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中山経 第一中山經

山海経(山と海の彼方を記した経) 山海經 · 作者未詳 · 郭璞 注 · 戦国〜前漢(注は4世紀) · 段落 16 · 漢字 603字 · 朗読 2.4分

山海経(山と海の彼方を記した経) 山経・中山経 山の彼方と海の外の国々を記した最も古い地理書であり、神話の蔵である。一人が作ったものではなく、戦国時代から漢まで多くの手を経てできあがり、4世紀に郭璞が注を付けた。九尾の狐、精衛、夸父、刑天、西王母はみなここから出た。「東海の内、北海の隅に国があり、その名を朝鮮という」 — 朝鮮という名が残る最も早い記録の一つがこの書にある。

《中山經》薄山之首,曰甘棗之山。共水出焉,而西流注于河。其上多杻木,其下有草焉,葵本而杏葉,黃華而莢實,名曰籜,可以已瞢。有獸焉,其狀如𤠢鼠而文題,其名曰㔮,食之已癭。

『中山経』薄山の連なりの初めは甘棗山である。共水がここから出て、西へ流れて黄河に注ぐ。その上には杻の木が多く、その下に草があって、茎はあおいで葉はあんずであり、花が黄色く実はさやである。名を籜といい、目がかすむのを治すことができる。ここに獣がいて、形はねずみのようで額に文がある。その名を㔮といい、これを食べるとこぶが治る。

又東二十里,曰歷兒之山,其上多橿,多櫔木,是木也,方莖而員葉,黃華而毛,其實如揀,服之不忘。

さらに東へ二十里行くと歴児山である。その上には橿が多く、櫔の木が多い。この木は茎が四角く葉が丸く、花が黄色くて毛がある。その実はせんだんのようで、これを身につけると忘れない。

又東十五里,曰渠豬之山,其上多竹,渠豬之水出焉,而南流注于河。其中是多豪魚,狀如鮪,而赤喙赤尾赤羽,可以已白癬。

さらに東へ十五里行くと渠猪山である。その上には竹が多い。渠猪の水がここから出て、南へ流れて黄河に注ぐ。その水には豪魚が多く、形は鮪のようで、くちばしが赤く、尾が赤く、ひれが赤い。白いたむしを治すことができる。

又東三十五里,曰蔥聾之山,其中多大谷,是多白堊,黑、青、黃堊。

さらに東へ三十五里行くと葱聾山である。その中には大きな谷が多く、白い白土と、黒・青・黄の白土が多い。

又東十五里,曰涹山,其上多赤銅,其陰多鐵。

さらに東へ十五里行くと涹山である。その上には赤い銅が多く、その陰には鉄が多い。

又東七十里,曰脫扈之山。有草焉,其狀如葵葉而赤華,莢實,實如棕椶莢,名曰植楮,可以已癙,食之不眯。

さらに東へ七十里行くと脱扈山である。ここに草があって、形はあおいの葉のようで花が赤く、実はさやである。実はしゅろのさやのようで、名を植楮という。心の病を治すことができ、これを食べると悪夢に襲われない。

又東二十里,曰金星之山,多天嬰,其狀如龍骨,可以已痤。

さらに東へ二十里行くと金星山である。天嬰が多く、形は龍の骨のようで、吹き出ものを治すことができる。

又東七十里,曰泰威之山,其中有穀,曰梟谷,其中多鐵。

さらに東へ七十里行くと泰威山である。その中に谷があって、梟谷という。その中には鉄が多い。

又東十五里,曰橿谷之山,其中多赤銅。

さらに東へ十五里行くと橿谷山である。その中には赤い銅が多い。

又東百二十里,曰吳林之山,其中多葌草。

さらに東へ百二十里行くと呉林山である。その中には葌草が多い。

又北三十里,曰牛首之山。有草焉,名曰鬼草,其葉如葵而赤莖,其秀如禾,服之不憂。勞水出焉,而西流注于潏水。是多飛魚,其狀如鮒魚,食之已痔衕。

さらに北へ三十里行くと牛首山である。ここに草があって、名を鬼草という。その葉はあおいのようで茎が赤く、その穂は稲のようである。これを身につけると憂えない。労水がここから出て、西へ流れて潏水に注ぐ。ここには飛魚が多く、形はふなのようで、これを食べると痔と下痢が治る。

又北四十里,曰霍山,其木多穀。有獸焉,其狀如貍,而白尾有鬛,名曰朏朏,養之可以已憂。

さらに北へ四十里行くと霍山である。その木はこうぞが多い。ここに獣がいて、形はやまねこのようで尾が白く、たてがみがある。名を朏朏といい、これを飼うと憂いを払うことができる。

又北五十二里,曰合谷之山,是多薝棘。

さらに北へ五十二里行くと合谷山である。ここには薝棘が多い。

又北三十五里,曰陰山,多礪石、文石。少水出焉,其中多彫棠,其葉如榆葉而方,其實如赤菽,食之已聾。

さらに北へ三十五里行くと陰山である。砥石と文の入った石が多い。少水がここから出る。その水には彫棠が多く、その葉はにれの葉のようで四角く、その実は赤い豆のようである。これを食べると耳が聞こえないのが治る。

又東北四百里,曰鼓鐙之山,多赤銅。有草焉,名曰榮草,其葉如柳,其本如雞卵,食之已風。

さらに東北へ四百里行くと鼓鐙山である。赤い銅が多い。ここに草があって、名を栄草という。その葉はやなぎのようで根は鶏の卵のようであり、これを食べると風の病が治る。

凡薄山之首,白甘棗之山至于鼓鐙之山,凡十五山,六千六百七十里。歷兒、冢也,其祠禮:毛,太牢之具;縣嬰以吉玉。其餘十三者,毛用一羊,縣嬰用藻珪,瘞而不糈。藻珪者,藻玉也,方其下而銳其上,而中穿之加金。

およそ薄山の連なりの初めは甘棗山から鼓鐙山まで、全部で十五の山、六千六百七十里である。歴児山は冢である。その祭りの礼は、毛の揃った太牢の供えを備え、吉玉を懸けて供える。その残りの十三には、毛の揃った羊一匹を用い、藻珪を懸けて供え、埋めて供えの米は用いない。藻珪とは藻玉のことで、下が四角く上が尖っており、中を穿って金を加えたものである。