山,前後絶澗,外來則易,內出則難;誤居此地,速爲死戰則生;若待士卒氣挫,糧儲又無而持久,不死何待?
左右は高い山、前後は切れ込んだ谷川で、外から入るのは易しく、内から出るのは難しい。誤ってこの地にいることになったなら、速やかに死を賭して戦えば生きる。兵の気が挫け、蓄えた糧もないままに長く持ちこたえるのを待てば、死ぬのを待つほかに何を待とうというのか。
前不得進,後不得退,旁不得走,不得不速戰也。
前へ進むことができず、後へ退くこともできず、傍へ走ることもできないので、速く戦わないわけにはいかない。
死地力戰或生,守隅則死。吳王問孫武曰︰「吾師出境,軍於敵人之地。敵人大至,圍我數重,欲突以出,四塞不通。欲勵士激衆,使之投命潰圍,則如之何?」武曰︰「深溝高壘,示爲守備。安靜勿動,以隱吾能。告令三軍,示不得已。殺牛燔車,以饗吾士。燒盡糧食,填夷井竈,割髮捐冠,絶去生慮。將無餘謀,士有死志。於是,砥甲礪刃,并氣一力,或攻兩旁,震鼓疾譟,敵人亦懼,莫知所當。銳卒分行,疾攻其後。此是失道而求生。故曰︰困而不謀者窮,窮而不戰者亡。」吳王曰︰「若吾圍敵,則如之何?」武曰︰「山峻谷險,難以踰越,謂之窮宼。擊之之法︰伏卒隱廬,開其去道,示其走路。求生透出,必無鬬意,因而擊之,雖衆必破。」《兵法》又曰︰「若敵人在死地,士卒勇氣,欲擊之法︰順而勿抗,陰守其利,必開去道,以精騎分塞要路,輕兵進而誘之,陳而勿戰,敗謀之法也。」
死ぬ地では力を尽くして戦えば生きることもあるが、一隅を守れば死ぬ。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「わが軍が境を出て敵の地に陣を構えた。敵が大挙して来てわたしを幾重にも囲み、突き抜けて出ようとしても四方がふさがって通じない。士を励まし衆を駆り立てて命を投げ出させ、囲みを崩させるには、どうすればよいか。」武が言った。「溝を深く掘り塁を高く築いて、守りの備えをするように見せ、静かにして動かず、こちらの力を隠す。三軍に告げてやむをえぬことを示し、牛を殺し車を焼いてわが士に饗する。糧食をすべて焼き、井戸と竈を埋めて平らにし、髪を切り冠を捨てて、生きる思いを断つ。将に余の謀がなく、士に死ぬ志があるようになれば、そこで甲を研ぎ刃を磨き、気を併せ力を一つにして、あるものは両の傍を攻め、鼓を震わせ急ぎ騒げば、敵もまた懼れて当たるべき所を知らない。鋭い兵卒を分けて行かせ、速くその後を攻める。これが道を失って生きることを求めるということである。だから『困って謀らない者は窮し、窮して戦わない者は亡びる』という。」呉王が言った。「もしわたしが敵を囲んだら、どうすればよいか。」武が言った。「山が峻しく谷が険しくて越え難いのを、窮まった寇という。これを撃つ法は、兵卒を伏せて庵に隠し、その去る道を開き、走り出る路を示すことである。生きることを求めて抜け出れば、必ず闘う意がないので、それに乗じて撃てば、衆が多くても必ず破れる。」兵法にまた「もし敵が死ぬ地にいて兵卒の気が勇ましければ、これを撃つ法は、順って抗わず、その利をひそかに守り、必ず去る道を開き、精しい騎で要路を分けてふさぎ、軽い兵を進めて誘い、陣を敷いて戦わないことである。これが敵の謀を敗る法である」とある。
山川險隘,進退不能,糧絶於中,敵臨於外;當此之際,勵士決戰,而不可緩也。
山川が険しく狭くて進退できず、内では糧が絶え、外では敵が臨む。このような際には、士を励まして決戦すべきであり、緩めてはならない。
11地ごとに違えて処する
是故散地則無戰,輕地則無止,爭地則無攻,交地則無絶,衢地則合交,重地則掠,圮地則行,圍地則謀,死地則戰。
だから、散る地では戦わず、軽い地では留まらず、争う地では攻めず、行き交う地では隊列を断たれず、四つ辻の地では交わりを結び、重い地では掠め、崩れる地では行き過ぎ、囲まれた地では謀り、死ぬ地では戦う。
注 56
恐走散也。
走り散ることが懼れられるのである。
已具其上。
すでに前の文に備えておいた。
地無關闥,卒易散走;居此地者,不可數戰。地形之說,一家之理,若號令嚴明,士卒受服,死且不顧,何散之有?
地に関も扉もないので兵卒が散り走りやすく、この地にいる者はたびたび戦うことができない。地の形について言うのは、一家の理にすぎない。号令が厳しく明らかで兵卒が服するなら、死をも顧みないのであるから、何の散りようがあろうか。
我兵在國,安土懷生,陳則不堅,鬬則不勝,是不可以戰也。
わが兵が自国にいれば、土地を安んじ生きることを思うので、陣を敷いても固まらず、闘っても勝てない。これでは戦うことができない。
決於戰,則懼散。
戦いで決しようとすれば、散ることが懼れられる。
士卒懷生,不可輕戰。吳王問孫武曰︰「散地不可戰,則必固守不出。若敵攻我小城,掠吾田野,禁吾樵採,塞吾要道,待吾空虛而來急攻,則如之何?」武曰︰「敵人深入,專志輕鬬。吾兵安土,陳則不堅,戰則不勝,當集人聚穀,保城備險,輕兵絶其糧道。彼挑戰不得,轉輸不至,野無所掠,三軍困餒,因而誘之,可以有功。若欲野戰,則必因勢,依險設伏;無險則隱於陰晦,出其不意,襲其懈怠。」
兵卒が生きることを思うので、軽々しく戦うことができない。呉王が孫武(そんぶ)に問うた。「散る地で戦えないなら、必ず固く守って出ないことになる。ところが敵がわが小さな城を攻め、わが田野を掠め、わが薪取りや収穫を禁じ、わが要路をふさぎ、こちらが空しくなるのを待って急に攻めて来たら、どうすればよいか。」武が言った。「敵が深く入り込めば、志が専らになって軽々と闘う。わが兵は土地を安んじるので、陣を敷いても固まらず、戦っても勝てない。まさに人を集め穀を集めて、城を保ち険に備え、軽い兵でその糧道を断つべきである。敵は戦いを挑んでも得られず、運び送るものも届かず、野に掠めるものもなく、三軍が困り飢えれば、それに乗じて誘い出せば、功を得ることができる。もし野で戦おうとするなら、必ず勢に因って険に依り伏兵を置き、険がなければ暗がりに隠れ、その不意に出てその怠りを襲う。」
恐逃。
逃げることが懼れられる。
兵法之所謂輕地者,出軍行師,始入敵境,未背險要,士卒思還,難進易退,以入爲難,故曰輕地也,當必選精騎,密有所伏;敵人卒至,擊之勿疑;若是不至,踰之速去。
兵法でいう軽い地とは、軍を出し師を行らせて敵の境に初めて入り、まだ険しい要所を背にできず、兵卒が帰ることを思って進みにくく退きやすく、入ることを難しがる所であり、だから軽い地という。まさに精しい騎を選んでひそかに伏せる所を設け、敵が急に至れば躊躇わずに撃ち、至らなければそこを越えて速やかに去るべきである。
志未堅,不可遇敵。
志がまだ固まっていないので、敵に遭うことができない。
始入敵境,未背險阻,士心不專,無以戰爲,勿近名城,勿由通路,以速進爲利。
敵の境に初めて入り、まだ険阻を背にできず兵卒の心が専らでないので、戦いを事とせず、名のある城に近づかず、通じる路を行かず、速く進むことを利とする。
無故,不當止也。
故もなく留まってはならない。
士卒輕返,不可輒留。吳王曰︰「士卒思還,難進易退,未背險阻,三軍恐懼,則如之何?」武曰︰「軍在輕地,士卒未專,以入爲務,無以戰爲。故無近其名城,無由其通路,設疑佯惑,示若將去。乃選精騎,銜枚先入,掠其六畜。三軍見得,進乃不懼。分吾良卒,密有所伏,敵人若來,擊之勿疑;若其不至,捨之而去。」
兵卒が軽々と帰ろうとするので、たやすく留まることができない。呉王が言った。「兵卒が帰ることを思って進みにくく退きやすく、まだ険阻を背にできず三軍が恐れおののく。どうすればよいか。」武が言った。「軍が軽い地にあれば、兵卒の心はまだ専らでないので、入ることを務めとし、戦いを事としない。だから名のある城に近づかず、通じる路を行かず、疑わしい構えを設けて偽り惑わせ、立ち去ろうとするように見せる。そこで精しい騎を選び、枚を銜ませて先に入らせ、敵の家畜を掠める。三軍が得たものを見れば、進んでも恐れない。わが良い兵卒を分けてひそかに伏せる所を設け、敵が来れば躊躇わずに撃ち、来なければそのままにして去る。」
不當攻,當先至爲利也。
攻めるべきではなく、先に至るのが利である。
敵先居地險,不可攻。
敵が先に険しい地に居を定めていれば、攻めることができない。
無攻者,言敵人若已先得其地,則不可攻也。
攻めるなとは、敵がすでにその地を先に得ていれば攻めることができないという意味である。
形勝之地,先據乎利;敵若已得其處,則不可攻。
形の優れた地は、先に占めるのが利である。敵がすでにその所を得ていれば、攻めることができない。
不當攻而爭之,當後發先至也。吳王曰︰「敵若先至,據要保利,簡兵練卒,或出或守,以備我奇,則如之何?」武曰︰「爭地之法,讓之者得,求之者失。敵得其處,慎勿攻之,引而佯走,建旗鳴鼓,趣其所愛,曳柴揚塵,惑其耳目;分吾良卒,密有所伏,敵必出救,人欲我與,人棄我取。此爭先之道也。若我先至,而敵用此術,則選吾銳卒,固守其所,輕兵追之,分伏險阻,敵人還鬬,伏兵旁起,此全勝之道也。」
攻めて争うべきではなく、後から出て先に至るべきである。呉王が言った。「敵が先に至り、要所を占めて利を保ち、兵を選んで卒を練り、出たり守ったりしてこちらの奇に備えたら、どうすればよいか。」武が言った。「争う地の法は、譲る者が得て、求める者が失う。敵がその所を得たなら、慎んで攻めてはならない。兵を引いて偽り走り、旗を立て鼓を鳴らして敵の愛しむ所へ向かい、柴を引いて塵を揚げ、その耳と目を惑わせる。わが良い兵卒を分けてひそかに伏せる所を設ければ、敵は必ず出て救おうとする。人が欲しがるものはこちらが与え、人が捨てるものはこちらが取る。これが先を争う道である。こちらが先に至ったのに敵がこの術を用いたなら、わが鋭い兵卒を選んでその所を固く守り、軽い兵で追い、険阻に分けて伏せる。敵が引き返して闘えば、伏兵が傍から起こる。これが全く勝つ道である。」
相及屬也。
互いに及び連なるようにする。
不可絶間也。
間を断ってはならない。
川廣地平,四面交戰,須車騎部伍,首尾聯屬,不可使之斷絶,恐敵人因而乘我。
野が広く地が平らであれば、四方で互いに戦うことになるので、車も騎も部隊も首と尾が連なり続いて、断ち切られないようにしなければならない。敵がそれに乗じてこちらを襲うのが懼れられるからである。
可以交結,不可杜絶,絶之致隙。
交わり結ぶことはできるが、塞いで断ってはならない。断てば隙を招く。
相及屬也。俱可進退,不可以兵絶之。
互いに及び連なるのである。双方ともに進退できるので、兵でその道を断つことができない。
道旣錯通,恐其邀截,當令部伍相及,不可斷也。
道がすでに入り組んで通じているので、敵が待ち受けて断つことが懼れられる。まさに部隊の首と尾が互いに及ぶようにして、断たれないようにすべきである。
利糧道也。交相往來之地,亦謂之通地。居高陽以待敵,宜無絶糧道。
糧道を利するのである。互いに行き来する地を、通じる地ともいう。高くて日の当たる所に居を定めて敵を待ち、糧道が絶たれないようにすべきである。
往來交通,不可以兵阻絶其路,當以奇伏勝也。吳王曰︰「交地吾將絶敵,使不得來,必令吾邊城修其守備,深絶通道,固其隘塞。若不先圖之,敵人已備,彼可得而來,吾不得而往,衆寡又均,則如之何?」武曰︰「旣我不可以往,彼可以來,則分卒匿之,守而易怠,示其不能。敵人且至,設伏隱廬,出其不意。」
行き来して通じる所なので、兵でその路を遮り断つことができず、まさに奇と伏で勝つべきである。呉王が言った。「行き交う地でこちらが敵を断って来られないようにするには、必ずわが辺境の城に守りの備えを修めさせ、通じる道を深く断ち、その隘路と塞を固めねばならない。先に図らず、敵がすでに備えて、敵は来ることができこちらは行くことができず、多少もまた等しければ、どうすればよいか。」武が言った。「こちらが行くことができず、敵が来ることができるようになったなら、兵卒を分けて隠し、守りながら怠っているように見せ、できないふうを示す。敵が至ろうとするとき、伏兵を設けて隠し、その不意に出る。」
結諸侯也。
諸侯と交わりを結ぶ。
結行也。
交わりを結ぶのである。
諸侯,卽上文云旁國也。
諸侯とは、すなわち前の文でいう傍の国である。
得交則安,失交則危也。
交わりを得れば安らかで、交わりを失えば危うい。
地雖四通,何以得天下之助?當以重幣合。
地が四方に通じていても、何によって天下の助けを得よう。まさに厚い幣で結ぶべきである。
四通之境,非交援不強。
四方に通じる地では、交わって援け合わなければ強くならない。
四通之地,先交結旁國也。吳王曰︰「衢地貴先。若吾道遠而發後,雖馳車驟馬,至不得先,則如之何?」武曰︰「諸侯參屬,其道四通。我與敵相當,而旁有他國。所謂先者,必重幣輕使,約和旁國,交親結恩,兵雖後至,衆已屬矣。簡兵練卒,阻利而處,我有衆助,彼失其黨,諸國掎角,敵人莫當。」
四方に通じる地では、まず傍の国と交わり結ぶ。呉王が言った。「四つ辻の地では先にすることを貴ぶ。わが道が遠く出発が後れれば、車を駆り馬を走らせても先に至ることができない。どうすればよいか。」武が言った。「諸侯が入り混じって接し、その道は四方に通じている。こちらと敵が相対し、傍に他の国がある。いわゆる先にするとは、必ず幣を厚くし使いを軽やかに遣わして、傍の国と和を約し、親しく交わって恩を結ぶことである。そうすれば兵は後れて至っても、衆はすでに味方についている。兵を選んで卒を練り、利のある所に拠って構えれば、こちらには多くの助けがあり、敵はその党を失い、諸国が角を突き合わせるように挟むので、敵は当たることができない。」
畜積糧食也。
糧食を蓄え積む。
深入敵境,不可非義,失人心也。漢高祖入秦,無犯婦女,無取寶貨,得人心如此。筌以「掠」字爲「無掠」字。
敵の境に深く入ってからは義に外れたことをしてはならない。人の心を失うからである。漢の高祖(こうそ)が秦(しん)に入って婦女を犯さず宝貨を取らず、人の心を得たのがこのとおりである。わたしは「掠める(掠)」の字を「掠めない(無掠)」と読む。
言居於重地,進未有利,退復不得,則須運糧,爲持久之計以伺敵也。
重い地にいて、進んでも利がなく、退くこともできなければ、糧を運び、長く持ちこたえる計を立てて敵をうかがうという意味である。
因糧於敵也。
敵から糧を得るのである。
去國旣遠,多背城邑,糧道必絶,則掠畜積以繼食。
国を離れたのがすでに遠く、背後に城や邑が多いので糧道が必ず断たれる。だから蓄えを掠めて食をつなぐ。
深入敵境,則掠其饒野,以豐儲也。難地,食少則危。
敵の境に深く入れば、豊かな野を掠めて蓄えを豊かにする。難しい地では食が少なければ危うい。
深入敵境,饋餉不繼,當勵士掠食,以備其乏也。吳王曰︰「重地多逾城邑,糧道絶塞,設欲歸還,勢不可過,則如之何?」武曰︰「凡居重地,士卒輕勇,轉輸不通,則掠以繼食。下得粟帛,皆貢於上,多者有賞。若欲還出,深溝高壘,示敵且久。敵疑通途,私除要害,乃令輕車,銜枚而行,揚其塵埃,餌以牛馬。敵人若出,鳴鼓隨之;陰伏吾士,與之中期,內外相應,其敗可知。」
敵の境に深く入って糧の送りが続かなければ、まさに士を励まして食を掠め、その乏しさに備えるべきである。呉王が言った。「重い地では越えてきた城や邑が多く、糧道が断たれふさがり、帰ろうとしても勢が通れない。どうすればよいか。」武が言った。「およそ重い地にいれば、兵卒は軽やかに勇ましくなるが、運び送るものが通じないので、掠めて食をつなぐ。下の者が粟や帛を得たらみな上に貢がせ、多く貢いだ者に賞を与える。帰り出ようとするなら、溝を深く掘り塁を高く築いて、敵に長く留まるように見せる。敵が道を疑えば、ひそかに要害を取り除いておき、軽い車に枚を銜ませて行かせ、その塵埃を揚げ、牛馬を餌とする。敵が出てくれば鼓を鳴らしてこれに随い、わが士をひそかに伏せて時を合わせ、内と外が相応ずれば、その敗れは知れたものである。」
無稽留也。
とどこおり留まらない。
不可爲溝隍,宜急去之。
溝や濠を作ることができないので、急いで去るべきである。
旣毁圮不可依止,則當速行,勿稽留也。
すでに崩れていて依り留まることができないので、まさに速やかに行き過ぎ、引き延ばしてはならない。
合聚軍衆,圮無舍止。
軍の衆を集め合わせるが、崩れる地では宿り留まらない。
難行之地,不可稽留也。吳王曰︰「山川險阻,難從之道,行久卒勞;敵在吾前,而伏吾後;營在吾左,而守吾右;良車驍騎,要吾隘道,則如之何?」武曰︰「先進輕車,去軍十里,與敵相候,接期險阻。或分而左,或分而右;大將四觀,擇空而取,皆會中道,倦而乃止。」
行き難い地では、引き延ばして留まることができない。呉王が言った。「山川が険阻で従い行きにくい道なので、長く歩いて兵が疲れた。敵はわが前にいながらわが後に伏せ、営はわが左にありながらわが右を守り、良い車と猛々しい騎がわが隘路を遮る。どうすればよいか。」武が言った。「まず軽い車を進め、本軍から十里離して敵をうかがわせ、険阻で時を合わせる。あるものは左へ分け、あるものは右へ分け、大将は四方を見て空いた所を択んで取り、みな中の道で会い、疲れたらそこで止まる。」
發奇謀也。
思いがけぬ謀を出す。
智者不困。
智のある者は行き詰まらない。
難阻之地,與敵相持,須用奇險詭譎之計。
難しく阻まれた地で敵と持ちこたえ合うときは、奇で険しく偽り欺く計を用いねばならない。
居此,當權謀詐譎,可以免難。
ここにいれば、まさに謀を権り偽り欺くべきで、そうしてこそ難を免れることができる。
前有隘,後有險,歸道又迂,則發謀慮以取勝。
前に隘路があり、後に険しい所があり、帰る道もまた回り遠いので、謀と思慮を出して勝ちを取る。
難以力勝,易以謀取也。吳王曰︰「前有強敵,後有險難,敵絶我糧道,利我走勢,彼鼓譟不進,以觀吾能,則如之何?」武曰︰「圍地必塞其闕,示無所往,則以軍爲家,萬人同心,三軍齊力,并炊數日,無見火煙。故爲毁亂寡弱之形。敵人見我,備之必輕。則告勵士卒,令其奮怒,陳伏良卒,左右險阻,擊鼓而出。敵人若當,疾擊務突。則前鬬後拓,左右掎角。」
力で勝つのは難しく、謀で取るのは易しい。呉王が言った。「前には強い敵があり、後には険しく難しい所がある。敵はわが糧道を断ち、こちらが走り出る勢を利として、鼓を打ち騒ぎながら進まず、こちらの力をうかがう。どうすればよいか。」武が言った。「囲まれた地では必ずその隙をふさいで行く所がないことを示す。そうすれば軍を家として万人が心を一つにし、三軍が力をそろえる。数日分を一度に炊いておいて火も煙も見せず、わざと崩れ乱れ少なく弱い形を作る。敵がこちらを見れば、その備えは必ず軽くなる。そこで兵卒を励まして奮い怒らせ、良い兵卒を左右の険阻に伏せ、鼓を打って出る。敵が立ち向かえば、速く撃って突き抜けることに努め、前で闘い後で道を開き、左右から角を突き合わせるように挟む。」
殊死戰也。
死を決して戦う。
殊死戰,不求生矣。
死を覚悟して戦い、生きることを求めない。
陷在死地,則軍中人人自戰,故曰「置之死地而後生」也。
死ぬ地に陥れば、軍中の人が一人一人自ら戦うので、「死ぬ地に置いてのちに生きる」と言うのである。
力戰或生,守隅則死。
力を尽くして戦えば生きることもあるが、一隅を守れば死ぬ。
前後左右,無所之,示必死,人人自戰也。
前も後も左も右も行く所がないので、必ず死ぬと示せば、人は一人一人自ら戦う。
陷在死地,則人自爲戰。吳王曰︰「敵人大至,圍我數重,欲突以出,四塞不通,欲勵士激衆,使之投命,則如之何?」武曰︰「深溝高壘,安靜勿動;告令三軍,示不得已;殺牛燔車,以饗吾士;燒盡糧食,填夷井竈;割髮捐冠,絶去生慮;砥甲礪刃,并氣一力。或攻兩旁,震鼓疾譟,敵人亦懼,莫知所當。銳卒分行,疾攻其後。此是失道而求生,故曰︰困而不謀者窮,窮而不戰者亡。」
死ぬ地に陥れば、人は自ら進んで戦う。呉王が言った。「敵が大挙して来てわたしを幾重にも囲み、突き抜けて出ようとしても四方がふさがって通じない。士を励まし衆を駆り立てて命を投げ出させるには、どうすればよいか。」武が言った。「溝を深く掘り塁を高く築き、静かにして動かない。三軍に告げてやむをえぬことを示し、牛を殺し車を焼いてわが士に饗し、糧食をすべて焼き、井戸と竈を埋めて平らにし、髪を切り冠を捨てて生きる思いを断ち、甲を研ぎ刃を磨いて気を併せ力を一つにする。あるものは両の傍を攻め、鼓を震わせ急ぎ騒げば、敵もまた懼れて当たるべき所を知らない。鋭い兵卒を分けて行かせ、速くその後を攻める。これが道を失って生きることを求めるということであり、だから『困って謀らない者は窮し、窮して戦わない者は亡びる』という。」
12古の兵を用いることに巧みな者
所謂古之善用兵者,能使敵人前後不相及,衆寡不相恃,貴賤不相救,上下不相收,卒離而不集,兵合而不齊。
いわゆる古の兵を用いることに巧みな者は、敵の前と後が互いに及ばないようにし、多い方と少ない方が互いに頼り合えないようにし、貴い者と賤しい者が互いに救えないようにし、上と下が互いに収め合えないようにし、兵卒が離れて集まれず、兵が合しても整わないようにすることができた。
注 10
設奇衝掩。
奇を設けて前を衝き後を掩う。
驚撓之也。
驚かせ揺るがすのである。
散亂也。
散り乱れるのである。
倉惶也。
慌てうろたえるのである。
設變以疑之,救左則擊其右,惶亂不暇計。
変わる構えを設けて敵を疑わせ、左を救えばその右を撃つので、慌てうろたえ乱れて計る暇がない。
多設變詐,以亂敵人,或衝前掩後,或驚東擊西,或立僞形,或張奇勢,我則無形以合戰,敵則必備而衆分。使其意懾離散,上下驚擾,不能和合,不得齊集。此善用兵也。
変化と偽りを多く設けて敵を乱す。あるときは前を衝き後を掩い、あるときは東を驚かせて西を撃ち、あるときは偽りの形を立て、あるときは奇の勢を張る。こちらは形なきまま戦いに入り、敵は必ず備えのために衆を分ける。その意が怯んで離れ散り、上も下も驚き騒いで、和し合うことができず、整って集まることもできないようにする。これが兵を用いることに巧みなことである。
多設疑事,出東見西,攻南引北,使彼狂惑散擾,而集聚不得也。
疑わしい事を多く設け、東に出て西に見せ、南を攻めて北に引き、敵が惑い乱れて散り騒ぎ、集まり合えないようにする。
或已離而不能集,或雖合而不能齊。
あるときはすでに離れて集まれず、あるときは合しても整うことができない。
將有優劣則然,要在於奇正相生、手足相應也。
将に優劣があればそうなる。肝要なのは、奇と正が互いに生じ、手と足が互いに応ずることにある。
出其不意,掩其無備,驍兵銳卒,猝然突擊。彼救前則後虛,應左則右隙。使倉惶散亂,不知所禦,將吏士卒,不能相赴。其卒已散而不復聚,其兵雖合而不能一。
その不意に出て、備えのない所を掩い、猛々しく鋭い兵卒で突然に突き撃つ。敵が前を救えば後が虚しくなり、左に応ずれば右に隙ができる。慌てうろたえ散り乱れて、何を防ぐべきかも分からないようにし、将も吏も士卒も互いに駆けつけられないようにする。その兵卒はすでに散って再び集まらず、その兵は合しても一つになれない。
13利があれば動く
合於利而動,不合於利而止。
利に適えば動き、利に適わなければ止まる。
注 4
暴之使離,亂之使不齊,動兵而戰。
さらし出して離れさせ、乱して整わないようにし、そのうえで兵を動かして戦う。
撓之,令見利乃動,不亂則止。
敵を揺るがし、利が見えれば動き、乱れなければ止まる。
然能使敵若此,當須有利則動,無利則止。
敵をこのようにさせることができても、まさに利があれば動き、利がなければ止まるべきである。
彼雖驚擾,亦當有利則動,無利則止。
敵が驚き騒いでいても、やはり利があれば動き、利がなければ止まるべきである。
14あえて問う
敢問︰敵衆整而將來,待之若何?
あえて問う。敵が多く整ったまま来たなら、どのように待つのか。
注 3
或問也。
誰かが問うたのである。
此設疑以自問。言敵人甚衆,將又嚴整,我何以待之耶?
これは疑いを立てて自ら問うたのである。敵がはなはだ多く、将もまた厳しく整っていれば、こちらは何をもって待つのかという意味である。
前所陳者,須兵衆相敵,然後可爲。故或人問武曰︰「彼兵衆於我,而又整肅,則以何術待之也?」
前に述べたことは、兵の数が互いに釣り合ってのちにできることである。だからある人が武(ぶ)に問うた。「敵の兵がこちらより多く、しかも整い厳かであれば、どのような術で待つのか。」
15愛しむところを先に奪う
曰︰先奪其所愛,則聽矣。
答える。敵の愛しむところを先に奪えば、こちらの思うように従って来る。
注 7
奪其所恃之利。若先據利地,則我所欲必得也。
敵が頼んでいる利を奪い取る。利のある地を先に占めれば、こちらの望むところを必ず得る。
孫子故立此問者,以此爲祕要也。所愛,謂敵所便愛也,或財帛子女,吾先困辱之,則敵進退皆聽也。
孫子(そんし)がわざわざこの問いを立てたのは、これを秘めた肝要としたからである。「愛しむところ」とは、敵が便として愛しむものをいい、財や帛、子や女などである。こちらが先にそれを困らせ辱めれば、敵は進退ともにこちらの思うように従う。
據我便地,略我田野,利其糧道,斯三者,敵人之所愛惜倚恃者也;若能俱奪之,則敵人雖強,進退勝敗皆須聽我也。
敵がこちらに便な地を占めること、わが田野を掠めること、自分の糧道を利に用いること、この三つは敵が愛しみ惜しみ頼りとするところである。この三つをみな奪うことができれば、敵が強くても、進退も勝敗もみなこちらの思うように従う。
愛者,不止所恃利,但敵人所顧之事,皆可奪也。
愛しむものとは、頼りとする利だけに留まらない。敵が顧みる事であれば、みな奪うことができる。
當先奪其所顧愛,則我志得行,然後使其驚撓散亂,無所不至也。
まさに敵が顧み愛しむものを先に奪えば、こちらの志を行うことができ、そのうえで敵を驚かせ揺るがし散り乱れさせて、至らぬ所がなくなる。
先據利地,以奇兵絶其糧道,則如我之謀也。
利のある地を先に占め、奇兵で敵の糧道を断てば、こちらの謀どおりになる。
武曰︰「敵所愛者,便地與糧食耳;我先奪之,則無不從我之計。」
武(ぶ)が言った。「敵が愛しむものは、便な地と糧食だけである。こちらが先にそれを奪えば、こちらの計に従わないことはない。」
16兵の情は速さを第一とする
兵之情主速,乘人之不及,由不虞之道,攻其所不戒也。
兵の情は速さを第一とする。敵が間に合わないところに乗じ、思いもよらぬ道を通り、敵が警戒していない所を攻める。
注 8
孫子應難以覆陳兵情也。
孫子が問いに答えて、兵の情を重ねて述べたのである。
不虞不戒,破敵之速。
思いもよらず警戒もしていない所を攻めるのが、敵を破る速い道である。
此統言兵之情狀,以乘敵間隙,由不虞之道,攻其不戒之處。此乃兵之深情,將之至事也。
これは兵の情のありさまを総じて言ったのであり、敵の間隙に乗じ、思いもよらぬ道を通って、警戒していない所を攻めることである。これこそ兵の深い情であり、将の至極の事である。
此言乘敵人有不及、不虞、不戒之便,則須速進,不可遲疑也。蓋孫子之旨,言用兵貴疾速也。
これは、敵に間に合わず、思いもよらず、警戒もしていない便があれば、速やかに進むべきで、遅れ疑ってはならないという意味である。おおよそ孫子(そんし)の趣旨は、兵を用いるには疾く速いことを貴ぶということである。
兵機貴速,當乘人之不備。乘人之不備者,行不虞之道,攻不戒之所也。
兵の機は速さを貴ぶので、まさに敵が備えていない隙に乗ずべきである。敵が備えていない隙に乗ずるとは、思いもよらぬ道を行き、警戒していない所を攻めることである。
兵上神速,奪愛尤當然也。
兵は神のごとく速いことを上とするので、愛しむものを奪うことではなおさらそうである。
如蜀將孟達之降魏,魏朝以達領新城太守。達復連吳固蜀,潛圖中國。謀洩,司馬宣王秉政,恐達速發,以書紿達以安之。達得書,猶與不決。宣王乃潛軍進討。諸將皆言達與二賊交構,宜審察而後動。宣王曰︰「達無信義,此其相疑之時也;當及其未定,往討之。」乃倍道兼行,八日到其城下。吳、蜀各遣其將,向西城安橋、木闌塞以救達,宣王分諸將拒之。初,達與諸葛亮書曰︰「宛去洛八百里,去吾一千一百里,聞吾舉事,當表上天子,比相反覆,一月間也,則吾城已固,諸軍足辦。所在深險,司馬公必不自來;諸將來,吾無患矣。」及兵到,達又告亮曰︰「吾舉事八日,而兵至城下,何其神速也!」上庸城三面阻水,達於城下爲木栅以自固。宣王渡水,破其栅,直造城下,八道攻之。旬有六日,達甥鄧賢、將李輔等開門出降,遂斬達。李靖征蕭銑,集兵於夔州。銑以時屬秋潦,江水泛漲,三峽路陷,必謂靖不能進,遂休兵不設備。九月,靖乃率師而進。將下峽,諸將皆請停兵待水退,靖曰︰「兵貴神速,機不可失。今兵始集,銑尚未知。若乘水漲之勢,倐忽至城下,所謂疾雷不及淹耳,此兵家上策。縱彼知我,倉卒徵兵,無以應敵,此必成擒也。」遂降蕭銑。《衞公兵法》曰︰「兵用上神,戰貴其速,簡練士卒,申明號令,曉其目以麾幟,習其耳以鼓金,嚴賞罰以誡之,重芻豢以養之,浚溝壍以防之,指山川以導之,召才能以任之,述奇正以教之。如此,則雖敵人有雷電之疾,而我則有所待也。若兵無先備,則不應卒;卒不應,則失於機;失於機,則後於事;後於事,則不制勝而軍覆矣。」故《呂氏春秋》云︰「凡兵者,欲急捷,所以一決取勝,不可久而用之矣。」或曰︰兵之情雖主速,乘人之不及。然敵將多謀,戎卒輯睦,令行禁止,兵利甲堅,氣銳而嚴,力全而勁,豈可速而犯之邪?答曰︰若此,則當卷迹藏聲,蓄盈待竭,避其鋒勢,與其持久,安可犯之哉?廉頗之拒白起,守而不戰;宣王之抗武侯,抑而不進是也。
蜀(しょく)の将の孟達(もうたつ)が魏(ぎ)に降り、魏の朝廷が達に新城(しんじょう)の太守を領させた例のとおりである。達はまた呉(ご)と結び蜀と固く通じ、ひそかに中国を図った。謀が漏れると、政を執っていた司馬宣王(しばせんおう)は達が速く事を起こすのを恐れ、書を送って偽り安心させた。達は書を得てもなお躊躇って決しなかった。宣王はそこでひそかに軍を出して進み討った。諸将はみな、達は二つの賊と結び合っているのだから、よく察してのちに動くべきだと言った。宣王が言った。「達には信も義もない。いまこそ彼らが互いに疑っている時である。まさにその定まらぬうちに、行って討つべきである。」そこで道を倍にして昼夜行き、八日でその城の下に至った。呉と蜀がそれぞれ将を遣わし、西城(せいじょう)の安橋(あんきょう)と木闌塞(もくらんさい)へ向かって達を救おうとしたが、宣王は諸将を分けてこれを防いだ。先に達は諸葛亮(しょかつりょう)に書を送って言った。「宛(えん)は洛陽(らくよう)から八百里、わたしからは千百里である。わたしが事を起こしたと聞いて天子に上表し、やり取りを重ねるだけで一月はかかるから、その時にはわが城はすでに固く、諸軍も十分に備わる。いる所が深く険しいので、司馬公が自ら来ることは必ずあるまい。諸将が来るなら、わたしに憂いはない。」兵が至ると、達はまた亮に告げた。「わたしが事を起こして八日で、兵が城の下に至った。なんと神のごとく速いことか。」上庸城(じょうようじょう)は三面を水に阻まれていたので、達は城の下に木の柵を立てて自ら固めた。宣王は水を渡ってその柵を破り、まっすぐ城の下に至って八つの道から攻めた。十六日目に、達の甥の鄧賢(とうけん)と将の李輔(りほ)らが門を開いて出て降り、ついに達は斬られた。李靖(りせい)が蕭銑(しょうせん)を征したとき、夔州(きしゅう)に兵を集めた。銑は時が秋の長雨にあたって江水があふれ、三峡の路が崩れているので、靖が進めるはずがないと思い、兵を休ませて備えを設けなかった。九月、靖は師を率いて進んだ。峡を下ろうとすると、諸将がみな兵を止めて水の退くのを待つよう請うた。靖が言った。「兵は神のごとく速いことを貴び、機は失ってはならない。いま兵はちょうど集まったばかりで、銑はまだ知らない。水があふれる勢に乗じて、たちまち城の下に至れば、いわゆる疾い雷には耳をふさぐ暇もないというもので、これが兵家の上策である。たとえ敵がこちらを知っても、慌てて兵を徴しても敵に応じようがないから、これは必ず擒にできる。」そしてついに蕭銑を降した。『衛公兵法』に言う。「兵を用いるには神のごときを上とし、戦いにはその速さを貴ぶ。士卒を選び練り、号令を申し明らかにし、麾と幟でその目を慣らし、鼓と金でその耳を慣らし、賞罰を厳しくして戒め、飼い葉と肉を厚くして養い、溝と壕を深くして防ぎ、山川を指して導き、才能ある者を召して任じ、奇と正を述べて教える。このようにすれば、敵に雷電のような疾さがあっても、こちらには待つところがある。もし兵に先の備えがなければ、急な事に応じられない。急な事に応じられなければ機を失う。機を失えば事に後れる。事に後れれば勝ちを制することができず、軍は覆る。」だから『呂氏春秋』に「およそ兵というものは急で捷いことを欲する。一度の決で勝ちを取るためのものであり、長く引いて用いることはできない」とある。ある人が言った。「兵の情は速さを第一とし、敵が間に合わないところに乗ずるというが、敵の将が謀に富み、兵卒が睦み合い、令が行われ禁が守られ、兵器が鋭く甲が固く、気が鋭く厳しく、力が全く強ければ、どうして速さで犯せようか。」答えて言う。「それならば、まさに跡を巻き声を隠し、満ちたものを蓄えて敵の尽きるのを待ち、その鋒の勢を避けて長く持ちこたえるべきである。どうして犯せようか。廉頗(れんぱ)が白起(はくき)を防いで守り戦わなかったこと、宣王が武侯(ぶこう)に抗して抑え進まなかったことが、これである。」
復謂或人曰︰用兵之理,惟尚神速。所貴乎速者,乘人之倉卒,使不及爲備也。出兵於不虞之徑,以掩其不戒,故敵驚擾散亂,而前後不相及,衆寡不相待也。
重ねてその人に言う。兵を用いる理は、ただ神のごとき速さを尚ぶだけである。速さを貴ぶわけは、敵の慌てるところに乗じて、備える暇をなくさせることにある。思いもよらぬ径から兵を出して、警戒していない所を掩うので、敵は驚き騒いで散り乱れ、前と後が互いに及ばず、多い方と少ない方が互いに待ち合えなくなる。
17客となる道
凡爲客之道︰深入則專,主人不克;掠於饒野,三軍足食;謹養而勿勞,併氣積力;運兵計謀,爲不可測。
およそ客となる道はこうである。深く入れば心が専らになり、主人は勝つことができない。肥えた野で掠めれば、三軍は十分に食える。慎んで養い労れさせないで、気を併せ力を積む。兵を運び謀を計るのに、測りようのないようにする。
注 12
夫爲客,深入則志堅,主人不能禦也。
そもそも客となって深く入れば志が固まるので、主人は防ぐことができない。
言大凡爲攻伐之道,若深入敵人之境,士卒有必死之志,其心專一,主人不能勝我也。克者,勝也。
およそ攻め討つ道は、敵の境に深く入れば兵卒に必ず死ぬという志があって、その心が専ら一つになるので、主人はこちらに勝つことができないという意味である。「克」とは勝つことである。
爲客者,入人之地深,則士卒專精,主人不能克我。
客となる者が人の地に深く入れば、兵卒の心が専らになり精しくなるので、主人はこちらに勝つことができない。
深涉敵境,士卒心專,則爲主者不能勝也,客在重地,主在輕地故耳。趙廣武君謂韓信去國遠鬬,其鋒不可當是也。
敵の境を深く渡り、兵卒の心が専らになれば、主たる者は勝つことができない。客は重い地にあり、主は軽い地にあるからにすぎない。趙(ちょう)の広武君(こうぶくん)が、韓信(かんしん)は国を離れて遠くで闘うのだからその鋒先には当たれないと言ったのが、これである。
饒野多稼穡。
肥えた野には取り入れる穀が多い。
養士併氣,運兵爲不可測度之計。
士を養って気を併せ、兵を運んで測りようのない計とする。
氣盛力積,加之以謀慮,則非敵之可測。
気が盛んで力が積まれたうえに謀と思慮を加えれば、敵が測れるものではない。
斯言深入敵人之境,須掠田野,使我足食,然後閉壁養之,勿使勞苦,氣全力盛,一發取勝,動用變化,使敵人不能測我也。
これは、敵の境に深く入れば田野を掠めてこちらが十分に食えるようにし、そのうえで壁を閉じて養い、労苦させないで気が全く力が盛んになれば、一度に発して勝ちを取り、動きと用いようを変化させて、敵がこちらを測れないようにするという意味である。
所處之野,須水草便近,積蓄不乏,謹其來往,善撫士卒。王翦伐楚,楚人挑戰,翦不出,勤於撫御,并兵一力。聞士卒投石爲戲,知其養勇思戰,然後用之,一舉遂滅楚。但深入敵境,未見可勝之利,則須爲此計。
構える野は、水と草が近くて便であり、蓄えが乏しくないようにし、その行き来を慎み、士卒をよく撫でなければならない。王翦(おうせん)が楚(そ)を討ったとき、楚の人が戦いを挑んでも翦は出ず、撫で御することに努めて兵を集め力を一つにした。兵卒が石を投げて戯れていると聞いて、勇が養われて戦いを思っていると知ってはじめてこれを用い、一度起ってついに楚を滅ぼした。ただし敵の境に深く入って、まだ勝ちうる利が見えないときに、この計を用いるべきである。
掠其富饒,以足軍食,息人之力,并兵爲不可測之計。
その富み肥えた所を掠めて軍の食を十分にし、人の力を休ませ、兵を併せて測りようのない計を立てる。
謹養,謂撫循飲食周謹之也。并銳氣,積餘力,形藏謀密,使敵不測,俟其有可勝之隙,則進之。
「慎んで養う」とは、撫でいたわり飲み食いさせることを行き渡って慎むことをいう。鋭い気を併せ、余る力を積み、形を隠し謀を密にして敵が測れないようにし、勝ちうる隙ができるのを待って進む。
兵在重地,須掠糧於富饒之野,以豐吾食;乃堅壁自守,勤撫士卒,勿任以勞苦。令氣盛而力全,常爲不可測度之計。伺敵可擊,則一舉而克。王翦伐荊,常用此術。
兵が重い地にあれば、富み肥えた野で糧を掠めてこちらの食を豊かにすべきである。そして壁を固めて自ら守り、士卒を勤めて撫で、労苦を負わせない。気が盛んで力が全くなるようにし、常に測りようのない計を立てる。敵をうかがって撃てるとなれば、一度起って勝つ。王翦(おうせん)が荊(けい)を討ったとき、常にこの術を用いた。
18行く所がなければ死んでも背を向けない
投之無所往,死且不北;死焉不得,士人盡力。
行く所のないところへ投げ入れれば、死んでも背を向けない。死をも覚悟するのだから、何を得られないことがあろうか。士も人も力を尽くす。
注 14
能得其力者,投之無往之地。
その力を得られるのは、行く所のない地へ投げ入れるからである。
投之無所往,謂前後進退皆無所之,士以此皆求力戰,雖死不北也。
行く所のないところへ投げ入れるとは、前後にも進退にも行く所がないことをいう。士はこれによってみな力を尽くして戦うことを求めるので、死んでも背を向けない。
置在必戰之地,知死而不退走。
必ず戦わねばならない地に置けば、死ぬと知っていても退き走らない。
置之危地,左右前後皆無所往,則守戰至死,而不奔北矣。
危うい地に置いて、左も右も前も後もみな行く所がなければ、死ぬまで守り戦って、逃げ敗れることがない。
士死,安不得也。
士が死を覚悟するのだから、どうして得られないことがあろうか。
言士必死,安有不得勝之理?
士が必ず死ぬ覚悟をすれば、どうして勝てない理があろうかという意味である。
士死,無不得也。
士が死を覚悟すれば、得られないものはない。
兵焉得不用命?
兵がどうして命を使わないことがあろうか。
士卒死戰,安不得志?《尉繚子》曰︰「一賊仗劒擊於市,萬人無不避之者,非一人之獨勇,萬人皆不肖也,必死與必生不侔也。」
士卒が死を賭して戦えば、どうして志を得られないことがあろうか。『尉繚子』に「一人の賊が剣を手にして市で切りかかれば、万人がこれを避けない者はない。一人だけが勇ましく万人がみな劣っているからではない。必ず死ぬ覚悟と必ず生きようとする思いが、等しくないからである」とある。
在難地,心并也。
難しい地にいるので、心が一つになる。
士安得不竭力以赴戰?
士がどうして力を尽くして戦いに赴かないことがあろうか。
人在死地,豈不盡力?
人が死ぬ地にいて、どうして力を尽くさないことがあろうか。
獸困猶鬬,烏窮則啄,況靈萬物者人乎?
獣も窮まればなお闘い、鳥も窮まれば啄む。まして万物のうちで霊妙な人はどうであろうか。
同在難地,安得不共竭其力?
ともに難しい地にいるのだから、どうしてみな共にその力を尽くさないことがあろうか。
19窮まれば死を賭して戦う
兵士甚陷則不懼,無所往則固,深入則拘,不得已則鬬。
兵士はひどく陥れば恐れず、行く所がなければ固まり、深く入れば縛られ、やむをえなくなれば闘う。
注 14
陷於危險,勢不獨死,三軍同心,故不懼也。
危険に陥って、勢いとして自分だけが死ぬのではなく三軍が心を同じくするので、恐れないのである。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
陷之難地則不懼,不懼則鬬志堅也。
難しい地に陥れれば恐れず、恐れなければ闘う志が固まる。
陷在危亡之地,人持必死之志,豈復畏敵也?
危うく亡びる地に陥れば、人は必ず死ぬという志を抱くのだから、どうしてさらに敵を畏れようか。
拘,縛也。
拘とは、縛られることである。
固,堅也。
「固」とは固まることである。
往,走也。言深入敵境,走無生路,則人心堅固,如拘縛者也。
「往」とは走り逃げることである。敵の境に深く入って、走っても生きる路がなければ、人の心が固まって、縛られた者のようになるという意味である。
投無所往,則自然心固;入深,則自然志專也。
行く所のないところへ投げ入れれば、自然に心が固まり、深く入れば、自然に志が専らになる。
動無所之,人心堅固;兵在重地,走無所適,則如拘係也。
動いても行く所がなければ、人の心が固まる。兵が重い地にあって、走っても行く所がなければ、縛られ繋がれたようになる。
人窮則死戰也。
人が窮まれば死を賭して戦う。
決命。
命を決するのである。
不得已者,皆疑陷在死地,必不生;以死救死,盡不得已也,則人皆悉力而鬬也。
やむをえないとは、みな死ぬ地に陥って必ず生きられないと思い、死で死を救うのだから、すべてやむをえないのである。そうなれば人はみな力を尽くして闘う。
梅堯臣、何氏同杜牧《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)と何氏(かし)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
勢不獲已,須力鬬也。
勢がやむをえなくなるので、力を尽くして闘わねばならない。
20命じなくても行う
是故,其兵不修而戒,不求而得,不約而親,不令而信,禁祥去疑,至死無所之。
だからその兵は、整え直さなくても戒め、求めなくても得られ、約を交わさなくても親しみ、命じなくても信がある。怪しげな兆しの言を禁じ、疑いを去れば、死に至るまで逃げ去る所がない。
注 13
不求索其意,自得力也。
その意をわざわざ探り求めなくても、自ずからその力が得られる。
投之必死,不令而得其用也。
必ず死ぬ所へ投げ入れれば、命じなくてもその用が得られる。
此言兵在死地,上下同志,不待修整而自戒懼,不待收索而自得心,不待約令而自親信也。
これは、兵が死ぬ地にあれば上と下が志を同じくし、整え直すのを待たずに自ら戒め懼れ、収め求めるのを待たずに自ら心を得、約し命じるのを待たずに自ら親しみ信ずるという意味である。
不求其勝,而勝自得也。
勝ちを求めなくても、勝ちが自ずから得られる。
不修而兵自戒,不索而情自得,不約而衆自親,不令而人自信,皆所以陷於危難,故三軍同心也。
整え直さなくても兵が自ら戒め、探らなくても意が自ずから得られ、約を交わさなくても衆が自ら親しみ、命じなくても人が自ら信ずるのは、みな危難に陥っているからであり、だから三軍が心を同じくするのである。
謂死難之地,人心自然故也。
死と難の地では、人の心が自然にそうなるからだという意味である。
危難之地,人自同力,不修整而自戒慎,不求索而得情意,不約束而親上,不號令而信命,所謂同舟而濟,則吳越何患乎異心也?
危難の地では、人が自ら力を同じくする。整え直さなくても自ら戒め慎み、求め探らなくても情と意を得、約し束ねなくても上を親しみ、号令しなくても命を信ずる。いわゆる同じ舟で渡れば、呉(ご)と越(えつ)であっても、どうして心の違いを憂えようか。
禁妖祥之言,去疑惑之計。一本作「至死無所災」。
怪しげな兆しの言を禁じ、疑い惑う計を取り除く。ある本には「死に至るまで災いがない」とある。
妖祥之言,疑惑之事而禁之,故無所災。
怪しげな兆しの言と疑い惑う事を禁じるので、だから災いがない。
黃石公曰︰「禁巫祝不得爲吏士卜問軍之吉凶,恐亂軍士之心。」言旣去疑惑之路,則士卒至死無有異志也。
黄石公(こうせきこう)が言った。「巫(かんなぎ)や祝(ほうり)が吏や士のために軍の吉凶を占い問うことを禁じる。軍士の心を乱すのを恐れるからである。」疑い惑う路をすでに取り除けば、士卒は死に至るまで異なる志を持たないという意味である。
妖祥之事不作,疑惑之言不入,則軍必不亂,死而後已。
怪しげな兆しの事が起こらず、疑い惑う言が入らなければ、軍は必ず乱れず、死んでのちに已むのである。
災祥神異有以惑人,故禁止之。
災いや吉兆や神異なことは人を惑わすところがあるので、だから禁じ止める。
欲士死戰,則禁止軍吏不得言妖祥之事,恐惑衆也。去疑惑之計,則至死無他慮。《司馬法》曰︰「滅厲祥。」此之謂也。儻士卒未有必戰之心,則亦有假妖祥以使衆者。田單守卽墨,命一卒爲神,每出入約束,必稱神,遂破燕是也。
士を死を賭して戦わせようとするなら、軍の吏が怪しげな兆しの事を言うことを禁じ止める。衆を惑わすのを恐れるからである。疑い惑う計を取り除けば、死に至るまで他の思いがない。『司馬法』に「厲しい兆しを滅ぼす」とあるのが、これを言ったのである。もし士卒に必ず戦うという心がなければ、怪しげな兆しを借りて衆を使った者もある。田単(でんたん)が即墨(そくぼく)を守ったとき、一人の兵卒を神とし、出入りして令を下すたびに必ず神を称して、ついに燕(えん)を破ったのが、これである。
21財が余らないのは
吾士無餘財,非惡貨也;無餘命,非惡壽也。
わが士に余る財がないのは、財貨を憎むからではない。余る命がないのは、長生きを憎むからではない。
注 5
皆燒焚財物,非惡貨之多也;棄財致死者,不得已也。
財物をすべて焼き払うのは、財貨が多いのを憎むからではない。財を捨てて死に至るのは、やむをえないからである。
若有財貨,恐士卒顧戀,有苟生之意,無必死之心也。
財貨があれば、士卒が顧み恋って、かりそめに生きようとする意を持ち、必ず死ぬという心がなくなるのを恐れるのである。
不得已,竭財貨;不得已,盡死戰。
やむをえず財貨を尽くし、やむをえず死を賭した戦いを尽くす。
足用而已。士顧財富則媮生。死戰而已。士顧生路,則無鬬志矣。
用に足るだけである。士が財の富を顧みれば、かりそめに生きようとする。死を賭して戦うだけである。士が生きる路を顧みれば、闘う志がなくなる。
貨與壽,人之所愛也,所以燒擲財寶、割棄性命者,非憎惡之也,不得已也。
財貨と長生きは、人の愛しむものである。財宝を焼き捨て、性命を割き捨てるのは、それを憎み嫌うからではなく、やむをえないからである。
22令が下る日
令發之日,士卒坐者涕霑襟,偃卧者涕交頤。
令が下る日、座っている兵卒は涙が襟を濡らし、横になっている兵卒は涙が顎に伝う。
注 6
皆持必死之計。
みな必ず死ぬという覚悟を抱いているのである。
棄財與命,有必死之志,故感而流涕也。
財と命を捨てて必ず死ぬという志を抱いているので、心が動いて涙を流すのである。
士皆以死爲約。未戰之日,先令曰︰「今日之事,在此一舉!若不用命,身膏草野,爲禽獸所食也!」
士がみな死を約したのである。まだ戦わない日に、あらかじめ令を下して言った。「今日の事は、この一挙にかかっている。もし命に従わなければ、身は草野を肥やし、禽獣の食となるであろう。」
決以死力,牧說是也。
死力を尽くすと心を決めたのであり、牧(ぼく)の説が正しい。
感勵之使然。
心を動かし励ましたのでそうなったのである。
感激之,故涕泣也。未戰之日,先令曰︰「今日之事,在此一舉!若不用命,身膏草野,爲禽獸所食!」或曰︰凡行軍饗士使酒,拔劒起舞,作朋角抵,伐鼓叫呼,所以增其氣;若令涕泣,無乃挫其壯心乎?答曰︰先決其死力,後激其銳氣,則無不勝。儻無必死之心,其氣雖盛,何由克之?若荊軻於易水,士皆垂淚涕泣,及復爲羽聲忼慷,則皆瞋目,髮上指冠是也。
心が奮い立ったので、涙を流すのである。まだ戦わない日に、あらかじめ令を下して言った。「今日の事は、この一挙にかかっている。もし命に従わなければ、身は草野を肥やし、禽獣の食となるであろう。」ある人は言う。「およそ軍を行らせるときには、士を饗して酒を与え、剣を抜いて舞わせ、組を作って角力を取らせ、鼓を打ち叫び呼んで、その気を増すものである。それなのに涙を流させるのは、その壮んな心を挫くことではないか。」答えて言う。先に死力を尽くす覚悟を決めさせ、後にその鋭い気を奮い立たせれば、勝たないことはない。もし必ず死ぬという心がなければ、気がいくら盛んでも、何によって勝てようか。荊軻(けいか)が易水(えきすい)で別れたとき、人々はみな涙を垂らしたが、さらに羽(う)の調子で慷慨して歌うと、みな目を見張り、髪が逆立って冠を指すほどになったのが、これである。
23専諸と曹劌の勇
投之無所往者,諸、劌之勇也。
行く所のないところへ投げ入れれば、専諸(せんしょ)と曹劌(そうかい)の勇が出る。
注 4
夫獸窮則搏,烏窮則啄,令急迫,則專諸、曹劌之勇也。
そもそも獣が行き詰まれば打ちかかり、鳥が行き詰まれば啄むのだから、令が急で差し迫れば、専諸(せんしょ)と曹劌(そうかい)の勇が出る。
言所投之處,皆爲專諸、曹劌之勇。
投げ入れた所はどこも、みな専諸(せんしょ)と曹劌(そうかい)の勇となるという意味である。
旣令以必死,則所往皆有專諸、曹劌之勇。
すでに必ず死ねと令したのだから、行く所はどこも、みな専諸(せんしょ)と曹劌(そうかい)の勇があることになる。
人懷必死,則所向皆有專諸、曹劌之勇也。專諸,吳公子光使刺殺吳王僚者。劌當爲沫。曹沫以勇力事魯莊公,嘗執匕首刼齊桓公。
人が一人一人必ず死ぬという心を抱けば、向かう所はどこも、みな専諸(せんしょ)と曹劌(そうかい)の勇がある。専諸は、呉の公子光(こう)が遣わして呉王僚(りょう)を刺し殺させた者である。「劌」は「沫」と書くべきである。曹沫(そうばつ)は勇と力で魯(ろ)の荘公(そうこう)に仕え、かつて匕首を手に斉(せい)の桓公(かんこう)を脅した。
24率然のようである
故善用兵者,譬如率然。
だから兵を用いることに巧みな者は、たとえば率然(そつぜん)のようである。
注 1
相應之容易也。
互いに応ずるのが容易なのである。
25常山の蛇
率然者,常山之蛇也,擊其首則尾至,擊其尾則首至,擊其中則首尾俱至。
率然とは、常山(じょうざん)にいる蛇である。その頭を撃てば尾が襲い、尾を撃てば頭が襲い、真ん中を撃てば頭と尾がともに襲う。
注 2
蛇之爲物也,不可擊;擊之,則率然相應。
蛇というものは撃つことができない。撃てば、すばやく互いに応ずる。
率,猶速也。擊之則速然相應,此喻陳法也。《八陳圖》曰︰「以後爲前,以前爲後,四頭八尾,觸處爲首,敵衝其中,首尾俱救。」
「率」とは速いのと同じである。撃てば速やかに互いに応ずるので、これは陣を敷く法をたとえたのである。『八陣図』に「後を前とし、前を後として、頭が四つ尾が八つ、触れた所が頭となり、敵がその真ん中を衝けば頭と尾がともに救う」とある。
26兵もそうできるのか
敢問︰兵可使如率然乎?
あえて問う。兵も率然のようにさせることができるのか。
注 1
可使兵首尾率然相應如一體乎?
兵も頭と尾が率然のように互いに応じて、一つの体のようにさせることができるのか。
27呉越同舟
曰︰可。夫吳人與越人相惡也,當其同舟而濟,遇風,其相救也如左右手。
答える。できる。そもそも呉(ご)の人と越(えつ)の人は互いに憎み合っているが、同じ舟で渡っていて風に遭えば、互いに救うことが左手と右手のようである。
注 2
勢使之然。
勢がそうさせたのである。
吳、越,仇讎也,同處危難,則相救如兩手,況非仇讎者,豈不猶率然之相應乎?
呉と越は仇敵であるのに、ともに危難に置かれれば互いに救うことが両手のようである。まして仇敵でない間柄なら、どうして率然が互いに応ずるのと同じでないことがあろうか。
28馬を繋ぎ輪を埋めても
是故方馬埋輪,未足恃也;齊勇若一,政之道也;剛柔皆得,地之理也。
だから、馬を繋ぎ輪を埋めるだけでは頼みとするに足らない。勇を揃えて一つのようにするのが、政の道である。剛も柔もともにその用を得るのが、地の理である。
注 19
方馬,縛馬也。埋輪,示不動也。此言專難不如權巧。故曰︰雖方馬埋輪,不足恃也。
方馬(ほうば)とは馬を縛ることであり、埋輪(まいりん)とは動かないことを示すことである。これは、ことさら難しくすることが、権り計る巧みさに及ばないという意味である。だから、馬を繋ぎ輪を埋めても頼みとするに足らないと言ったのである。
投兵無所往之地,人自鬬如蛇之首尾,故吳越之人同舟相救,雖縛馬埋輪,未足恃也。
行く所のない地に兵を投げ入れれば、人は自ずから戦って蛇の頭と尾のようになる。だから呉と越の人が同じ舟で互いに救うのである。馬を縛り輪を埋めても、頼みとするに足らない。
縛馬使爲方陳,埋輪使不動,雖如此,亦未足稱爲專固而足爲恃;須任權變,置士於必死之地,使人自爲戰,相救如兩手,此乃守固必勝之道而足爲恃也。
馬を縛って方の陣を組み、輪を埋めて動けないようにしても、このようにしたからといって、やはり専ら固いとして頼みとするに足るとは言えない。必ず権りと変化を用い、士卒を必ず死ぬ地に置いて人が一人一人自ら戦うようにし、互いに救うことを両手のようにさせねばならない。これこそ守りが固く必ず勝つ道であり、頼みとするに足るものである。
人之相惡,莫甚吳越,同舟遇風,而猶相救,何則?勢使之然也。夫用兵之道,若陷在必戰之地,使懷俱死之憂,則首尾前後不得不相救也。有吳越之惡,猶如兩手相救,況無吳越之惡乎?蓋言貴於設變使之,則勇怯之心一也。
人が互いに憎み合うのに、呉と越ほどはなはだしいものはないが、同じ舟で風に遭えばかえって互いに救う。なぜか。勢がそうさせたのである。そもそも兵を用いる道は、必ず戦わねばならない地に陥って、ともに死ぬ憂いを抱かせれば、頭と尾も前と後も互いに救わざるをえない。呉と越のような憎しみがあっても両手が互いに救うのと同じであるのに、ましてそのような憎しみがなければどうであろうか。おおむね、構えを変えてそうさせることが貴いのであり、そうすれば勇ましい者と怯える者の心が一つになるという意味である。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
此謂在難地自相救耳。蛇之首尾,人之左右手,皆喻相救之敏也。同舟而濟,在險難也,吳越猶無異心,況三軍乎?故其足恃甚於方馬埋輪。曹公說是也。
これは難しい地で自ずから互いに救うことを言ったのである。蛇の頭と尾、人の左手と右手は、みな互いに救うのが敏いことをたとえたのである。同じ舟で渡るのは、険難にあることであり、呉と越でもなお異なる心がないのだから、まして三軍はどうであろうか。だからその頼みとするに足ることは、馬を繋ぎ輪を埋めるのよりまさっている。曹公(そうこう)の説が正しい。
上文歷言置兵於死地,使人心專固,然此未足爲善也。雖置之危地,亦須用權智,使人令相救如左右手,則勝矣。故曰︰雖縛馬埋輪,未足恃固以取勝;所可必恃者,要使士卒相應如一體也。
前の文では兵を死ぬ地に置いて人の心を専ら固くすることを次々に述べたが、これだけではまだ善いとはいえない。危うい地に置いても、やはり権りと智を用いて、人々が互いに救うことを左手と右手のようにさせてはじめて勝つ。だから、馬を縛り輪を埋めても、固さを頼みにして勝ちを取ることはできず、必ず頼みとできるものは、士卒が一つの体のように互いに応ずるようにすることにあると言ったのである。
齊勇者,將之道。
勇を揃えるのは、将の道である。
齊正勇敢,三軍如一,此皆在於爲政者也。
整い正しく勇ましく果敢で、三軍が一つのようになるのは、みな政を行う者にかかっている。
政令嚴明,則勇者不得獨進,怯者不得獨退,三軍之士如一也。
政と令が厳しく明らかであれば、勇ましい者が独りで進むことができず、怯える者が独りで退くこともできず、三軍の士が一つのようになる。
使人齊勇如一心而無怯者,得軍政之道也。
人々が一つの心のように勇を揃えて、怯える者がないようにするのは、軍政の道を得たのである。
王晳同梅堯臣《註》。
王晳(おうせき)の註は梅堯臣(ばいぎょうしん)の註と同じである。
旣置之危地,又使之相救,則三軍之衆,齊力同勇如一夫,是軍政得其道也。
すでに危うい地に置き、さらに互いに救わせれば、三軍の衆が力を揃え勇を同じくして一人のようになる。これは軍政がその道を得たのである。
強弱一勢也。
強いものと弱いものが一つの勢となるのである。
剛柔得者,因地之勢也。
剛と柔を得るのは、地の勢に因るのである。
強弱之勢,須因地形而制之也。
強弱の勢は、必ず地の形に因って制すべきである。
兵無強弱,皆得用者,是因地之勢也。
兵に強弱の別なくみな用いることができるようになるのは、地の勢に因ったからである。
剛柔,猶強弱也。言三軍之士,強弱皆得其用者,地利使之然也。曹公曰「強弱一勢」是也。
「剛」と「柔」は、強いと弱いと同じである。三軍の士が、強い者も弱い者もみなその用を得るのは、地の利がそうさせたのだという意味である。曹公(そうこう)が「強いものと弱いものが一つの勢となる」と言ったのが、これである。
得地利,則柔弱之卒亦可以克敵,況剛強之兵乎?剛柔俱獲其用者,地勢使之然也。
地の利を得れば、柔らかく弱い兵卒でも敵に勝つことができるのだから、まして剛く強い兵はどうであろうか。剛も柔もともにその用を得るのは、地の勢がそうさせたのである。
29一人を使うように
故善用兵者,攜手若使一人,不得已也。
だから兵を用いることに巧みな者が、手を取って一人を使うように率いるのは、ほかに道がないようにしたからである。
注 7
齊一貌也。
整って一つになった姿である。
理衆如理寡也。
多くを治めるのを、少なきを治めるように行うのである。
言使三軍之士,如牽一夫之手,不得已,皆須從我之命,喻易也。
三軍の士を使うことが、一人の手を引くようであり、やむをえずみなこちらの命に従うことになるという意味である。
攜手,翻迭之貌,便於回運,以前爲後,以後爲前,以左爲右,以右爲左,故百萬之衆如一人也。
手を取るとは、翻し入れ替える様であり、回して運ぶのに便である。前を後とし、後を前とし、左を右とし、右を左とするので、百万の衆が一人のようになる。
用三軍如攜手使一人者,勢不得已,自然皆從我所揮也。
三軍を用いることが手を取って一人を使うようであるのは、勢がやむをえなくなって、自然にみなこちらの揮うままに従うからである。
攜使左右前後,率從我也。
手を取って左右前後に使い、みなこちらに従わせるのである。
三軍雖衆,如提一人之手而使之,言齊一也。故曰︰將之所揮,莫不從移;將之所指,莫不前死。
三軍が多くても、一人の手を取って使うようであるというのは、整って一つになることをいう。だから「将が揮う所へ移り従わない者はなく、将が指す所へ進んで死なない者はない」と言ったのである。
30将軍の事
將軍之事,靜以幽,正以治。
将軍の事は、静かであって奥深く、正しくあって治まることにある。
注 5
謂清淨、幽深、平正。
清く静かであること、奥深く遠くまで及ぶこと、平らかで正しいことをいう。
清淨簡易,幽深難測,平正無偏,故能致治。
清く静かで簡素で易しく、奥深く測りがたく、平らかで正しく偏りがないので、だから治まりを成すことができる。
靜而幽邃,人不能測;正而自治,人不能撓。
静かで奥深いので人が測ることができず、正しく自ら治まるので人が揺るがすことができない。
靜則不撓,幽則不測,正則不媮,治則不亂。
静かであれば揺るがず、奥深ければ測られず、正しければかりそめにならず、治まれば乱れない。
其謀事,則安靜而幽深,人不能測;其御下,則公正而整治,人不敢慢。
事を謀るときは安らかに静かで奥深く、人が測ることができず、下を御するときは公正で整い治まっていて、人が敢えて怠らない。
31耳と目を暗くする
能愚士卒之耳目,使之無知;易其事,革其謀,使人無識;易其居,迂其途,使人不得慮。
兵卒の耳と目を暗くして何も知らないようにし、していた事を変え、立てた謀を改めて、人に見分けがつかないようにし、構えていた所を移し、行く路を回り遠くして、人に推し測れないようにする。
注 20
愚,誤也。民可與樂成,不可與慮始。
愚とは、誤らせることである。民とともに成ったことを楽しむことはできるが、始まりをともに謀ることはできない。
爲謀未熟,不欲令士卒知之,可以樂成,不可與謀始。是以先愚其耳目,使無見知。
謀がまだ熟していなければ、兵卒に知らせたくはない。成ったことをともに楽しむことはできるが、初めの謀をともにすることはできない。だからまずその耳と目を暗くして、見ることも知ることもできないようにする。
言使軍士,非將軍之令,其他皆不知,如聾如瞽也。
軍士に、将軍の令でなければほかのことは何も知らず、耳が聞こえず目が見えないようにさせるという意味である。
凡軍之權謀,使由之,而不使知之。
およそ軍中の権謀は、従わせるだけで、知らせない。
杜其見聞。
その見聞きを塞ぐ。
何氏同杜牧《註》。
何氏(かし)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
士卒懵然無所聞見,但從命而已。
兵卒がぼんやりとして聞くことも見ることもなく、ただ命に従うだけである。
謀事或變,而不識其原。
謀る事が時に変わっても、その源を知らせないようにする。
所爲之事,所有之謀,不使知其造意之端,識其所緣之本也。
行う事と抱いている謀について、その意を起こした端を知ったり、その依った本を見分けたりできないようにするのである。
改其所行之事,變其所爲之謀,無使人之能識也。
していた事を改め、立てた謀を変えて、人が見分けられないようにするのである。
已行之事,已施之謀,當革易之,不可再也。
すでに行った事、すでに施した謀は、まさに改め変えるべきであり、二度用いることはできない。
將術以不窮爲奇也。
将の術は、尽きないことを優れたこととする。
前所行之事,舊所發之謀,皆變易之,使人不可知也。若裴行儉令軍士下營訖,忽使移就崇岡。初,將吏皆不悅,是夜風雨暴至,前設營所水深丈餘,將士驚服,因問曰︰「何以知風雨也?」行儉笑曰︰「自今但依吾節制,何須問我所由知也!」
先に行った事、以前に発した謀を、みな変え改めて、人に知られないようにするのである。裴行倹(はいこうけん)が軍士に営を構え終えさせてから、急に高い岡へ移らせた例のとおりである。初めは将も吏もみな喜ばなかったが、その夜風雨が激しく襲い、先に営を構えた所に水が一丈あまり溜まったので、将も兵も驚いて服した。そこで尋ねて「どうして風雨が来ると分かったのですか」と言うと、行倹は笑って「今からはただわたしの指図に従えばよい。わたしが何で知ったかなど尋ねる必要はない」と言った。
行路之便,衆人不得知其情。
路を行くうえでの便を、衆がその内意を知らないということである。
易其居,去安從危;迂其途,捨近卽遠,士卒有必死之心。
構えていた所を移すとは、安らかさを捨てて危うきに就くことであり、行く路を回り遠くするとは、近きを捨てて遠きへ行くことである。そうすれば兵卒に必ず死ぬという心が生まれる。
將帥凡舉一事,切委曲而致之,無使人得計慮者。
将帥はおよそ一つの事を起こすとき、必ず回りくどくそれを成し遂げ、人が先に推し測れないようにする。
居我要害,能使自移;途近於我,能使迂之;發機微,路人不能知也。
わが要害に構えていても自ら移らせることができ、路がこちらに近くても回り遠くさせることができる。機を発するのが微かなので、路行く人にも知ることができない。
更其所安之居,迂其所趨之途,無使人能慮也。
安らかに構えていた所を改め、赴いていた路を回り遠くして、人が推し測れないようにするのである。
處易者,將致敵以求戰也;迂途者,示遠而密襲也。
構えを変えるのは、敵を引き寄せて戦いを求めるためであり、路を回り遠くするのは、遠くへ行くように見せてひそかに襲うためである。
其居則去險而就易,其途則捨近而從遠,人初不曉其旨,及勝乃服。太白山人曰︰「兵貴詭道者,非止詭敵也,抑詭我士卒,使由之而不使知之也。」
構えは険しい所を去って平らな所に就き、路は近きを捨てて遠きに従うので、人々は初めその趣旨を悟らず、勝ってのちに服する。太白山人(たいはくさんじん)が言った。「兵が詭りの道を貴ぶというのは、敵を詭るだけでなく、わが士卒まで詭って、従わせるが知らせないということである。」
32梯を取り去る
帥與之期,如登高而去其梯;帥與之深入諸侯之地,而發其機,焚舟破釜,若驅羣羊,驅而往,驅而來,莫知所之。
帥が士と期を定めるのは、高い所へ登らせてその梯を取り去るようである。帥が士とともに諸侯の地に深く入っては、その機を発する。舟を焚き釜を破り、羊の群れを駆るように、駆って行かせ駆って来させ、誰もどこへ行くのかを知らない。
注 13
可進而不可退也。
進むことはできるが退くことはできないのである。
使無退心,孟明焚舟是也。一本「帥與之登高」。
退く心がないようにするのであり、孟明(もうめい)が舟を焚いたのが、これである。ある本には「帥が士とともに高い所に登る」とある。
發其心機。
その心の機を発するのである。
動我機權,隨事應變。
わが機と権を動かし、事に従って変に応ずるのである。
發其危機,使人盡命。
危うい機を発して、人が命を尽くすようにするのである。
皆勵決戰之志也。機之發,無復迴也。賈詡勸曹公曰「必決其機」是也。
みな決戦しようとする志を励ますのである。機が発せられれば、もう引き返せない。賈詡(かく)が曹公(そうこう)に勧めて「必ずその機を決せられよ」と言ったのが、これである。
去其梯,可進而不可退;發其機,可往而不可返。項羽濟河沉舟之類也。
梯を取り去れば進むことはできるが退くことはできず、機を発すれば行くことはできるが帰ることはできない。項羽(こうう)が河を渡って舟を沈めたような類である。
一其心也。
その心を一つにするのである。
還師者,皆焚舟梁,堅其志,旣不知謀,又無返顧之心,是以如驅羊也。
帰る路を断つ者は、みな舟と橋を焚く。その志を固めて、謀を知ることもなく帰り顧みる心もないようにするので、だから羊を駆るようになるのである。
三軍但知進退之命,不知攻取之端也。
三軍はただ進め退けという命だけを知り、攻め取る端は知らない。
但馴然從驅,莫知其他也。
ただ馴れたように駆られて従うだけで、ほかのことは知らない。
士之往來,惟將之令,如羊之從牧者。
士が行き来するのは、ひとえに将の令によるのであり、羊が牧う者に従うのと同じである。
羣羊往來,牧者之隨;三軍進退,惟將之揮。
羊の群れが行き来するのは牧う者に随うのであり、三軍が進退するのは、ひとえに将の揮うままである。
33険しい所へ投げ入れる
聚三軍之衆,投之於險,此謂將軍之事也。
三軍の衆を集めて、これを険しい所へ投げ入れる。これを将軍の事という。
注 3
險,難也。
険とは、難しいということである。
措三軍於險難而取勝者,爲將之所務也。
三軍を険難に置いて勝ちを取るのは、将たる者が努めるべき事である。
去梯發機,置兵於危險以取勝者,此將軍之所務也。
梯を取り去り機を発して、兵を危険に置いて勝ちを取る。これが将軍の努めるべき事である。
34察しないわけにはいかない
九地之變,屈伸之利,人情之理,不可不察。
九つの地の変化、屈み伸びることの利、人の情の理は、察しないわけにはいかない。
注 5
人情見利而進,見害而退。
人の情は、利を見れば進み、害を見れば退く。
言屈伸之利害,人情之常理,皆因九地以變化。今欲下文重舉九地,故於此重言,發端張本也。
屈み伸びることの利害、人の情の常の理が、みな九つの地によって変化するという意味である。いま後の文で九つの地を重ねて挙げようとするので、ここで重ねて言い、端を発し本を張ったのである。
九地之變,有可屈可伸之利,人情之常理,須審察之。
九つの地の変化には、屈むこともでき伸びることもできる利があり、人の情には常の理があるので、必ず審らかに察すべきである。
明九地之利害,亦當極其變耳。言屈伸之利者,未見便則屈,見便則伸。言人情之理者,深專、淺散、圍禦之謂也。
九つの地の利害を明らかにしようとするなら、やはりその変化を究めねばならない。屈み伸びることの利と言ったのは、便を見なければ屈み、便を見れば伸びることである。人の情の理と言ったのは、深く入れば専らになり、浅ければ散り、囲まれれば防いで戦うということをいう。
九地之法,不可拘泥,須識變通,可屈則屈,可伸則伸,審所利而已。此乃人情之常理,不可不察。
九つの地の法は拘り囚われるべきものではなく、必ず変に通ずることを知って、屈むべきなら屈み、伸びるべきなら伸びて、利のあるところを審らかにするだけである。これこそ人の情の常の理であり、察しないわけにはいかない。
35深ければ専らになり浅ければ散る
凡爲客之道︰深則專,淺則散。
およそ客となる道は、深く入れば心が専らになり、浅ければ散る。
注 2
深則專固,淺則散歸。此而下重言九地者,孫子勤勤於九變也。
深く入れば専ら固まり、浅ければ散って帰る。ここから下で九つの地を重ねて言ったのは、孫子が九つの変化に勤め励んだからである。
先舉兵者爲客,入深則專固,入淺則士散。此而下言九地之變。
先に兵を起こした者が客となる。深く入れば専ら固まり、浅く入れば士が散る。ここから下で九つの地の変化を言う。
36絶たれた地
去國越境而師者,絶地也。
国を去り境を越えて師を行らせる所が、絶たれた地である。
注 3
進不及輕,退不及散,在二地之間也。
進んでも軽い地に及ばず、退いても散る地に及ばないので、二つの地の間にあるのである。
此越鄰國之境也,是謂孤絶之地,當速決其事,若吳王伐齊。近之兵如此者鮮,故不同九地之例。
これは隣の国の境を越えたのであり、孤り絶たれた地という。まさにその事を速やかに決すべきで、呉王が斉(せい)を討ったのと同じである。近ごろの兵でこういう例はまれなので、九つの地の例と同じには置かなかった。
去己國,越人境而用師者,危絶之地也,若秦師過周而襲鄭是也。此在九地之外而言之者,戰國時間有之也。
自国を去り、人の境を越えて師を用いるのは、危うく絶たれた地である。秦(しん)の軍が周(しゅう)を過ぎて鄭(てい)を襲ったのが、これである。これを九つの地の外に置いて言ったのは、戦国のときに時おりあったからである。
37四つ辻の地
四達者,衢地也。
四方に通じる所が、四つ辻の地である。
注 2
馳道四出,敵當一面。
大路が四方に伸び、敵は一面だけに当たる。
敵當一面,旁國四屬。
敵は一面だけに当たり、傍の国が四方に接する。
38重い地
入深者,重地也。
深く入った所が、重い地である。
注 1
士卒以軍爲家,故心無散亂。
兵卒が軍を家とするので、心が散り乱れない。
39軽い地
入淺者,輕地也。
浅く入った所が、軽い地である。
注 1
歸國尚近,心不能專。
国へ帰るのがまだ近いので、心が専らになれない。
40囲まれた地
背固前隘者,圍地也。
背後が固く、前が狭い所が、囲まれた地である。
注 2
背負險固,前當阨塞。
背は険しく固い所を負い、前は阻まれ狭い所に当たる。
前狹後險,進退受制於人也。
前が狭く後が険しいので、進退が人に制される。
41死ぬ地
無所往者,死地也。
行く所のない所が、死ぬ地である。
注 2
窮無所之。
行き詰まって行く所がない。
左右前後,窮無所之地。
左も右も前も後もみな行き詰まって行く所のない地である。
42地ごとにわたしがすること
是故散地,吾將一其志;輕地,吾將使之屬;爭地,吾將趨其後;交地,吾將謹其守;衢地,吾將固其結;重地,吾將繼其食;圮地,吾將進其塗;圍地,吾將塞其闕;死地,吾將示之以不活。
だから、散る地ではその志を一つにし、軽い地では互いに連なるようにさせ、争う地ではその後へ急ぎ赴き、行き交う地ではその守りを謹み、四つ辻の地ではその結びを固め、重い地ではその食をつなぎ、崩れる地ではその路を進み通り、囲まれた地ではその隙をふさぎ、死ぬ地では生きられないことを示す。
注 51
一卒之心。
兵卒の心を一つにするのである。
守則志一,戰則易散。
守れば志が一つになり、戦えば散りやすい。
保城備險,一志堅守,候其虛懈,出而襲之。
城を保ち険に備え、志を一つにして固く守り、敵が虚しく緩むのを待って出て襲う。
集人聚穀,一志固守,依險設伏,攻敵不意。
人を集め穀を集めて志を一つにして固く守り、険に依って伏兵を置き、敵の不意に攻める。
使相及屬。
互いに及び連なるようにさせる。
部伍營壘密近聯屬,蓋以輕散之地,一者備其逃逸,二者恐其敵至,使易相救。
部隊と営塁を密に近く連ね続かせる。おおむね軽く散りやすい地であるから、一つには逃げ去ることに備え、二つには敵が来るのを憂えて、互いに救いやすくするのである。
使,相仍也。輕地還師,當安道促行,然令相屬續,以備不虞也。
「使」とは、互いに連なり続くことである。軽い地で軍を返すときは、まさに道を安らかにして歩みを促しつつ、互いに連なり続かせて、思いがけぬ事に備えるのである。
行則隊校相繼,止則營壘聯屬,脫有敵至,不有散逸也。
行くときは隊と校が互いに続き、止まるときは営塁が連なり続くので、たとえ敵が来ても、散り逃げることがない。
絶,則人不相恃。
断たれれば、人が互いに頼り合えない。
密營促隊,使相屬續,以備不虞,以防逃遁。
営を密にし隊を促して互いに連なり続かせ、思いがけぬ事に備え、逃げ去るのを防ぐ。
利地在前,當速進其後也。
利のある地が前にあれば、まさにその後へ速やかに進むべきである。
利地必爭,益其備也。此筌以「趨」字爲「多」字。
利のある地は必ず争うことになるので、その備えを増すのである。これは李筌(りせん)が「趨」の字を「多」の字と読んだのである。
必爭之地,我若已後,當疾趨而爭,況其不後哉?
必ず争うことになる地は、こちらがすでに後れていれば、まさに疾く駆けて争うべきである。まして後れていないならどうであろうか。
二說皆非也。若敵據地利,我後爭之,不亦後據戰地而趨戰之勞乎?所謂爭地必趨其後者,若地利在前,先分精銳以據之,彼若恃衆來爭,我以大衆趨其後,無不剋者。趙奢所以破秦軍也。
二つの説はどちらも正しくない。敵が地の利を占めた後にこちらが争うなら、これもまた戦う地を後から占めて戦いに駆けつける労ではないか。いわゆる争う地ではその後へ急ぎ赴くというのは、地の利が前にあれば、まず鋭い兵を分けて遣わして占めさせ、敵が衆の多さを頼んで争いに来れば、こちらが大衆でその後へ急ぎ赴くことであり、そうすれば勝たないことはない。趙奢(ちょうしゃ)が秦の軍を破ったわけが、これである。
利地在前,當進其後。爭地,先據者勝,不得者負,故從其後,使相及也。
利のある地が前にあれば、まさにその後へ進ませる。争う地は先に占めた者が勝ち、得られなかった者が負けるので、その後に従わせて、互いに及ぶようにするのである。
敵未至其地,我若在後,則當疾趨以爭之。
敵がまだその地に至っていないのに、こちらが後にいれば、まさに疾く駆けて争うべきである。
爭地貴速,若前驅至而後不及,則未可。故當疾進其後,使首尾俱至。或曰︰趨其後,謂後發先至也。
争う地では速さを貴ぶので、前を駆ける兵が至っても後が及ばなければよくない。だからまさにその後を速く進ませて、頭と尾がともに至るようにする。ある人は、「その後へ急ぎ赴く」とは、後から出て先に至ることをいうと言う。
嚴壁壘也。
壁と塁を厳しくするのである。
謹守壁壘,斷其通道。
壁と塁を謹んで守り、敵の通じる道を断つ。
懼襲我也。
敵がこちらを襲うのを懼れるからである。
不當阻絶其路,但嚴壁固守,候其來,則設伏擊之。
その路を遮り断つべきではなく、ただ壁を厳しくして固く守り、敵が来るのを待って伏兵を置いて撃つ。
結交諸侯,使之牢固。
諸侯と交わりを結んで、堅く固くするのである。
結諸侯,使之堅固,勿令敵先。
諸侯と結んで固くし、敵に先にさせない。
固以德禮威信,且示以利害之計。
徳と礼、威と信で固め、さらに利害の計を示す。
財幣以利之,盟誓以要之,堅固不渝,則必爲我助。
財と幣で利を与え、盟いと誓いで約し、堅く固めて変わらないようにすれば、必ずこちらの助けとなる。
掠彼也。
敵の側のものを掠める。
館穀於敵也。「繼」一作「掠」。
敵の地で宿り食うのである。「継」は、ある本には「掠」とある。
使糧相繼而不絶也。
糧が互いにつながって絶えないようにするのである。
深入,當繼其糧餉。
深く入れば、まさにその糧の送りをつなぐべきである。
道旣遐絶,不可歸國取糧,當掠彼以食軍。
道がすでに遠く絶たれているので、国へ帰って糧を取ってくることができない。まさに敵の側から取って軍を食わせる。
兵在重地,轉輸不通,不可乏糧,當掠彼以續食。
兵が重い地にあれば、運び送る道が通じないので、糧が乏しくなってはならない。まさに敵の側から取って食をつなぐ。
疾過去也。
速く通り過ぎる。
不可留也。
留まることができないのである。
疾行,無舍此地。
速く行き、この地に宿らない。
無所依,當速過。
依るところがないので、まさに速く通り過ぎるべきである。
遇圮毁之地,宜引兵速過。
崩れ壊れた地に遭えば、まさに兵を率いて速く通り過ぎるべきである。
以一士心也。
士の心を一つにするのである。
《兵法》「圍師必闕」,示以生路,令無死志,因而擊之;今若我在圍地,敵開生路以誘我卒,我返自塞之,令士卒有必死之心。後魏末,齊神武起義兵於河北,爲尒朱兆、天光、度律、仲遠等四將會於鄴南,士馬精強,號二十萬,圍神武於南陵山。時神武馬二千,步軍不滿三萬。兆等設圍不合,神武連繫牛驢自塞之。於是將士死戰,四面奮擊,大破兆等四將也。
兵法に「師を囲むときは必ず隙を残す」とあるのは、生きる路を見せて死を賭して戦う志をなくさせ、その隙に乗じて撃つことである。いまこちらが囲まれた地にいて、敵が生きる路を開いてわが兵卒を誘うなら、こちらはかえって自らそこをふさいで、兵卒に必ず死ぬという心が生まれるようにする。後魏(こうぎ)の末、斉(せい)の神武(しんぶ)が河北で義兵を起こすと、尒朱兆(じしゅちょう)・天光(てんこう)・度律(どりつ)・仲遠(ちゅうえん)の四将が鄴(ぎょう)の南に集まり、兵も馬も精しく強く二十万と称して、神武を南陵山(なんりょうざん)に囲んだ。そのとき神武は馬が二千、歩いて戦う兵は三万に満たなかった。兆らが囲みを設けて隙をふさぎきらなかったので、神武は牛と驢馬を繋ぎ連ねて自らそこをふさいだ。そこで将も兵も死を賭して戦い、四面から奮い撃って、兆ら四将を大いに破った。
意欲突圍,示以守固。
囲みを突いて出ようとしながら、固く守る意を示すのである。
塞其闕,不欲走之意。
隙をふさぐのは、走り去らせたくないという意である。
自塞其旁道,使士卒必死戰也。
自ら傍の道をふさいで、兵卒が必ず死を賭して戦うようにするのである。
懼人有走心。
人に走り去る心があるのを懼れるからである。
吾在敵圍,敵開生路,當自塞之,以一士心。齊神武繫牛馬以塞路,而士卒死戰是也。
こちらが敵の囲みの中にいて、敵が生きる路を開いたなら、まさに自らこれをふさいで士の心を一つにすべきである。斉の神武(しんぶ)が牛馬を繋いで路をふさぎ、兵卒が死を賭して戦ったのが、これである。
勵士心也。
士の心を励ますのである。
示之必死,令其自奮,以求生也。
必ず死ぬことを示して、自ら奮い立って生きることを求めるようにさせるのである。
禁財棄糧,堙井破竈,示必死也。
財を禁じ糧を捨て、井戸を埋め竈を破って、必ず死ぬことを示す。
勵士也。焚輜重,棄糧食,塞井夷竈,示無生意,必殊死戰也。
士を励ますのである。輜重を焚き、糧食を捨て、井戸をふさぎ竈を平らにして、生きる意がないことを示すので、必ず死を決して戦う。
必死可生,人盡力也。
必ず死ぬ覚悟をすれば生きられるので、人が力を尽くすのである。
王晳同梅堯臣《註》。
王晳(おうせき)の註は梅堯臣(ばいぎょうしん)の註と同じである。
何氏同杜牧《註》。
何氏(かし)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
焚輜重,棄糧食,塞井夷竈,示以無活,勵之使死戰也。
輜重を焚き、糧食を捨て、井戸をふさぎ竈を平らにして、生きられないことを示し、励まして死を賭して戦わせるのである。
43兵の情
故兵之情︰圍則禦,不得已則鬬,過則從。
だから兵の情とは、囲まれれば防ぎ、やむをえなくなれば闘い、度を越して追い込まれれば従うというものである。
注 15
相持禦也。
互いに持ちこたえて防ぐのである。
敵圍,我則禦之。
敵が囲めば、こちらは防ぐ。
言兵在圍地,始乃人人有禦敵持勝之心,相禦持也。窮則同心守禦。
兵が囲まれた地にあれば、はじめて人が一人一人敵を防いで勝ちを保とうという心を持ち、互いに防ぎ持ちこたえるという意味である。行き詰まれば心を同じくして守り防ぐ。
梅堯臣同杜牧《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
在圍,則自然持禦。
囲まれた所にあれば、自然に持ちこたえて防ぐ。
勢有不得已也。
勢がやむをえないものになったのである。
有不得已則戰。
やむをえない事があれば戦う。
勢無所往,必鬬。
勢として行く所がなければ、必ず闘う。
脫死難者,唯鬬而已。
死の難から脱する路は、ただ闘うだけである。
勢不可已,須悉力而鬬。
勢として已むことができないので、必ず力を尽くして闘う。
陷之甚過,則從計也。
度を越して追い込まれれば、計に従う。
過則審躡。又云︰陷之於過,則謀從之。
度を越せば、察して後を踏む。またこう言う。度を越したところに陥れば、謀がそれに従う。
甚陷,則無所不從。
ひどく陥れば、従わないことがない。
梅堯臣同孟氏《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)の註は孟氏(もうし)の註と同じである。
深陷於危難之地,則無不從計。若班超在鄯善,欲與麾下數十人殺虜使,乃諄諭之,其士卒曰「今在危亡之地,死生從司馬」是也。
危難の地に深く陥れば、計に従わない者がない。班超(はんちょう)が鄯善(ぜんぜん)にいたとき、率いていた数十人とともに胡の使者を殺そうとして、懇ろに言い諭したところ、その兵卒が「いまは危うく亡びる地にいるのですから、死ぬも生きるも司馬(しば)に従います」と言ったのが、これである。
44重ねて言う三つのこと
是故不知諸侯之謀者,不能預交;不知山林、險阻、沮澤之形者,不能行軍;不用鄉導者,不能得地利。
だから、諸侯の謀を知らない者はあらかじめ交わりを結ぶことができず、山林・険阻・沼沢の形を知らない者は軍を行らせることができず、郷の導き手を用いない者は地の利を得ることができない。
注 5
上已陳此三事,而復云者,力惡不能用兵,故復言之。
前にすでにこの三つの事を述べたのに、また言ったのは、兵を正しく用いることができないのを憂えて、重ねて言ったのである。
三事,軍之要也。
この三つの事は、軍の肝要なものである。
已解《軍爭篇》中。重陳此三者,蓋言敵之情狀、地之利害,當預知焉。
「軍争篇」ですでに解いた。この三つを重ねて並べたのは、敵の情のありさまと地の利害を、あらかじめ知るべきだということを言ったのである。
再陳者,勤戒之也。
重ねて並べたのは、勤めて戒めようとしたのである。
知此三事,然後能審九地之利害,故再陳於此也。
この三つの事を知ってはじめて九つの地の利害を審らかにできるので、ここに重ねて並べたのである。
45一つでも欠ければ
四五者不知一,非霸王之兵也。
四つ五つのうち一つでも知らなければ、覇王の兵ではない。
注 2
謂九地之利害。或曰︰上四五事也。
九つの地の利害をいう。あるいは、前の四つ五つの事だともいう。
四五,謂九地之利害,有一不知,未能全勝。
四つ五つとは、九つの地の利害をいう。一つでも知らなければ、全く勝つことはできない。
46覇王の兵
夫霸王之兵,伐大國,則其衆不得聚;威加於敵,則其交不得合。
そもそも覇王の兵が大国を討てば、その国の衆は集まることができず、威が敵に加われば、敵の交わりは結ばれることができない。
注 7
夫并兵震威,則諸侯自顧,不敢預交。
兵を併せて威を震わせれば、諸侯は自分の身を顧みて、あえてあらかじめ交わろうとしない。
權力有餘也,能分散敵也。
権と力が余っているので、敵を分け散らすことができるのである。
以義制人,人誰敢拒?
義で人を制するのだから、誰が敢えて拒もうか。
雖有霸王之勢,伐大國,則我衆不得聚,要在結交外援。若不如此,但以威加於敵,逞己之強,則必敗也。
覇王の勢があっても、大国を討てばわが衆が集まれないので、肝要なのは外の援けと交わりを結んでおくことにある。そうせずに、ただ敵に威を加えて自分の強さを誇れば、必ず敗れる。
伐大國,能分其衆,則權力有餘也;權力有餘,則威加敵;威加敵,則旁國懼;旁國懼,則敵交不得合也。
大国を討ちながらその衆を散らすことができれば権と力が余り、権と力が余れば敵に威が加わり、敵に威が加われば傍の国が懼れ、傍の国が懼れれば敵の交わりは結ばれない。
能知敵謀,能得地利,又能形之,使其不相救,不相恃,則雖大國,豈能聚衆而拒我哉?威之所加者大,則敵交不得合。
敵の謀を知り、地の利を得、さらに形を作って互いに救いも頼りもできないようにすれば、大国といえどもどうして衆を集めてこちらを拒めようか。加わる威が大きければ、敵の交わりは結ばれない。
恃富強之勢,而亟伐大國,則己之民衆將怨苦而不得聚也。甲兵之威,倍勝於敵國,則諸侯懼而不敢與我合交也。或曰︰侵伐大國,若大國一敗,則小國離而不聚矣。若晉楚爭鄭,晉勝,則鄭附晉;敗,則鄭叛也。小國旣離,則敵國之權力分而弱矣。或我之兵威得以增勝於彼,是則諸侯豈敢與敵人交合乎?
富み強い勢を頼んでしばしば大国を討てば、自分の民や衆が怨み苦しんで集まらなくなる。甲と兵の威が敵国に倍してまさっていれば、諸侯は懼れてあえてこちらと交わりを結ばない。あるいはこう言う。大国を侵し討って、大国が一度敗れれば、小国は離れて集まらなくなる。晋(しん)と楚(そ)が鄭(てい)を争ったとき、晋が勝てば鄭は晋に付き、負ければ鄭は背いたのと同じである。小国がすでに離れれば、敵国の権と力は分かれて弱くなる。またわが兵の威が敵よりまさるようになれば、諸侯がどうして敢えて敵と交わり結ぼうか。
47自分の力を信じる
是故不爭天下之交,不養天下之權,信己之私,威加於敵,故其城可拔,其國可隳。
だから天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、自分の力を信じて、威を敵に加える。だからその城を抜くことができ、その国を壊すことができる。
注 10
音伸。
「信」は「伸」と読む。
霸者,不結成天下諸侯之權也。絶天下之交,奪天下之權,故己威得伸而自私。
覇者は、天下の諸侯の権を結び合わせて成そうとはしない。天下の交わりを断ち、天下の権を奪うので、自分の威を伸べて自ら成し遂げることができる。
能絶天下之交,惟得伸己之私志,威而無外交者。
天下の交わりを断ち、ひとえに自分の志を伸べることができるのであり、威があって外と交わらない者である。
信,伸也。言不結鄰援,不蓄養機權之計,但逞兵威,加於敵國,貴伸己之私欲,若此者,則其城可拔,其國可隳。齊桓公問於管仲曰︰「必先頓甲兵、修文德、正封疆而親四鄰,則可矣。」於是復魯、衞、燕所侵地,而以好成,四鄰大親。乃南伐楚,北伐山戎,東制令支、折孤竹,西服流沙,兵車之會六,乘車之會三。乃率諸侯而朝天子。吳夫差破越於會稽,敗齊於艾陵,闕溝於商魯,會晉於黃池,爭長而反,威加諸侯,諸侯不敢與爭。句踐伐之,乞師齊楚,齊楚不應,民疲兵頓,爲越所滅。越王句踐問戰於申包胥曰︰「越國南則楚,西則晉,北則齊,春秋皮幣玉帛子女以賓服焉,未嘗敢絶,求以報吳,願以此戰。」包胥曰︰「善哉,蔑以加焉!」遂伐吳,滅之。
「信」とは伸べることである。隣の援けを結ばず、機と権の計を蓄え養うこともせず、ただ兵の威を誇って敵国に加え、自分の私欲を伸べることを貴ぶという意味である。このようであれば、その城を抜くことができ、その国を崩すことができる。斉(せい)の桓公(かんこう)が管仲(かんちゅう)に尋ねると、管仲が言った。「まず甲と兵を収め、文徳を修め、境を正して四方の隣と親しむべきです。」そこで魯(ろ)・衛(えい)・燕(えん)から奪った地を返して好みを結ぶと、四方の隣が大いに親しんだ。やがて南に楚を討ち、北に山戎(さんじゅう)を討ち、東に令支(れいし)を抑え孤竹(こちく)を折り、西に流沙(りゅうさ)を服させ、兵車で会したのが六度、乗車で会したのが三度であった。ついに諸侯を率いて天子に朝した。呉(ご)の夫差(ふさ)は会稽(かいけい)で越(えつ)を破り、艾陵(がいりょう)で斉を敗り、商(しょう)と魯に水路を掘り、黄池(こうち)で晋と会して首座を争って帰り、諸侯に威を加えたので、諸侯はあえて争わなかった。句践(こうせん)が討つと、斉と楚に兵を乞うたが斉も楚も応じず、民は疲れ兵は挫けて、越に滅ぼされた。越王句践が申包胥(しんほうしょ)に戦いについて尋ねて言った。「越国は南に楚、西に晋、北に斉があり、春秋ごとに皮や幣、玉や帛、子女を贈って賓として服し、一度も敢えて絶ったことがありません。これをもって呉に報いようと思い、この戦いをしたいのです。」包胥が言った。「よろしいことです。これに加えるものはありません。」こうしてついに呉を討って滅ぼした。
諸侯旣懼,不得附聚,不敢合從,我之智謀威力有餘,諸侯自歸,何用養交之也?
諸侯がすでに懼れて付き集まることができず、敢えて合わせ従うこともなく、こちらの智謀と威力が余っていて諸侯が自ら帰ってくるのだから、交わりを養って何に用いようか。
「不養」一作「不事」。
「不養」は、ある本には「不事」とある。
智力旣全,威權在我,但自養士卒,爲不可勝之謀,天下諸侯無權可事也。仁智義謀,己之私有,用以濟衆,故曰︰伸私,威振天下,德光四海,恩沾品物,信及豚魚,百姓歸心,無思不服。故攻城必拔,伐國必隳也。
智と力がすでに全く、威と権がこちらにあるのだから、ただ自ら士卒を養って勝たれようのない謀を立てれば、天下の諸侯に仕えるべき権などない。仁と智と義と謀は自分が持っているものであり、それで衆を済う。だから「私を伸べる」と言ったのである。威が天下を震わせ、徳が四海に輝き、恩が万物に浸み、信が豚や魚にまで及べば、百姓は心から帰って服さない者がない。だから城を攻めれば必ず抜き、国を討てば必ず崩す。
敵旣不得與諸侯合交,則我亦不爭其交,不養其權,用己力而已爾。威亦增勝於敵矣,故可拔其城,可隳其國。此謂霸王之兵也。
敵がすでに諸侯と交わり結べなければ、こちらもその交わりを争わず、その権を養わず、自分の力を用いるだけである。威もまた敵よりまさるのだから、その城を抜くことができ、その国を崩すことができる。これを覇王の兵という。
結交養權,則天下可從;申私損威,則國城不保。
交わりを結び権を養えば、天下が従いうる。自分の私だけを伸べて威を損なえば、国も城も保てない。
不爭交援,則勢孤而助寡;不養權力,則人離而國弱;伸一己之私忿,暴兵威於敵國,則終取敗亡也。或曰︰敵國衆旣不得聚,交又不得合,則我當絶其交,奪其權,得伸己所欲,而威倍於敵國,故人城可得而拔,人國可得而隳也。
交わりと援けを争わなければ勢が孤り助ける者が少なく、権と力を養わなければ人が離れ国が弱まる。一己の私の憤りを伸べて敵国に兵の威をみだりに振るえば、ついに敗亡を招く。あるいはこう言う。敵国の衆がすでに集まれず、交わりも結ばれなければ、こちらはその交わりを断ち、その権を奪って、自分の望むところを伸べることができ、威が敵国の倍になるので、人の城を抜くことができ、人の国を崩すことができる。
48法にない賞、政にない令
施無法之賞,懸無政之令,犯三軍之衆,若使一人。
法にない賞を施し、政にない令を懸ければ、三軍の衆を用いるのが一人を使うようになる。
注 8
欲拔城、隳國之時,故懸法外之賞罰,行政外之威令,故不守常法、常政,故曰「無法」、「無政」。
城を抜き国を崩そうとするときなので、法の外の賞罰を懸け、政の外の威ある令を行う。常の法、常の政を守らないので、「法がない」「政がない」と言ったのである。
瞻功行賞,法不預設;臨敵作誓,政不先懸。
功を見て賞を行うので法をあらかじめ設けず、敵に臨んで誓いを作るので政を先に懸けない。
杜姦媮也。曹公曰︰「軍法令不預施懸之。《司馬法》曰︰『見敵作誓,瞻功行賞。』」此之謂也。
姦りと怠りを塞ぐのである。曹公(そうこう)が言った。「軍の法と令はあらかじめ施し懸けておかない。『司馬法』に『敵を見て誓いを作り、功を見て賞を行う』とある。」これを言ったのである。
法不先施,政不預告,皆臨事立制,以勵士心。《司馬法》曰︰「見敵作誓,瞻功行賞。」
法を先に施さず、政をあらかじめ告げず、すべて事に臨んで制を立てて士の心を励ます。『司馬法』に「敵を見て誓いを作り、功を見て賞を行う」とある。
犯,用也。言明賞罰,雖用衆,若使一人也。
犯とは用いることである。賞罰を明らかにすれば、多くの衆を用いても一人を使うようであるという意味である。
善用兵者,爲法作政而人不知,懸事無令而人從之,是以犯衆如一人也。
兵を用いることに巧みな者は、法を作り政を定めても人が知らず、事を懸けておいて令がなくても人が従う。だから衆を用いるのが一人を用いるのと同じになる。
犯,用也。賞罰嚴明,用多若用寡也。
「犯」とは用いることである。賞罰が厳しく明らかであれば、多くを用いるのが少なきを用いるのと同じである。
賞功不逾時,罰罪不遷列。賞罰之典旣明且速,則用衆如寡也。
功に賞するのに時を越さず、罪を罰するのに列を移さない。賞罰の典が明らかでしかも速ければ、衆を用いるのが寡を用いるのと同じである。
49事で用いても言葉で告げない
犯之以事,勿告以言;犯之以利,勿告以害。
事で用いても、言葉で告げない。利で用いても、害を告げない。
注 8
但用以戰,不告以謀。
ただ戦いに用いるだけで、謀は告げない。
情泄則謀乖。
内情が漏れれば謀が狂う。
任用之於戰鬬,勿諭之以權謀;人知謀則疑也。若裴行儉不告士卒以徙營之由是也。
戦闘に任せて用いるが、権謀は諭さない。人が謀を知れば疑うからである。裴行倹(はいこうけん)が営を移すわけを士卒に告げなかったのと同じである。
勿使知害。
害を知らせないのである。
犯,用也。卒知言與害,則生疑難。
「犯」とは用いることである。兵卒が言葉と害を知れば、疑いと憚りが生じる。
用令知利,不令知害。
用いるとき、利は知らせ、害は知らせない。
慮疑懼也。
疑い懼れることを慮るのである。
人情見利則進,知害則避,故勿告以害也。
人の情は、利を見れば進み、害を知れば避ける。だから害を告げないのである。
50亡びる地に投げ入れてのちに生きる
投之亡地然後存,陷之死地然後生。
亡びる地に投げ入れてのちに存り、死ぬ地に陥れてのちに生きる。
注 5
必殊死戰,在亡地無敗者。孫臏曰︰「兵恐不投之死地也。」
必ず死を決して戦うので、亡びる地では敗れることがない。孫臏(そんぴん)が「兵は死ぬ地に投げ入れられないことを恐れる」と言った。
兵居死地,必決命而鬬以求生。韓信水上軍,則其義也。
兵が死ぬ地にいれば、必ず命を決して闘って生きることを求める。韓信(かんしん)が水際に陣を構えたのが、その意である。
地雖曰亡,力戰不亡;地雖曰死,死戰不死。故亡者存之基,死者生之本也。
地を亡びる所と言っても、力を尽くして戦えば亡びない。地を死ぬ所と言っても、死を賭して戦えば死なない。だから亡びは存ることの基であり、死は生の本である。
如漢王遣將韓信擊趙,未至井陘口三十里,止舍,夜半傳發,選輕騎二千人,人持一赤幟,從間道萆山而觀趙軍,誡曰︰「趙見我走,必空壁逐我;汝疾入趙壁,拔趙幟,立漢幟。」令其裨將傳餐曰︰「今日破趙會食。」信乃使萬人先行,出,背水陳。趙軍遙見而大笑。平旦,信建將軍之旗鼓,行出井陘口。趙開壁擊之,大戰良久。於是信走水上軍。趙空壁逐信。信已入水上軍,軍皆殊死戰,不可敗。信所出奇兵二千騎,馳入趙壁,皆拔趙幟,立漢赤幟。趙軍攻信旣不得,還壁見漢幟,大驚,遂亂,遁走。於是漢兵夾擊,大破虜趙軍,斬陳餘泜水上,擒趙王。諸將因問信曰︰「《兵法》︰右背山陵,前左水澤。今者,將軍令臣等反背水陳,曰『破趙會食』,臣等不服,然竟以勝,此何術也?」信曰︰「此在《兵法》,顧諸君不察耳。《兵法》不曰︰『陷之死地而後生,置之亡地而後存』乎?且信非得素拊循士大夫也,此所謂驅市人而戰,其勢非置之死地,使人人自爲戰,今與之生地,皆走,寧尚可得而用之乎?」諸將皆服,曰︰「非所及也!」梁將陳慶之守渦陽城,與後魏軍相持,自春至冬,數十百戰,師老氣衰。魏之援兵復欲築壘於軍後,諸將恐腹背受敵,議退師。慶之曰︰「共來至此,涉歷一歲,糜費糧仗,其數極多,諸軍並無鬬心,皆謀退縮,豈是欲立功名,直聚爲鈔暴耳!吾聞置兵死地,乃可求生,須虜大合,然後與戰,必捷。」諸將壯其計,從之。魏人掎角作十三城,慶之銜枚夜出,陷其四壘。所餘九城,兵甲猶盛。乃陳其俘馘,鼓譟而攻,遂大奔潰,斬獲略盡。後魏末,齊神武興義兵於河北。時尒朱兆等四將,兵馬號二十萬,夾洹水而軍。時神武士馬不滿三萬,以衆寡不敵,遂於韓陵山爲圓陳,繫牛驢以塞道。於是將士皆死戰,四面奮擊,大破之。齊神武兵少,天光等兵十倍,圍而缺之,神武乃自塞其缺,士皆有必死之志,是以破敵也。高齊北豫州刺史司馬消難請降後周,周將楊忠與柱國達奚武援之。於是共率騎士五千人,各乘馬一匹,從間道馳入齊境五百里,前後遣三使報消難,而皆不反命。去豫州三十里,武疑有變,欲還。忠曰︰「有進死,無退生!」獨以千騎夜趣城下,四面峭絶,徒聞擊柝之聲。武親來,麾數百騎以西。忠勒餘騎不動,候門開而入,乃馳遣召武。時齊鎮城將伏敬遠勒甲士二千人據東陴,舉烽嚴警。武憚之,不欲保城,乃多取財帛,以消難及其屬先歸。忠以三千騎爲殿,到洛南,皆解鞍而卧,齊衆來追,至於洛北。忠謂將士曰︰「但飽食。今在死地,賊必不敢渡水以當吾鋒。」食畢,齊兵佯若渡水,忠馳將擊之。齊兵不敢逼,遂徐引而退。
漢王が将の韓信(かんしん)を遣わして趙(ちょう)を撃たせた。井陘口(せいけいこう)の三十里手前で止まって宿り、夜半に軍を出して、軽い騎兵二千を選び、一人一人に赤い旗を一つ持たせ、間道から山に隠れて趙の軍をうかがわせ、こう言いつけた。「趙がこちらが走り去るのを見れば、必ず壁を空けてこちらを追う。おまえたちは速く趙の壁に入り、趙の旗を抜いて漢の旗を立てよ。」その裨将に食事を配らせて「今日は趙を破って集まって食おう」と言った。韓信は一万人を先に出し、水を背にして陣を敷かせた。趙の軍は遠くから見て大いに笑った。夜明けに、韓信は将軍の旗と鼓を立てて井陘口を出た。趙が壁を開いて撃ち、大きな戦いが長く続いた。そこで韓信は水際の軍へ走った。趙は壁を空けて韓信を追った。韓信が水際の軍に入ると、軍はみな死を決して戦い、破ることができなかった。韓信が出しておいた奇兵二千騎は趙の壁に駆け入り、趙の旗をみな抜いて漢の赤い旗を立てた。趙の軍は韓信を攻めても得られず、壁に帰って漢の旗を見て大いに驚き、ついに乱れて逃げ走った。そこで漢の兵が挟み撃って趙の軍を大いに破って捕らえ、泜水(しすい)のほとりで陳余(ちんよ)を斬り、趙王を擒にした。諸将が韓信に尋ねた。「兵法には、右と背は山陵に、前と左は水沢にせよとあります。いま将軍はわたくしどもに逆に水を背にして陣を敷かせ、『趙を破って集まって食おう』と言われ、わたくしどもは納得できませんでしたが、ついに勝ちました。これはどういう術でしょうか。」韓信が言った。「これも兵法にある。ただ諸君が察しなかっただけだ。兵法に『死ぬ地に陥れてのちに生き、亡びる地に置いてのちに存る』とあるではないか。しかもわたしは日ごろ手なずけ慣らした士大夫を得たのではない。これはいわゆる市の人を駆り立てて戦わせるというものだ。その勢として、死ぬ地に置いて人が一人一人自ら戦うようにしたのでなく、いま生きる地を与えたなら、みな走り去ったであろう。どうして彼らを得て用いることができたか。」諸将はみな服して「及ぶところではありません」と言った。梁(りょう)の将の陳慶之(ちんけいし)が渦陽城(かようじょう)を守り、後魏(こうぎ)の軍と対して春から冬まで数百たび戦ったので、軍は老い気は衰えた。魏の援兵がさらに軍の後ろに塁を築こうとすると、諸将は腹背に敵を受けるのを恐れて、軍を退くことを議した。慶之が言った。「共にここまで来て一年を過ごし、糧も武具も費やしたのはきわめて多いのに、諸軍はどれも闘う心がなく、みな退き縮むことばかり謀っている。どうして功名を立てようというのか、ただ集まって掠め暴れただけではないか。わたしは、兵を死ぬ地に置いてはじめて生きることを求められると聞いている。敵が大いに集まるのを待って戦えば、必ず勝つ。」諸将はその計を壮として従った。魏の人々は角を突き合わせるように十三の城を築いたが、慶之は枚を銜ませて夜に出て、その四つの塁を陥れた。残る九つの城は兵も甲もなお盛んであった。そこで捕らえた者と斬った首を並べ、鼓を打ち騒いで攻めたので、ついに大いに崩れ走り、斬り捕らえたものはほぼ尽きた。後魏の末、斉(せい)の神武(しんぶ)が河北で義の兵を起こした。そのとき尒朱兆(じしゅちょう)ら四将の兵馬は二十万と称し、洹水(かんすい)を挟んで陣を構えた。神武の士と馬は三万に満たず、寡勢で多勢に当たれないので、韓陵山(かんりょうざん)で円い陣を構え、牛と驢馬を繋いで道をふさいだ。そこで将も兵もみな死を賭して戦い、四面から奮い撃って大いに破った。斉の神武の兵は少なく、天光(てんこう)らの兵は十倍であったが、囲みながら一方を欠いておいたので、神武は自らその欠けた所をふさぎ、兵はみな必ず死ぬという志を抱いた。それで敵を破ったのである。高斉(こうせい)の北豫州刺史の司馬消難(しばしょうなん)が後周(こうしゅう)に降ることを請うたので、周の将の楊忠(ようちゅう)と柱国の達奚武(だっけいぶ)が援けに行った。そこで共に騎士五千人を率い、一人一頭の馬に乗って間道から斉の境内五百里を駆け入り、前後三度使いを遣わして消難に報せたが、みな帰って復命しなかった。豫州から三十里の所で、武は変があるのを疑って帰ろうとした。忠が言った。「進んで死ぬことはあっても、退いて生きることはない。」独り千騎を率いて夜に城の下へ赴いたが、四面は切り立っていて、ただ柝(ひょうしぎ)を打つ音だけが聞こえた。武が自ら来て数百騎を率いて西へ向かうと、忠は残りの騎を抑えて動かず、門が開くのを待って入り、そうしてから人を走らせて武を召した。そのとき斉の城を鎮めていた将の伏敬遠(ふくけいえん)が甲士二千人を率いて東の陴(ひめがき)を拠え、烽を挙げて厳しく警めた。武はこれを憚って城を保とうとせず、財と帛を多く取って、消難とその属を連れて先に帰った。忠は三千騎で殿をつとめ、洛水の南に至ると、みな鞍を解いて横になった。斉の衆が追って来て洛水の北に至った。忠が将士に言った。「ただ飽きるまで食え。いま死ぬ地にいるのだから、賊は必ず敢えて水を渡ってわが鋒先に当たることはない。」食い終わると、斉の兵が水を渡るふりをしたので、忠は駆けて撃とうとした。斉の兵は敢えて迫らず、ついに徐々に引いて退いた。
置之死亡之地,則人自爲戰,乃可存活也。項羽救趙,破釜焚廬,示以必死;諸侯從壁上觀,楚戰士無不一當十,遂虜秦將是也。
死と亡びの地に置けば、人は一人一人自ら戦うので、生き存ることができる。項羽(こうう)が趙を救うとき、釜を破り廬を焚いて必ず死ぬ意を示したので、諸侯は壁の上から見ているだけで、楚の戦士は一人で十人に当たらない者がなく、ついに秦の将を擒にしたのが、これである。
51害に陥ってのちに
夫衆陷於害,然後能爲勝敗。
そもそも衆が害に陥ってのちに、勝ち負けを作ることができる。
注 2
未陷難地,則士卒心不專;旣陷危難,然後勝敗在人爲之爾。
まだ難しい地に陥っていなければ、士卒の心が専らでない。すでに危難に陥ってのちに、勝ち負けは人の為すところにかかるだけである。
士卒用命,則勝敗之事在我所爲。
士卒が命を使えば、勝ち負けの事はこちらの為すところにかかる。
52敵の意に従うふりをする
故爲兵之事,在於順詳敵之意,并敵一向,千里殺將。
だから兵の事は、敵の意に従うふりをすることにある。兵を併せて一つの方へ向かえば、千里のかなたの将をも殺す。
注 12
佯,愚也。或曰︰彼欲進,設伏而退;彼欲去,開而擊之。
詳とは、そのように見せかけることである。あるいはこう言う。敵が進もうとすれば伏を設けて退き、敵が去ろうとすれば道を開いて撃つ。
敵欲攻,我以守待之;敵欲戰,我以奇待之。退伏利誘,皆順其所欲。
敵が攻めようとすればこちらは守って待ち、敵が戦おうとすればこちらは奇で待つ。退いて伏せ、利で誘うのは、みな敵の望むところに従うことである。
夫順敵之意,蓋言我欲擊敵,未見其隙,則藏形閉跡,敵人之所爲,順之勿驚。假如強以陵我,我則示怯而伏,且順其強,以驕其意,候其懈怠而攻之。假如欲退而歸,則開圍使去,以順其退,使無鬬心,遂因而擊之。皆順敵之旨也。
敵の意に従うとは、こちらが敵を撃とうとしてもその隙が見えなければ、形を隠し跡を閉ざして、敵のすることに従い驚かせないという意味である。たとえば敵が強さでこちらを押さえつけるなら、こちらは怯えたふうを見せて伏せ、その強さに従ってその意を驕らせ、怠るのを待って攻める。たとえば敵が退いて帰ろうとするなら、囲みを開いて去らせ、その退くのに従って闘う心をなくさせ、そのうえでそれに乗じて撃つ。みな敵の趣旨に従うことである。
順敵之旨,不假多說,但強示之弱,進示之退,使敵心不戒,然後攻而破之必矣。
敵の趣旨に従うことに、多くの言葉はいらない。ただ強くありながら弱く見せ、進みながら退くように見せて、敵の心が戒めないようにし、そのうえで攻めれば、必ず破れる。
佯怯、佯弱、佯亂、佯北,敵人輕來,我志乃得。
怯えたふり、弱いふり、乱れたふり、敗れ走るふりをすれば、敵は軽々しく来るので、こちらの志が成る。
彼欲進,則誘之令進;彼欲退,則緩之令退,奉順其旨,設奇伏以取之。或曰︰敵有所欲,當順其意以驕之,留爲後圖。若東胡遣使謂冒頓曰︰「欲得頭曼千里馬。」冒頓與之。復遣使來曰︰「願得單于一閼氏。」冒頓又與之。及其驕怠而擊之,遂滅東胡是也。
敵が進もうとすれば誘って進ませ、敵が退こうとすれば緩めて退かせ、その趣旨を奉って従いながら、奇と伏を設けて取る。あるいはこう言う。敵に望むものがあれば、その意に従って驕らせ、後の図りごとのために残しておく。東胡(とうこ)が使いを遣わして冒頓(ぼくとつ)に「頭曼(とうまん)の千里の馬を得たい」と言うと冒頓はこれを与え、また使いを遣わして「単于(ぜんう)の閼氏(えんし)の一人を得たい」と言うと冒頓はまた与えた。相手が驕り怠ったところを撃って、ついに東胡を滅ぼしたのが、これである。
并兵向敵,雖千里能擒其將也。
兵を併せて敵に向かえば、千里のかなたでもその将を擒にできる。
上文言爲兵之事,在順敵人之意,此乃未見敵人之隙耳。若已見其隙,有可攻之勢,則須并兵專力,以向敵人,雖千里之遠,亦可以殺其將也。
前の文で兵の事は敵の意に従うことにあると言ったのは、まだ敵の隙が見えていないときのことにすぎない。すでにその隙を見て攻められる勢があれば、兵を併せ力を専らにして敵に向かうべきであり、千里も遠い所でも、その将を殺すことができる。
能以利誘敵人,使一向趨之,則我雖遠千里,亦可擒殺其將。
利で敵を誘って一方へ駆けさせれば、こちらが千里遠くにいても、その将を擒にして殺すことができる。
隨敵一向,然後發伏出奇,則能遠擒其將。
敵に従って一方へ向かわせ、そのうえで伏を発し奇を出せば、遠くからでもその将を擒にできる。
順敵意,隨敵形,及其空虛不虞,并兵一力以向之,乘勢可千里而覆軍殺將也。
敵の意に従い、敵の形に随って、その空しく思いがけぬときに及び、兵を併せ力を一つにして向かえば、勢に乗じて千里でも軍を覆し将を殺すことができる。
敵旣驕惰,則并兵力以向之,可以覆其軍、殺其將,則明如冒頓滅東胡之事是也。
敵がすでに驕り怠れば、兵の力を併せて向かい、その軍を覆しその将を殺すことができる。冒頓(ぼくとつ)が東胡(とうこ)を滅ぼした事が、その明らかな例である。
53巧みさで事を成す
此謂巧能成事者也。
これを、巧みさで事を成す者という。
注 4
是成事巧者也。一作「是謂巧攻成事」。
事を成すのに巧みなことである。ある本には「これを、巧みに攻めて事を成すという」とある。
能順敵而取勝,機巧者也。
敵に従って勝ちを取るのだから、機に巧みなのである。
能如此者,是巧攻之成事也。
このようにできれば、巧みな攻めで事を成したのである。
始順其意,後殺其將,成事之巧也。
初めはその意に従い、後にはその将を殺す。事を成す巧みさである。
54政を挙げる日
是故政舉之日,夷關折符,無通其使,厲於廊廟之上,以誅其事,敵人開闔,必亟入之,先其所愛,微與之期,踐墨隨敵,以決戰事。
だから政を挙げる日には、関を塞ぎ符を折って、その使いを通さず、廊廟の上で励んでその事を治める。敵に開き閉じる隙ができたなら、必ず速やかに入り込み、敵の愛しむところを先に取り、ひそかに期を定める。墨縄を踏みながらも敵に随って動き、戦いの事を決する。
注 35
謀定,則閉關以絶其符信,勿通其使。
謀が定まれば、関を閉ざしてその符信を断ち、使いを通さない。
政令旣行,閉關折符,無得有所沮議,恐惑衆士心也。
政と令がすでに行われれば、関を閉ざし符を折って、阻み議することがないようにする。多くの士の心を惑わすのを恐れるからである。
其所不通,豈敵人之使乎?若敵人之使不受,則何必夷關折符,然後爲不通乎?答曰︰夷關折符者,不令國人出入,蓋恐敵人有間使潛來,或藏形隱跡,由危歷險,或竊符盜信,假託姓名,而來窺我也。無通其使者,敵人若有使來聘,亦不可受之,恐有智能之士,如張孟談、婁敬之屬,見其微而知著,測我虛實也。此乃兵形未成,恐敵人先事以制我也;兵形已成,出境之後,則使在其間,古之道也。
通さないのは、どうして敵の使いだけであろうか。敵の使いを受けないなら、どうして必ず関を塞ぎ符を折ってのちに通さないことになるのか。答える。関を塞ぎ符を折るのは、国の人が出入りできないようにすることである。敵の間者の使いがひそかに来て、形を隠し跡を潜め、危うく険しい所を経て来たり、符や信を盗んで姓名を借り、こちらをうかがいに来るのを恐れるからである。その使いを通さないとは、敵が使いを遣わして訪ねて来ても受けないことである。張孟談(ちょうもうだん)や婁敬(ろうけい)のような智のある士が、微かなものを見て著しいものを知り、こちらの虚実を測るのを恐れるからである。これは兵の形がまだ成らず、敵が先に事を起こしてこちらを制するのを恐れるからである。兵の形がすでに成って境を出た後は、使いがその間を行き来するのが、古の道である。
夷,滅也;折,斷也。舉政之日,滅塞關梁,斷毁符節,使不通也。使不通者,恐泄我事也。
「夷」とは壊すことであり、「折」とは断つことである。政を挙げる日に関と橋を塞ぎ、符節を断って通さないようにする。通さないのは、こちらの事が漏れるのを恐れるからである。
廟算已定,軍謀已成,則夷塞關梁,毁折符信,勿通使命,恐泄我事也。彼有使來,則當納之,故下文云︰「敵人開闔,必亟入之。」
廟の算がすでに定まり、軍の謀がすでに成れば、関と橋を壊し塞ぎ、符と信を折り、使いの命を通さない。こちらの事が漏れるのを恐れるからである。敵から使いが来れば、受け入れるべきである。だから後の文に「敵が開き閉じるとき、必ず速やかに入れる」とある。
誅,治也。
誅とは、治めることである。
厲,揣厲也。言廊廟之上,誅治其事。成敗先定,然後興師。一本作「以謀其事」。
「厲」とは、揣り量って励むことである。廊廟の上でその事を治め定めるという意味である。勝ち負けを先に定めてのちに師を興す。ある本には「以謀其事」とある。
嚴整於廊廟之上,以計其事,言其密也。
廊廟の上で厳しく整えてその事を計る。その密かなことを言ったのである。
磨厲廟勝之策,以責成其事。
廟で勝つ策を磨き励まして、その事を成すよう責め課す。
兵者大事,不可輕議,當惕厲於廟堂之上,密治其事,貴謀不外泄也。
兵は大事であって軽々しく議することができないので、廟堂の上で惕れ励み、その事を密かに治めるべきである。謀が外に漏れないことを貴ぶ。
敵有間隙,當急入之也。
敵に間隙があれば、まさに急いで入り込むべきである。
敵開闔未定,必急來也。
敵の開き閉じがまだ定まっていなければ、必ず急いで来るべきである。
開闔,間者也。有間來,則疾內之。
「開闔」とは間者である。間者が来れば、速やかに入れる。
梅堯臣同孟氏《註》。
梅堯臣(ばいぎょうしん)の註は孟氏(もうし)の註と同じである。
開闔,謂間使也。敵有間來,當急受之。或曰︰謂敵人或開或闔,出入無常,進退未決,則宜速乘之。
「開闔」とは間者の使いをいう。敵の間者が来れば、急いで受けるべきである。あるいはこう言う。敵が開いたり閉じたりして出入りが定まらず、進退を決しかねていれば、速やかにその隙に乗ずるべきである。
據利便也。
利があって便な所を占める。
先攻其積聚及妻子,利不擇其用也。
蓄えと妻子を先に攻める。利があれば、その用いるものを択ばない。
凡是敵人所愛惜倚恃以爲軍者,則先奪之也。
およそ敵が愛しみ惜しみ、頼りにして軍としているものは、先に奪う。
先察其便利愛惜之所也。
その便で利があり愛しむ所を先に察する。
何氏同杜牧《註》。
何氏(かし)の註は杜牧(とぼく)の註と同じである。
後人發,先人至。
人より後れて出発し、人より先に至る。
微者,潛也。言以敵人所愛利便之處爲期,將欲謀奪之,故潛往赴期,不令敵人知也。
「微」とは、ひそかにすることである。敵が愛しむ利があり便な所を期する場とし、謀って奪おうとするので、ひそかに行ってその期に赴き、敵に知らせないという意味である。
我若先奪便地,而敵不至,雖有其利,亦奚用之?是以欲取其愛惜之處,必先微與敵人相期,誤之使必至。
こちらが先に便な地を奪っても、敵が来なければ、その利があっても何に用いようか。だから敵が愛しみ惜しむ所を取ろうとするなら、必ずまずひそかに敵と期を合わせ、敵を誤らせて必ず来させる。
微露之期,使間歸告,然後,我後人發、先人至也。
期をそっと漏らして、間者が帰って告げるようにし、そのうえでこちらは人より後れて出発し、人より先に至る。
權,譎也。微者,所以示密。曹公曰︰「先敵至也。」後發者,欲其必赴也;先至者,奪其所愛也。
「権」とは偽りである。「微」とは、密かであることを示すものである。曹公(そうこう)が言った。「敵より先に至るのである。」後れて出発するのは敵が必ず赴くようにするためであり、先に至るのは敵の愛しむ所を奪うためである。
兵所愛者,便利之地。我欲先據,當微露其意,與之相期;敵方趨之,我乃後發而先至也。所以使敵先趨者,恐我至而敵不來也。故曰︰「爭地,吾將趨其後。」
兵が愛しむものは、便で利のある地である。こちらが先に占めようとするなら、その意をそっと漏らして敵と期を合わせるべきである。敵がそこへ赴こうとするとき、こちらは後れて出発して先に至る。敵を先に赴かせるのは、こちらが至ったのに敵が来ないのを恐れるからである。だから「争う地では、その後へ赴こう」と言ったのである。
行踐規矩無常也。
墨縄を踏みながら、定まった規矩を持たない。
墨者,出道也。出遲道而從之,恐不及。
「墨」とは道を出すことである。遅い道に出て従えば、及ばないのを恐れる。
墨,規矩也。言我常須踐履規矩,深守法制,隨敵人之形;若有可乘之勢,則出而決戰也。
「墨」とは規矩である。こちらは常に規矩を踏み履んで法制を深く守り、敵の形に随うべきであり、乗ずべき勢があれば出て決戦するという意味である。
兵雖要在迅速,以決戰事,然自始及末,須守法制,縱獲勝捷,亦不可爭競擾亂也。城濮之戰,晉文公登有莘之墟以望其師,曰︰「少長有禮,其可用也。」
兵は速さを肝要として戦いを決するものであるが、初めから終わりまで法制を守らねばならず、たとえ勝ちを得ても、争い競って乱してはならない。城濮(じょうぼく)の戦いで、晋の文公(ぶんこう)が有莘(ゆうしん)の墟に登ってその軍を望み、「若い者も年長の者も礼があるから、用いることができる」と言った。
「踐墨」一作「剗墨」。
「踐墨」は、ある本には「剗墨」とある。
剗,除也;墨,繩墨也。隨敵計以決戰事,惟勝是利,不可守以繩墨而爲。
「剗」とは取り除くことであり、「墨」とは縄墨である。敵の計に随って戦いの事を決するのであり、ただ勝つことが利であって、縄墨を守るようにして行うことはできない。
舉動必踐法度,而隨敵屈伸,因利以決戰也。
動きは必ず法度を踏みながら、敵の屈み伸びに随い、利に因って戦いを決する。
踐兵法如繩墨,然後可以順敵決勝。
兵法を縄墨のように踏んでのちに、敵に順って勝ちを決することができる。
循守法度,踐履規矩,隨敵變化,形勢無常,乃可以決戰取勝。墨,繩墨也。婦人左右、前後、跪起,皆中規矩繩墨是也。
法度に循い守り、規矩を踏み履み、敵の変化に随うので、形勢が定まらない。そうしてはじめて決戦して勝ちを取ることができる。「墨」とは縄墨である。婦人たちが左右、前後、跪き起ちするのがみな規矩と縄墨に適っていたのが、これである。
55初めは処女のように、後は逃げる兔のように
是故始如處女,敵人開戶;後如脫兔,敵不及拒。
だから、初めは処女のようにして敵に戸を開かせ、後は逃げる兔のようにして敵が拒むに及ばないようにする。
注 5
處女示弱,脫兔往疾也。
処女は弱さを示すことであり、逃げる兔は行くことが疾いことである。
言敵人初時謂我無所能爲,如處女之弱,我因急去攻之,險迅疾速,如兔之脫走,不可捍拒也。或曰︰我避敵走如脫兔。曰︰非也。
敵が初めはこちらに何もできるところがないと思い、処女のように弱いと見ていたのに、こちらがその隙に急いで行って攻めるので、険しく疾く速いことが逃げ走る兔のようで、防ぎ拒むことができないという意味である。あるいは「こちらが敵を避けて走るのが逃げた兔のようだ」と言うが、そうではない。
始若處女,踐規矩之謂也;後若脫兔,應敵決戰之速也。
初めに処女のようだとは、規矩を踏むことをいい、後に逃げた兔のようだとは、敵に応じて戦いを決する速さである。
處女,隨敵也;開戶,不虞也;脫兔,疾也。若田單守卽墨破燕軍是也。
処女は敵に随うことであり、戸を開くのは思いがけないことであり、逃げた兔は疾いことである。田単(でんたん)が即墨(そくぼく)を守って燕(えん)の軍を破ったのと同じである。
守則如處女之弱,令敵懈怠,是以啓隙;攻則猶脫兔之疾,乘敵倉卒,是以莫禦。太史公謂田單守卽墨攻騎刼,正如此語,不其然乎?
守るときは処女の弱さのようにして敵を怠らせるので、それで隙が開く。攻めるときは逃げた兔の疾さのようにして敵の慌てるところに乗ずるので、それで防げない。太史公(たいしこう)が、田単(でんたん)が即墨(そくぼく)を守って騎劫(きこう)を攻めた事をまさにこの語のとおりだと言ったのは、そのとおりではないか。