烏仗那国烏仗那國
烏仗那國周五千餘里,山谷相屬,川澤連原。穀稼雖播,地利不滋。多蒲萄,少甘蔗,地產金、鐵,宜郁金香,林樹蓊郁,花果茂盛。寒暑和暢,風雨順序。人性怯懦,俗情譎詭。好學而不功,禁咒為藝業。多衣白氎,少有餘服。語言雖異,大同印度。文字禮儀,頗相參預。崇重佛法,敬信大乘。夾蘇婆伐窣堵河,舊有一千四百伽藍,多已荒蕪。昔僧徒一萬八千,今漸減少。並學大乘,寂定為業,喜誦其文,未究深義,戒行清潔,特閑禁咒。律儀傳訓,有五部焉:一法密部,二化地部,三飲光部,四說一切有部,五大眾部。天祠十有餘所,異道雜居。堅城四五,其王多治瞢揭厘城。城周十六七里,居人殷盛。
烏仗那国は周囲五千余里である。山と谷が連なり、川と沢が野に続いている。穀物を播くけれども、土地の実りは豊かでない。葡萄が多く、甘蔗は少ない。土地からは金と鉄を産し、欝金香に適する。林の木は生い茂り、花や果実が盛んに茂る。寒さと暑さは和らぎ、風と雨は順序に従う。人の性質は臆病で、風俗の情には偽りが多い。学ぶことを好むが励んで成さず、禁呪を技として業とする。白い木綿の衣を多く着て、ほかの衣は少ない。言葉は異なるが、おおむねインドと同じである。文字と礼儀もかなり通じ合っている。仏法を篤く重んじ、大乗を敬い信じている。蘇婆伐窣堵河をはさんで、昔は千四百の伽藍があったが、すでに多くが荒れ果てている。昔は僧が一万八千いたが、いまは次第に減っている。みな大乗を学び、静かに定を修めることを業として、その文を誦むことを喜ぶが、深い義はきわめていない。戒行は清く潔く、とりわけ禁呪に通じている。律儀の教えを伝えるものに五つの部がある。一に法密部、二に化地部、三に飲光部、四に説一切有部、五に大衆部である。天祠は十余か所、外道が入りまじって住む。堅い城が四、五あり、その王はおおむね瞢揭厘城で治めている。城は周囲十六、七里で、住む人は多く盛んである。
2忍辱の仙が身を截られた所
瞢揭厘城東四五里有大窣堵波,極多靈瑞,是佛在昔作忍辱仙,於此為羯利王割截肢體。
瞢揭厘城の東四、五里に大きな窣堵波があり、霊しい瑞兆がきわめて多い。これは仏が昔、忍辱の仙であったとき、ここで羯利王に手足を割き截られた所である。
夾注 1
唐言鬥諍。舊云哥利,訛也。
唐の言葉で闘い諍うことをいう。昔は哥利といったが、誤りである。
3阿波邏羅竜の泉
瞢揭厘城東北行二百五六十里,入大山,至阿波邏羅龍泉,即蘇婆伐窣堵河之源也。派流西南,春夏含凍,晨夕飛雪,雪霏五彩,光流四照。此龍者,迦葉波佛時生在人趣,名曰殑祇,深閑咒術,禁禦惡龍,不令暴雨,國人賴之,以稸餘糧。居人眾庶感恩懷德,家稅斗穀以饋遺焉。既積歲時,或有逋課。殑祇含怒,願為毒龍,暴行風雨,損傷苗稼。命終之後,為此地龍。泉流白水,損傷地利。釋迦如來大悲御世,湣此國人獨遭斯難,降神至此,欲化暴龍。執金剛神杵擊山崖,龍王震懼,乃出歸依。聞佛說法,心凈信悟,如來遂制勿損農稼。龍曰:「凡有所食,賴收人田,今蒙聖教,恐難濟給,願十二歲一收糧儲。」如來含覆,湣而許焉。故今十二年一遭白水之災。
瞢揭厘城の東北へ二百五、六十里行き、大きな山に入ると、阿波邏羅竜の泉に至る。すなわち蘇婆伐窣堵河の源である。流れは西南に分かれ、春や夏にも氷を含み、朝夕に雪が飛ぶ。雪は五色に散り乱れ、光が四方を照らす。この竜は、迦葉波仏の時に人として生まれ、名を殑祇といった。呪術に深く通じ、悪い竜を禁じ禦いで荒い雨を降らせなかったので、国の人はそれに頼って余りの糧を蓄えた。住む民たちは恩に感じ徳を懐いて、家ごとに一斗の穀を税として贈った。歳月が積もると、税を怠る者が出た。殑祇は怒りを含み、「毒の竜となって荒い風と雨を行い、苗や作物を損ない傷めよう」と願った。命を終えたのち、この地の竜となった。泉は白い水を流して土地の実りを損ない傷めた。釈迦如来は大悲をもって世を御され、この国の人だけがこの難に遭うのを哀れんで、神を降してここに至り、荒い竜を教化しようとされた。執金剛神が杵で山の崖を撃つと、竜王は震え恐れ、そこで出て来て帰依した。仏の法を聞いて心が浄らかになり信じ悟ったので、如来はついに農作物を損なってはならないと命じられた。竜は申し上げた。「およそ食べるものは人の田から収めるのに頼っておりました。いま聖なる教えを受けましたが、やっていくのが難しいのではないかと恐れます。願わくは十二年に一度、糧を収め蓄えさせてください。」如来は寛く覆い、哀れんで許された。それゆえ今も十二年に一度、白い水の災いに遭う。
4如来の足跡と衣を洗った石
阿波邏羅龍泉西南三十餘里,水北岸大磐石上,有如來足所履跡,隨人福力,量有短長。是如來伏此龍已,留跡而去。後人於上積石為室,遐邇相趨,花香供養。順流而下三十餘里,至如來濯衣石,袈裟之文煥焉如鏤。
阿波邏羅竜の泉の西南三十余里、水の北岸の大きな盤石の上に、如来が踏まれた足の跡がある。人の福の力に応じて、その大きさが短くも長くもなる。これは如来がこの竜を伏せられたのち、跡を留めて去られたものである。後の人がその上に石を積んで室とし、遠近から互いに走り集まって、花と香で供養している。流れに沿って三十余里下ると、如来が衣を洗われた石に至る。袈裟の文が、刻んだようにはっきりしている。
5醯羅山 — 半分の頌に身を捨てた所
瞢揭厘城南四百餘里,至醯羅山,谷水西派,逆流東上。雜花異果,被澗緣崖,峰巖危險,溪谷盤紆,或聞喧語之聲,或聞音樂之響。方石如榻,宛若工成,連延相屬,接布崖谷。是如來在昔為聞半頌之法,於此舍身命也。
瞢揭厘城の南四百余里行くと、醯羅山に至る。谷の水は西に分かれ、逆らって東に上る。さまざまな花と珍しい果実が澗を覆い崖をめぐり、峰や岩は険しく、渓や谷は曲がりめぐっている。あるいは騒がしく語る声が聞こえ、あるいは音楽の響きが聞こえる。四角い石が床のようで、まるで人が作ったかのようであり、連なり続いて崖や谷に敷かれている。これは如来が昔、半分の頌の法を聞くために、ここで身と命を捨てられた所である。
夾注 1
舊曰偈,梵文略也。或曰偈他,梵音訛也。今從正音,宜云伽他。伽他者,唐言頌,頌三十二言。
昔は偈といったが、梵文を略したものである。あるいは偈他というが、梵音の誤りである。いまは正しい音に従って、伽他というのがよい。伽他とは唐の言葉で頌であり、一頌は三十二言である。
6摩訶伐那の伽藍 — 薩縛達多王
瞢揭厘城南二百餘里,大山側,至摩訶伐那。伽藍。是如來昔修菩薩行,號薩縛達多王。避敵棄國,潛行至此,遇貧婆羅門,方來乞丐。既失國位,無以為施,遂令羈縛,擒往敵王,冀以賞財,回為惠施。
瞢揭厘城の南二百余里、大きな山のかたわらに、摩訶伐那の伽藍に至る。これは如来が昔、菩薩の行を修めて薩縛達多王と号したとき、敵を避けて国を捨て、ひそかに行ってここに至り、貧しい婆羅門に出会った所である。その婆羅門はちょうど来て乞い求めていた。すでに王位を失って施すものがなかったので、ついにみずからを縛らせ、敵の王のもとへ連れて行かせて、その賞の財を回して恵み施そうとしたのである。
夾注 2
唐言大林
唐の言葉で大きな林という。
唐言一切施
唐の言葉で一切を施すことをいう。
7摩愉の伽藍 — 骨を析いて経を書いた所
摩訶伐那伽藍西北,下山三四十里,至摩愉。伽藍。有窣堵波,高百餘尺。其側大方石上,有如來足蹈之跡。是佛昔蹈此石,放拘胝光明,照摩訶伐那伽藍,為諸人、天說本生事。其窣堵波基下有石,色帶黃白,常有津膩。是如來在昔修菩薩行,為聞正法,於此析骨書寫經典。
摩訶伐那の伽藍の西北、山を下って三、四十里行くと、摩愉の伽藍に至る。窣堵波があり、高さは百余尺である。そのかたわらの大きな四角い石の上に、如来が踏まれた跡がある。これは仏が昔この石を踏み、倶胝の光明を放って摩訶伐那の伽藍を照らし、もろもろの人と天のために本生の事を説かれた所である。その窣堵波の基の下に石があり、色は黄と白を帯びて、つねに脂のような潤いがある。これは如来が昔、菩薩の行を修めていたとき、正しい法を聞くために、ここで骨を析いて経典を書き写された所である。
夾注 1
唐言豆
唐の言葉で豆という。
8屍毗迦王 — 鴿の代わりに身を割く
摩愉伽藍西六七十里,至窣堵波,無憂王之所建也。是如來昔修菩薩行,號屍毗迦王,為求佛果,於此割身,從鷹代鴿。
摩愉の伽藍の西六、七十里行くと窣堵波に至る。無憂王が建てたものである。これは如来が昔、菩薩の行を修めて屍毗迦王と号したとき、仏の果を求めて、ここで身を割き、鷹に対して鴿の代わりとなられた所である。
夾注 1
唐言與。舊曰屍毗王,訛。
唐の言葉で与えることをいう。昔は屍毗王といったが、誤りである。
9薩裒殺地の伽藍 — 大蛇となった帝釈
代鴿西北二百餘里,入珊尼羅阇川,至薩裒殺地僧伽藍。有窣堵波,高八十餘尺。是如來昔為帝釋,時遭饑歲,疾疫流行,醫療無功,道死相屬。帝釋悲湣,思所救濟,乃變其形為大蟒身,僵屍川谷,空中遍告。聞者感慶,相率奔處,隨割隨生,療饑療疾。其側不遠,有蘇摩大窣堵波。是如來昔日為帝釋,時世疾疫,湣諸含識,自變其身為蘇摩蛇,凡有啖食,莫不康豫。珊尼羅阇川北石崖邊,有窣堵波。病者至求,多蒙除差。如來在昔為孔雀王,與其群而至此,熱渴所逼,求水不獲,孔雀王以𠾋啄崖,湧泉流註。今遂為池,飲沐愈疾。石上猶有孔雀蹤跡。
鴿の代わりとなられた所の西北二百余里行き、珊尼羅闍川に入ると、薩裒殺地の僧伽藍に至る。窣堵波があり、高さは八十余尺である。これは如来が昔、帝釈であったときのことである。飢えの年に遭って疫病が流行り、医術の療治も功がなく、道に死ぬ者が続いた。帝釈は悲しみ哀れんで救い済う道を思い、そこでその形を大きな蟒の身に変えて、屍を川や谷に横たえ、空中であまねく告げた。聞いた者は感じ喜んで、たがいに連れ立って走り寄り、割くたびに肉が生じて、飢えを癒し病を療した。そのかたわら、遠くない所に蘇摩の大きな窣堵波がある。これは如来が昔、帝釈であったとき、その世に疫病が流行ったので、もろもろの識あるものを哀れんで、みずから身を蘇摩の蛇に変えたので、およそ食べた者は健やかにならない者がなかった所である。珊尼羅闍川の北の石の崖のほとりに窣堵波がある。病んだ者が来て願うと、癒える者が多い。如来は昔、孔雀の王となって、その群れとともにここに至ったが、暑さと渇きに迫られて水を求めても得られなかったので、孔雀の王は嘴で崖を啄み、泉が湧いて流れ注いだ。いまついに池となり、飲んだり浴びたりすると病が癒える。石の上には今も孔雀の跡がある。
夾注 1
唐言蛇藥。
唐の言葉で蛇の薬という。
10上軍王が建てた塔
瞢揭厘城西南行六七十里,大河東有窣堵波,高六十餘尺,上軍王之所建也。昔如來之將寂滅,告諸大眾:「我涅槃後,烏仗那國上軍王宜與舍利之分。」及諸王將欲均量,上軍王後來,遂有輕鄙之議。是時天人大眾重宣如來顧命之言,乃預同分,持歸本國,式遵崇建。窣堵波側大河濱,有大石,狀如象。昔上軍王以大白象負舍利歸,至於此地,象忽蹎仆,因而自斃,遂變為石,即於其側起窣堵波。
瞢揭厘城の西南へ六、七十里行くと、大きな川の東に窣堵波があり、高さは六十余尺、上軍王が建てたものである。昔、如来が寂滅に入られようとするとき、もろもろの大衆に告げられた。「私が涅槃したのちは、烏仗那国の上軍王に舎利の分を与えるのがよい。」もろもろの王が均しく量り分けようとしたとき、上軍王は遅れて来たので、ついに軽んじ卑しむ議論が出た。このとき天と人の大衆が、如来の遺された言葉を重ねて宣べたので、そこで同じく分を受け、本国に持ち帰って法式のとおりに崇め建てた。窣堵波のかたわらの大きな川のほとりに大きな石があり、形は象のようである。昔、上軍王が大きな白い象に舎利を負わせて帰り、この地に至ったとき、象はふいに倒れ、そのまま死んで、ついに石に変わったので、そのかたわらに窣堵波を建てたのである。
11盧醯呾迦の塔 — 慈力王
瞢揭厘城西五十餘里,渡大河,至盧醯呾迦窣堵波,高五十餘尺,無憂王之所建也。昔如來修菩薩行,為大國王,號曰慈力,於此刺身血以飼五藥叉。
瞢揭厘城の西五十余里で大きな川を渡ると、盧醯呾迦の窣堵波に至る。高さは五十余尺、無憂王が建てたものである。昔、如来が菩薩の行を修め、大国の王となって慈力と号したとき、ここで身を刺して血を出し、五人の薬叉に食べさせた所である。
夾注 2
唐言赤。
唐の言葉で赤いことをいう。
舊曰夜叉,訛也。
昔は夜叉といったが、誤りである。
12遏部多の石の塔
瞢揭厘城東北三十餘里,至遏部多石窣堵波,高四十餘尺。在昔如來為諸人、天說法開導,如來去後,從地踴出,黎庶崇敬,香花不替。
瞢揭厘城の東北へ三十余里行くと、遏部多の石の窣堵波に至る。高さは四十余尺である。昔、如来がもろもろの人と天のために法を説いて導かれたが、如来が去られたのち、地から踴り出たものである。民が篤く敬って、香と花が絶えることがない。
夾注 1
唐言奇特。
唐の言葉で奇特という。
13観自在菩薩の像
石窣堵波西渡大河三四十里,至一精舍,中有阿縛盧枳低濕伐羅菩薩像。威靈潛被,神跡昭明,法俗相趨,供養無替。
石の窣堵波の西で大きな川を渡り、三、四十里行くと一つの精舎に至る。その中に阿縛盧枳低濕伐羅菩薩の像がある。威と霊がひそかに及び、神しい跡が明らかに現れるので、僧も俗もたがいに走り集まり、供養が絶えることがない。
夾注 1
唐言觀自在。合字連聲,梵語如上;分文散音,即阿縛盧枳多,譯曰觀,伊濕伐羅,譯曰自在。舊譯為光世音,或云觀世音,或觀世自在,皆訛謬也。
唐の言葉で観自在という。字を合わせて声を連ねれば梵語は上のとおりであり、文を分けて音を散らせば、すなわち阿縛盧枳多で、訳せば観、伊濕伐羅で、訳せば自在である。昔は光世音と訳し、あるいは観世音といい、あるいは観世自在といったが、いずれも誤りである。
14藍勃盧山の竜池
觀自在菩薩像西北百五十里,至藍勃盧山。山嶺有龍池,周三十餘里,淥波浩汗,清流皎鏡。
観自在菩薩の像の西北百五十里行くと、藍勃盧山に至る。山の峰に竜池があり、周囲は三十余里で、緑の波が広々として、清い流れが鏡のように明らかである。
15竜女と釈迦族の人
昔毗盧擇迦王前伐諸釋,四人拒軍者,宗親擯逐,各自分飛。其一釋種,既出國都,跋涉疲弊,中路而止。時有一雁飛趣其前,既以馴狎,因即乘焉。其雁飛翔,下此池側。釋種虛遊,遠適異國,迷不知路,假寐樹蔭。池龍少女遊覽水濱,忽見釋種,恐不得當也,變為人形,即而摩拊。釋種驚寤,因即謝曰:「羈旅羸人,何見親拊?」遂款殷勤,淩逼野合。女曰:「父母有訓,祗奉無違。雖蒙惠顧,未承高命。」釋種曰:「山谷杳冥,爾家安在?」曰:「我此池之龍女也,敬聞聖族流離逃難,幸因遊覽,敢慰勞弊。命有燕私,未聞來旨。況乎積禍,受此龍身,人畜殊途,非所聞也。」釋種曰:「一言見允,宿心斯畢。」龍女曰:「敬聞命矣,唯所去就。」釋種乃誓心曰:「凡我所有福德之力,令此龍女舉體成人。」福力所感,龍遂改形,既得人身,深自慶悅。乃謝釋種曰:「我積殃運,流轉惡趣。幸蒙垂顧,福力所加,曠劫弊身,一旦改變。欲報此德,糜軀未謝。心願陪遊,事拘物議。願白父母,然後備禮。」龍女還池,白父母曰:「今者遊覽,忽逢釋種,福力所感,變我為人,情存好合,敢陳事實。」龍王心欣人趣,情重聖族,遂從女請。乃出池而謝釋種曰:「不遺非類,降尊就卑,願臨我室,敢供灑掃。」釋種受龍王之請,遂即其居。於是龍宮之中,親迎備禮,燕爾樂會,肆極歡娛。釋種睹龍之形,心常畏惡,乃欲辭出。龍王止曰:「幸無遠舍,鄰此宅居,當令據疆土,稱大號,總有臣庶,祚延長世。」釋種謝曰:「此言非冀。」龍王以寶劍置篋中,妙好白氎而覆其上,謂釋種曰:「幸持此氎以獻國王,王必親受遠人之貢,可於此時害其王也。因據其國,不亦善乎?」釋種受龍指誨,便往行獻。烏仗那王躬舉其氎,釋種執其袂而刺之。侍臣、衛兵喧亂階陛,釋種麾劍告曰:「我所仗劍,神龍見授,以誅後伏,以斬不臣。」咸懼神武,推尊大位。於是沿弊立政,表賢恤患。已而動大眾,備法駕,即龍宮而報命,迎龍女以還都。龍女宿業未盡,餘報猶在,每至燕私,首出九龍之頭。釋種畏惡,莫知圖計,伺其寐也,利刃斷之。龍女驚寤曰:「斯非後嗣之利,非徒我命有少損傷,而汝子孫當苦頭痛。」故此國族常有斯患,雖不連綿,時一發動,釋種既沒,其子嗣位,是嗢呾羅犀那王。
昔、毗盧択迦王が先に釈迦の一族を伐ったとき、軍を拒んだ四人は宗親に追われて、おのおの散り飛んだ。そのうち一人の釈迦の種は、都を出てから歩き渡って疲れ弊れ、中途でとどまった。そのとき一羽の雁が飛んでその前に来たが、すでに馴れているようだったので、ただちにそれに乗った。その雁は飛び翔って、この池のかたわらに下りた。釈迦の種は空を行くようにして遠く異国へ向かったが、迷って道が分からず、樹の蔭でうたた寝をした。池の竜の娘が水のほとりを巡り見ていて、ふいに釈迦の種を見つけ、思いを得られないのではと恐れて、人の形に変じ、近づいて撫でさすった。釈迦の種は驚いて目を覚まし、そこで謝して言った。「旅のやせ弱った者に、どうして親しく撫でてくださるのですか。」そしてついに懇ろを尽くし、野で交わろうと迫った。娘は言った。「父母の教えがありますから、謹んで奉じて違いません。恵みのお心を受けましたが、高い命はまだ承っておりません。」釈迦の種は言った。「山谷は奥深く暗い。あなたの家はどこにあるのですか。」娘は言った。「私はこの池の竜女です。聖なる一族が散り離れて難を逃れておられると謹んで聞きましたので、幸いに巡り歩くついでに、あえて疲れを慰めようとしたのです。命に私かな宴があるとはいえ、おいでの旨は聞いておりません。まして禍が積もってこの竜の身を受けたのですから、人と畜とは道を異にし、聞いたこともないことです。」釈迦の種は言った。「ひと言許してくださるなら、久しい思いはそれで果たされます。」竜女は言った。「謹んで命を聞きます。ただ去るも就くもお心のままに。」釈迦の種はそこで心に誓った。「およそ私にある福徳の力によって、この竜女の全身が人となりますように。」福の力に感じて、竜はついに形を改め、人の身を得たので、みずから深く喜んだ。そして釈迦の種に謝して言った。「私は殃いの運を積んで、悪趣に流れ転じてきました。幸いにお心を賜り、福の力が加わって、久しい劫の弊れた身が一朝に改まりました。この徳に報いようとすれば、身を砕いても辞しません。心では連れ添って遊びたいのですが、事は人の口に縛られます。父母に申し上げたうえで、礼を備えたいと願います。」竜女は池に還って父母に申し上げた。「今日巡り歩いていて、ふいに釈迦の種に出会いました。福の力に感じて私を人に変えてくれました。情において好き合いたいので、あえて事実を申し上げます。」竜王は人の趣を欣び、聖なる一族を重んじて、ついに娘の請いに従った。そこで池を出て釈迦の種に謝して言った。「異なる類だとしてお捨てにならず、尊い身を降して卑しい所に来てくださいました。願わくは私の家に臨み、水を打ち掃く務めをさせてください。」釈迦の種は竜王の請いを受け、ついにその住まいに行った。そこで竜宮の中で、親しく迎えて礼を備え、楽しい会を開いて歓びを尽くした。釈迦の種は竜の形を見て、心につねに畏れ厭い、そこで辞して出ようとした。竜王は止めて言った。「どうか遠くに去らず、この家の隣に住まわれるなら、必ず強い土地を拠りどころとし、大きな号を称え、臣も民もすべて領して、祚を長い世に延ばさせましょう。」釈迦の種は謝して言った。「その言葉は望むところではありません。」竜王は宝の剣を箱に入れ、妙に美しい白い木綿でその上を覆い、釈迦の種に言った。「どうかこの木綿を国王に献じてください。王は必ず遠くの人の貢ぎを自分で受けるでしょう。このときにその王を害することができます。それによってその国を拠りどころとすれば、よいことではありませんか。」釈迦の種は竜の指し教えを受け、すぐに行って献じた。烏仗那王がみずからその木綿を取り上げると、釈迦の種はその袂を執って刺した。侍臣や衛兵が階段で騒ぎ乱れると、釈迦の種は剣を振って告げた。「私が手にする剣は、神しい竜が授けたものである。これをもって後から伏す者を誅し、臣とならぬ者を斬る。」みなその神しい武を畏れて、高い位に推し尊んだ。そこで古い弊を改めて政を立て、賢者を表し患いを恤んだ。やがて大衆を動かし、法に適った車を備え、竜宮に赴いて命に報い、竜女を迎えて都に還った。竜女は前世の業が尽きず、余りの報いがなお残っていたので、私かな宴のたびに、首から九つの竜の頭を出した。釈迦の種は畏れ厭ったが、はかる術を知らず、その寝ているのをうかがって、鋭い刃でこれを断った。竜女は驚いて目を覚まし、言った。「これは後の嗣にとって利ではありません。私の命が少し損なわれるだけでなく、あなたの子孫は頭の痛みに苦しむことになるでしょう。」それゆえこの国の一族にはつねにこの患いがあり、続いて起こるわけではないが、ときに一度発つのである。釈迦の種が亡くなったのち、その子が位を嗣いだ。これが嗢呾羅犀那王である。
夾注 1
唐言上軍。
唐の言葉で上軍という。
16上軍王と母、そして舎利
上軍王嗣位之後,其母喪明。如來伏阿波邏羅龍還也,從空下其宮中。上軍王適從遊獵,如來因為其母略說法要。遇聖聞法,遂得復明。如來問曰:「汝子,我之族也,今何所在?」母曰:「旦出畋遊,今將返駕。」如來與諸大眾尋欲發引。王母曰:「我唯福遇,生育聖族,如來悲湣,又親降臨,我子方還,願少留待。」世尊曰:「斯人者,我之族也,可聞教而信悟,非親誨以發心。我其行矣,還語之曰:『如來從此往拘屍城娑羅樹間入涅槃,宜取舍利,自為供養。』」如來與諸大眾淩虛而去。上軍王方遊獵,遠見宮中光明赫奕,疑有火災,罷獵而返。乃見其母復明,慶而問曰:「我去幾何,有斯祥感,能令慈母復明如昔?」母曰:「汝出之後,如來至此,聞佛說法,遂得復明。如來從此至拘屍城娑羅樹間,當入涅槃,召汝速來分取舍利。」時王聞已,悲號頓躄,久而醒悟,命駕馳赴。至雙樹間,佛已涅槃。時諸國王輕其邊鄙,寶重舍利,不欲分與。是時天、人大眾重宣佛意,諸王聞已,遂先均授。
上軍王が位を嗣いだのち、その母が目を失った。如来が阿波邏羅竜を伏せて還られるとき、空からその宮の中に下りられた。上軍王はちょうど狩りに出ていたので、如来はその母のために法の要を略して説かれた。聖者に遇い法を聞いて、ついにまた見えるようになった。如来は問われた。「お前の子は私の一族だが、いまどこにいるのか。」母は言った。「朝に狩りに出ましたので、今ごろ車を返すところでしょう。」如来がもろもろの大衆とともにすぐ発とうとされたので、王の母は言った。「私はただ福に遇って聖なる一族を生み育てました。如来は哀れんでくださり、また親しくお降りくださいました。私の子がすぐ戻りますから、どうか少しとどまってお待ちください。」世尊は言われた。「この人は私の一族であって、教えを聞けば信じ悟るであろう。親しく誨さなければ心を発さぬ者ではない。私は行くとしよう。還ったらこう語ってやりなさい。『如来はここから拘屍城の娑羅樹の間に行って涅槃に入られる。舎利を取って、みずから供養するのがよい。』」如来はもろもろの大衆とともに虚空を行って去られた。上軍王はちょうど狩りをしていて、遠く宮の中に光明が赫やかに輝くのを見、火災かと疑って狩りをやめて帰った。そしてその母がまた見えるようになったのを見て、喜んで問うた。「私が出てからどれほどでもないのに、このような祥しい感応があって、母上が昔のように見えるようになったのですか。」母は言った。「お前が出たのち、如来がここに来られた。仏の説法を聞いて、ついに見えるようになったのだ。如来はここから拘屍城の娑羅樹の間に行って、まさに涅槃に入られる。お前を召して、速やかに来て舎利を分け取るようにとのことだ。」そのとき王は聞いて悲しみ号び、倒れ伏し、長くして目を覚まし、車を命じて馳せ赴いた。双つの樹の間に至ったときには、仏はすでに涅槃に入られていた。そのときもろもろの国の王は、その辺地の者であることを軽んじ、舎利を宝として重んじ、分け与えようとしなかった。このとき天と人の大衆が仏の意を重ねて宣べたので、もろもろの王は聞いて、ついに先に均しく授けた。
瞢揭厘城東北逾山越谷,逆上信度河,途路危險,山谷杳冥。或履縆索,或牽鐵鎖,棧道虛臨,飛梁危構,椽杙躡蹬,行千餘里,至達麗羅川,即烏仗那國舊都也。多出黃金及郁金香。達麗羅川中大伽藍側,有刻木慈氏菩薩像,金色晃昱,靈鑒潛通,高百餘尺,末田底迦阿羅漢之所造也。羅漢以神通力,攜引匠人升睹史多天,親觀妙相,三返之後,功乃畢焉。自有此像,法流東派。從此東行,逾嶺越谷,逆上信度河,飛梁棧道,履危涉險,經五百餘里,至缽露羅國。
瞢揭厘城の東北、山を越え谷を過ぎ、信度河を逆らって上ると、道は危険で、山谷は奥深く暗い。あるいは綱の索を踏み、あるいは鉄の鎖を引き、桟道が虚空に臨み、飛ぶような梁が危うく架けられ、椽や杙で段を踏んでいく。千余里行くと達麗羅川に至る。すなわち烏仗那国の旧い都である。黄金と欝金香を多く産する。達麗羅川の中の大きな伽藍のかたわらに、木を刻んだ慈氏菩薩の像があり、金色が輝いて、霊しい鑑がひそかに通じている。高さは百余尺で、末田底迦阿羅漢が造ったものである。羅漢は神通の力で匠を携え連れて睹史多天に升り、妙なる相を親しく観させ、三たび往き返ったのちに、ようやく功が終わった。この像があってから、法は東に流れ分かれた。ここから東へ行き、峰を越え谷を過ぎ、信度河を逆らって上るが、飛ぶような梁と桟道で危うきを踏み険しきを渡って、五百余里を経ると、鉢露羅国に至る。
夾注 3
舊曰末田地,訛略也。
昔は末田地といったが、誤って略したものである。
舊曰兜率他也,又曰兜術他,訛也。
昔は兜率他といい、また兜術他といったが、誤りである。
北印度境。
北インドの境である。