秣菟羅国秣菟羅國
秣菟羅國周五千餘里。國大都城周二十餘里。土地膏腴,稼穡是務。庵沒羅果家植成林,雖同一名而有兩種,小者生青熟黃,大者始終青色。出細班氎及黃金。氣序署熱,風俗善順,好修冥福,崇德尚學。伽藍二十餘所,僧徒二千餘人,大小二乘兼功習學。天祠五所,異道雜居。
秣菟羅国は周囲五千余里である。国の大都城は周囲二十余里である。土地は肥え、種まきと収穫を仕事としている。庵没羅の果実を家ごとに植えて林をなしているが、名は一つでも二種あり、小さいものは生っているときは青く熟すと黄になり、大きいものは初めから終わりまで青い色である。細かい斑のある木綿と黄金を産する。気候は暑く熱く、風俗は善良で従順である。目に見えぬ福を修めることを好み、徳を高くし学問を尊ぶ。伽藍は二十余か所、僧は二千余人で、大乗と小乗の二つをあわせ力を入れて学び修めている。天祠は五か所、外道が入りまじって住む。
2弟子たちの塔と斎日の供養
有三窣堵波,並無憂王所建也。過去四佛遺跡甚多。釋迦如來諸聖弟子遺身窣堵波,謂舍利子、沒特伽羅子、布剌拿梅呾麗衍尼弗呾羅、鄔波厘、阿難陁、羅怙羅、曼殊室利諸菩薩窣堵波等。每歲三長及月六齋,僧徒相競,率其同好,賫持供具,多營奇玩,隨其所宗,而致像設。阿毗達磨眾供養舍利子,習定之眾供養沒特伽羅子,誦持經者供養滿慈子,學毗奈耶眾供養鄔波厘,諸苾芻尼供養阿難,未受具戒者供養羅怙羅,其學大乘者供養諸菩薩。是日也,諸窣堵波競修供養,珠幡布列,寶蓋駢羅,香煙若雲,花散如雨,蔽虧日月,震蕩溪谷。國王大臣,修善為務。
三つの窣堵波があり、いずれも無憂王が建てたものである。過去の四仏の遺跡がはなはだ多い。釈迦如来のもろもろの聖なる弟子の遺身を納めた窣堵波があり、すなわち舎利子・没特伽羅子・布剌拿梅呾麗衍尼弗呾羅・鄔波厘・阿難陀・羅怙羅の窣堵波、また曼殊室利などもろもろの菩薩の窣堵波である。毎年の三つの長斎と月ごとの六斎日には、僧たちが競って志を同じくする者を率い、供えの品を携えて来る。珍しい見物を多く設け、おのおの宗とするところに従って像を立てて安置する。阿毗達磨を学ぶ衆は舎利子を供養し、定を修める衆は没特伽羅子を供養し、経を誦し持つ者は満慈子を供養し、毗奈耶を学ぶ衆は鄔波厘を供養し、もろもろの苾芻尼は阿難を供養し、まだ具足戒を受けていない者は羅怙羅を供養し、大乗を学ぶ者はもろもろの菩薩を供養する。この日は、もろもろの窣堵波で競って供養を修めるので、珠の幡が並び立ち、宝の蓋がずらりと連なり、香の煙は雲のようで、散らす花は雨のようで、日や月を覆い隠し、谷川を震わせる。国王も大臣も、善を修めることを務めとしている。
夾注 5
舊曰舍梨子,又曰舍利弗,訛略也。
昔は舎梨子といい、また舎利弗といったが、誤って略したものである。
舊曰目乾連,訛也。
昔は目乾連といったが、誤りである。
唐言滿慈子。舊曰彌多羅尼子,訛略也。
唐の言葉で満慈子という。昔は弥多羅尼子といったが、誤って略したものである。
舊曰羅睺羅,又曰羅雲,皆訛略也。
昔は羅睺羅といい、また羅雲といったが、いずれも誤って略したものである。
唐言妙吉祥。舊曰濡首,又曰文殊師利,或言曼殊屍利,譯曰妙德,訛也。
唐の言葉で妙吉祥という。昔は濡首といい、また文殊師利といい、あるいは曼殊屍利といって妙徳と訳したが、いずれも誤りである。
3鄔波毱多尊者の伽藍
城東行五六里,至一山伽藍,疏崖為室,因谷為門,尊者鄔波毱多之所建也。其中則有如來指爪窣堵波。
城から東へ五、六里行くと山の伽藍に至る。崖を掘って室とし、谷をそのまま門としている。尊者鄔波毱多が建てたものである。その中には如来の指の爪を納めた窣堵波がある。
夾注 1
唐言近護。
唐の言葉で近護という。
4夫婦がともに羅漢となった籌
伽藍北巖間有石室,高二十餘尺,廣三十餘尺,四寸細籌填積其內。尊者近護說法化導,夫妻俱證羅漢果者,乃下一籌,異室別族,雖證不記。
伽藍の北の岩の間に石室があり、高さは二十余尺、広さは三十余尺である。四寸の細い籌がその内に満ちて積まれている。尊者近護が法を説いて導いたとき、夫婦がともに羅漢果を証した場合に籌を一つ置いたのであって、室を別にし族を別にする者は、証しても記さなかった。
5猿が蜜を奉った所
石室東南二十四五里,至大涸池,傍有窣堵波。在昔如來行經此處,時有彌猴持蜜奉佛,佛令水和,普遍大眾。彌猴喜躍,墮坑而死,乘茲福力,得生人中。
石室の東南二十四、五里行くと大きな涸れた池に至り、そのかたわらに窣堵波がある。昔、如来がこの所を通られたとき、猿が蜜を持って来て仏に奉った。仏は水に混ぜて大衆にあまねく分けさせたので、猿は喜び躍って穴に落ちて死んだ。この福の力に乗じて、人の中に生まれたのである。
6四仏が歩んだ跡
池北不遠大林中,有過去四佛經行遺跡。其側有舍利子、沒特伽羅子等千二百五十大阿羅漢習定之處,並建窣堵波,以記遺跡。如來在世,屢遊此國,說法之所,並有封樹。
池の北、遠くない大きな林の中に、過去の四仏が歩まれた遺跡がある。そのかたわらには舎利子・没特伽羅子など千二百五十人の大阿羅漢が定を修めた所があり、いずれも窣堵波を建てて遺跡を記している。如来が世におられたとき、たびたびこの国を巡られたので、法を説かれた所にはみな表して木を植えてある。
從此東北行五百餘里,至薩他泥濕伐羅國。
ここから東北へ五百余里行くと、薩他泥湿伐羅国に至る。
夾注 1
中印度境。
中インドの境である。