いにしえの文 › 大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) › 第3巻
曷邏闍補羅国曷邏阇補羅國
大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第3巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。
曷邏阇補羅國周四千餘里,國大都城周十餘里。極險固,多山阜,川原隘狹,地利不豐。土宜氣序,同半笯嗟國。風俗猛烈,人性驍勇。國無君長,役屬迦濕彌羅國。伽藍十所,僧徒寡少。天祠一所,外道甚多。自濫波國至於此土,形貌粗弊,情性獷暴,語言庸鄙,禮義輕薄,非印度之正境,乃邊裔之曲俗。
曷邏闍補羅国は周囲四千余里、国の大都城は周囲十余里である。きわめて険しく堅固で、山や丘が多く、川と野が狭いため、土地の利は豊かでない。土地に適するものと気候は半笯嗟国と同じである。風俗は猛々しく激しく、人の性質は俊敏で勇ましい。国に君主がなく、迦湿弥羅国に属して使役される。伽藍は十か所、僧は少ない。天祠は一か所で、外道がはなはだ多い。濫波国からこの地に至るまで、姿かたちは粗末で、気性は荒く激しく、言葉は卑しく、礼義は軽く薄い。インドの正しい境ではなく、辺境の偏った風俗である。
從此東南,下山渡水,行七百餘里,至磔迦國。
ここから東南へ山を下り水を渡って七百余里行くと、磔迦国に至る。
夾注 1
北印度境。
北インドの境である。