羯若鞠闍国羯若鞠阇國
羯若鞠阇國周四千餘里。國大都城西臨殑伽河,其長二十餘里,廣四五里。城隍堅峻,臺閣相望,花林池沼,光鮮澄鏡。異方奇貨,多聚於此。居人豐樂,家室富饒。花果具繁,稼穡時播。氣序和洽,風俗淳質。容貌妍雅,服飾鮮綺。篤學遊藝,談論清遠。邪正二道,信者相半。伽藍百餘所,僧徒萬餘人,大小二乘,兼功習學。天祠二百餘所,異道數千餘人。
羯若鞠闍国は周囲四千余里である。国の大都城は西に殑伽河に臨み、その長さは二十余里、幅は四、五里である。城と濠は堅く険しく、台と閣が互いに向かい合っている。花の林と池沼は光り鮮やかで、澄んだ鏡のようである。他の地方の珍しい貨財が、ここに多く集まる。住む人は富み楽しみ、家々は豊かである。花と果実があまねく繁り、種え収めることを時にかなって行う。気候は和やかに整い、風俗は淳朴で質素である。顔かたちは美しく雅であり、衣と飾りは鮮やかで綺麗である。学に篤く技芸に遊び、談論は清く遠い。邪な道と正しい道の二つに、信じる者は半ばずつである。寺が百余か所、僧が万余人おり、大乗と小乗の二つをあわせて努めて学び習っている。天神をまつる祠が二百余か所あり、外道が数千余人いる。
2曲女城と呼ばれるようになった由来
羯若鞠阇國人長壽時,其舊王城號拘蘇磨補邏,王號梵授,福智宿資,文武允備,威懾贍部,聲震鄰國。具足千子,智勇弘毅,復有百女,儀貌妍雅。時有仙人居殑伽河側,棲神入定,經數萬歲,形如枯木,遊禽棲集,遺尼拘律果於仙人肩上,暑往寒來,垂蔭合拱。多歷年所,從定而起,欲去其樹,恐覆鳥巢,時人美其德,號大樹仙人。仙人寓目河濱,遊觀林薄,見王諸女相從嬉戲,欲界愛起,染著心生,便詣花宮,欲事禮請。王聞仙至,躬迎慰曰:「大仙棲情物外,何能輕舉?」仙人曰:「我棲林藪,彌積歲時,出定遊覽,見王諸女,染愛心生,自遠來請。」王聞其辭,計無所出,謂仙人曰:「今還所止,請俟嘉辰。」仙人聞命,遂還林藪。王乃歷問諸女,無肯應娉。王懼仙威,憂愁毀悴。其幼稚女候王事隙,從容問曰:「父王千子具足,萬國慕化,何故憂愁,如有所懼?」王曰:「大樹仙人幸顧求婚,而汝曹輩莫肯從命。仙有威力,能作災祥,倘不遂心,必起瞋怒,毀國滅祀,辱及先生。深惟此禍,誠有所懼。」稚女謝曰:「遺此深憂,我曹罪也。願以微軀,得延國祚。」王聞喜悅,命駕送歸。既至仙廬,謝仙人曰:「大仙俯方外之情,垂世間之顧,敢奉稚女,以供灑掃。」仙人見而不悅,乃謂王曰:「輕吾老叟,配此不妍。」王曰:「歷問諸女,無肯從命。唯此幼稚,願充給使。」仙人懷怒,便惡咒曰:「九十九女,一時腰曲,形既毀弊,畢世無婚。」王使往驗,果已背傴。從是以後,便名曲女城焉。
羯若鞠闍国で人が長く生きていた頃、その旧い王城を拘蘇磨補邏といい、王は梵授と号した。福と智を前の世から積み、文も武もよく備わって、威は贍部洲を懾し、名声は隣の国々に震えた。千人の子をそろえ、その智と勇は大きく強く、さらに百人の娘があって、姿も容貌も美しく雅であった。そのとき仙人が殑伽河の傍らに住み、神を棲ませて定に入り、数万年を経て、形は枯れた木のようであった。飛ぶ鳥が棲み集まって尼拘律の実を仙人の肩の上に落とし、暑さが去り寒さが来るうちに、木は陰を垂れて両手でかかえるほどになった。幾年も経って定から起ち、その木を除こうとしたが、鳥の巣を覆すことを懼れた。そのとき人々はその徳を美しいとして、大樹仙人と呼んだ。仙人は河の岸に目をとどめ、林を歩き眺めていて、王の娘たちが連れ立って嬉び戯れているのを見ると、欲界の愛が起こり、染まり著く心が生じたので、すぐ花宮に赴いて、婚を礼をもって請おうとした。王は仙が至ったと聞き、みずから迎えて慰めて言った。「大仙は情を物の外に棲ませておられるのに、どうして軽々しく動かれたのですか。」仙人は言った。「私は林に棲んで歳月を積んだが、定を出て歩き眺めていて王の娘たちを見、染まる愛の心が生じたので、遠くから来て請うのである。」王はその言葉を聞いても出す計がなく、仙人に言った。「今はおとどまりの所へお還りになり、よい日をお待ちください。」仙人は命を聞いて、ついに林へ還った。王はそこで娘たちに順に問うたが、嫁ごうとする者がなかった。王は仙の威を懼れ、憂え愁えて衰え痩せた。その幼い娘が王の務めの合間をうかがい、おもむろに問うた。「父王は千人の子をそろえ、万の国が教化を慕っておりますのに、なぜ憂え愁えて、懼れることがおありのようなのですか。」王は言った。「大樹仙人が幸いにも顧みて婚を求めているのに、お前たちは誰も命に従おうとしない。仙には威力があって災いも祥しも作ることができるから、もし心が遂げられなければ、必ず瞋り怒って、国を毀し祀りを滅ぼし、辱めは先祖にまで及ぶであろう。この禍いを深く思うと、まことに懼れるところがあるのだ。」幼い娘は謝して言った。「このような深い憂いをおかけしたのは、私たちの罪です。どうか小さな身をもって、国の祚を延ばさせてください。」王は聞いて喜び、車を命じて送り届けた。仙の庵に至ると、仙人に謝して言った。「大仙が世の外の情を屈めて世間を顧みてくださいましたので、あえて幼い娘を奉り、水を灑ぎ掃く務めに供えます。」仙人は見て喜ばず、王に言った。「この老いた私を軽んじて、こんな美しくない者を配するのか。」王は言った。「娘たちに順に問いましたが、命に従おうとする者がなく、ただこの幼い者だけが、お使いに充てられることを願いました。」仙人は怒りを懐き、すぐに悪しき呪いをかけて言った。「九十九人の娘は、一時に腰が曲がれ。形が毀れたからには、生涯婚することはない。」王が人を遣わして験させると、はたしてすでに背が曲がっていた。これより後、そこを曲女城と名づけたのである。
夾注 1
唐言花宮。
唐の言葉では花宮である。
3戒日王
今王,本吠奢種也,字曷利沙伐彈那,君臨有土,二世三王。父字波羅羯羅伐彈那,兄字曷邏阇伐彈那。王增以長嗣位,以德治政。時東印度羯羅拿蘇伐剌那國設賞迦王每謂臣曰:「鄰有賢主,國之禍也。」於是誘請,會而害之。人既失君,國亦荒亂。時大臣婆尼,職望隆重,謂僚庶曰:「國之大計,定於今日。先王之子,亡君之弟,仁慈天性,孝敬因心,親賢允屬,欲以襲位。於事何如?各言爾志。」眾咸仰德,嘗無異謀。於是輔臣執事咸勸進曰:「王子垂聽,先王積功累德,光有國祚。嗣及王增,謂終壽考,輔佐無良,棄身讎手,為國大恥,下臣罪也。物議時謠,允歸明德。光臨土宇,克復親讎,雪國之恥,光父之業,功孰大焉?幸無辭矣!」王子曰:「國嗣之重,今古為難,君人之位,興立宜審。我誠寡德,父兄遐棄,推襲大位,其能濟乎?物議為宜,敢忘虛薄?今者殑伽河岸,有觀自在菩薩像,既多靈鑒,願往請辭。」即至菩薩像前,斷食祈請。菩薩感其誠心,現形問曰:「爾何所求,若此勤懇?」王子曰:「我惟積禍,慈父云亡;重茲酷罰,仁兄見害。自顧寡德,國人推尊,令襲大位,光父之業。愚昧無知,敢希聖旨!」菩薩告曰:「汝於先身,在此林中為練苦苾芻,而精勤不懈。承茲福力,為此王子。金耳國王既毀佛法,爾紹王位,宜重興隆,慈悲為志,傷湣居懷,不久當王五印度境。欲延國祚,當從我誨,冥加景福,鄰無強敵。勿升師子之座,勿稱大王之號。」於是受教而退,即襲王位,自稱曰王子,號屍羅阿叠多。於是命諸臣曰:「兄讎未報,鄰國不賓,終無右手進食之期。凡爾庶僚,同心戮力!」遂總率國兵,講習戰士。象軍五千,馬軍二萬,步軍五萬,自西徂東,征伐不臣。象不解鞍,人不釋甲,於六年中,臣五印度。既廣其地,更增甲兵,象軍六萬,馬軍十萬。垂三十年,兵戈不起,政教和平,務修節儉,營福樹善,忘寢與食。令五印度不得啖肉,若斷生命,有誅無赦。於殑伽河側建立數千窣堵波,各高百餘尺。於五印度城邑、鄉聚、達巷、交衢,建立精廬,儲飲食,止醫藥,施諸羈貧,周給不殆。聖跡之所,並建伽藍。五年一設無遮大會,傾竭府庫,惠施群有,惟留兵器,不充檀舍。歲一集會諸國沙門,於三七日中,以四事供養,莊嚴法座,廣飾義筵,令相榷論,校其優劣,褒貶淑慝,黜陟幽明。若戒行貞固,道德純邃,推升師子之座,王親受法;戒雖清凈,學無稽古,但加敬禮,示有尊崇;律儀無紀,穢德已彰,驅出國境,不願聞見。鄰國小王、輔佐大臣,殖福無怠,求善忘勞,即攜手同座,謂之善友。其異於此,面不對辭,事有聞議,通使往復。而巡方省俗,不常其居,隨所至止,結廬而舍。唯雨三月,多雨不行。每於行宮日修珍饌,飯諸異學,僧眾一千,婆羅門五百。每以一日分作三時,一時理務治政,二時營福修善,孜孜不倦,竭日不足矣。
今の王はもと吠奢の種族で、字は曷利沙伐弾那である。君として土を有してから二世で三人の王である。父は字を波羅羯羅伐弾那といい、兄は字を曷邏闍伐弾那という。王増が長子として位を嗣ぎ、徳によって政を治めた。そのとき東印度の羯羅拿蘇伐剌那国の設賞迦王は、いつも臣に言っていた。「隣に賢い主があるのは、国の禍いである。」そこで誘い請うて、会ったところで害した。人々は君を失い、国もまた荒れ乱れた。そのとき大臣の婆尼は職も望みも重く、官僚と民に言った。「国の大計は、今日に定まる。先王の子であり、亡き君の弟である方は、仁と慈が天の性であり、孝と敬が心から出て、親しく賢いことまことにふさわしい。位を襲いでいただきたいと思う。この事はどうであろうか。それぞれお前たちの志を言え。」人々はみなその徳を仰ぎ、異なる謀りはまったくなかった。そこで輔佐の臣や事を執る者はみな進み勧めて言った。「王子よ、お聴きください。先王は功を積み徳を累ねて、国の祚を光らかにされました。それが王増に嗣がれ、寿を終えられるものと思っておりましたのに、輔佐が良くなかったために、讎の手に身を棄てられました。国の大きな恥であり、下臣の罪です。人々の議論、時の謡は、まことに明らかな徳に帰しております。国土に光臨され、親の讎に復し、国の恥を雪ぎ、父の業を光らかにされるなら、これより大きな功がありましょうか。どうかお辞りになりませぬように。」王子は言った。「国を嗣ぐことの重さは、古今において難しいことであり、人に君たる位は、興し立てることを慎重に審らかにすべきである。私はまことに徳が寡く、父も兄も遠く世を棄てられたのに、大きな位を推されて襲いだとして、務めを済ますことができようか。人々の議論がふさわしいというのに、あえて我が虚しく薄いことを忘れられようか。いま殑伽河の岸に観自在菩薩の像があり、霊しき鑑みが多いと聞く。行って請い尋ねたい。」そしてすぐ菩薩の像の前に至り、食を断って祈り請うた。菩薩はその誠の心に感じ、形を現して問われた。「お前は何を求めて、これほど勤め懇ろにするのか。」王子は言った。「私はただ禍いを積んで、慈しみ深い父を亡くし、これに重ねて酷い罰を受け、仁ある兄が害されました。みずから顧みれば徳が寡いのに、国の人々が推し尊んで、大きな位を襲ぎ、父の業を光らかにせよと申します。愚かで昧く知るところがないので、あえて聖なる御旨を願うのです。」菩薩は告げられた。「お前は前の身で、この林の中で苦を練る比丘であり、勤めて励んで怠らなかった。この福の力を承けて、この王子となったのである。金耳国の王が仏法を毀したのだから、お前は王位を紹いで、ふたたび興し隆んにするのがよい。慈悲を志とし、憐れみを心に懐くなら、久しからずして五つの印度の境に王となるであろう。国の祚を延ばそうと思うなら、私の誨えに従え。目に見えず大きな福を加えて、隣に強い敵がないようにしよう。師子の座に升るな。大王の号を称えるな。」そこで教えを受けて退き、すぐ王位を襲いだが、みずから王子と称し、屍羅阿叠多と号した。そして臣たちに命じた。「兄の讎にまだ報いておらず、隣の国は賓わない。ついに右の手で食を進める時はない。およそお前たち官僚は、心を同じくして力を尽くせ。」ついに国の兵をすべて率い、戦う士を講じ習わせた。象の軍五千、馬の軍二万、歩の軍五万である。西から東へ赴いて、臣わぬ者を征伐した。象は鞍を解かず、人は甲を釈かず、六年のうちに五つの印度を臣とした。その地を広めてから、さらに甲と兵を増し、象の軍六万、馬の軍十万となった。三十年近く、兵も戈も起こさず、政と教えは和やかに平らかで、節と倹を務め修め、福を営み善を樹てることに、寝ることも食うことも忘れた。五つの印度に肉を食うことを禁じ、もし命を断つ者があれば、誅して赦さなかった。殑伽河の傍らに塔を数千建て、それぞれ高さは百余尺であった。五つの印度の城や邑、郷や聚、通り抜ける巷や四つ辻に休み所を建て、飲み物と食べ物を蓄え、薬を備えて、旅の者と貧しい者に施すことをあまねく行い、怠らなかった。聖なる跡のある所には、どこにも寺を建てた。五年に一度、無遮の大会を設けて蔵を傾け尽くし、人々に恵み施したが、ただ兵器だけは留めて布施に充てなかった。年に一度、諸国の沙門を集め、三七日のあいだ四つの事をもって供養し、法の座を厳かに飾り、義を論ずる席を広く設けて、互いに論じ比べさせ、その優劣を校べ、淑きものを褒め慝きものを貶し、幽きものを黜け明らかなものを陟した。もし戒行が貞しく固く、道と徳が純粋で深ければ、推して師子の座に升らせ、王がみずから法を受けた。戒は清らかであっても、学に古を稽えることがなければ、ただ敬いの礼を加えて尊び崇めることを示すだけであった。律儀に筋目がなく、穢れた徳がすでに顕れている者は、国の境の外に駆り出して、見聞きすることも願わなかった。隣の国の小王や輔佐の大臣が、福を殖えることに怠らず、善を求めて労を忘れていれば、すぐ手を携えて同じ座につき、これを善き友といった。これと異なる者とは、面を合わせて言葉を交わさず、事があって議することがあれば、使いを通わせて往復した。地方を巡って俗を省み、その居を常としないで、至ってとどまる所ごとに庵を結んで宿った。ただ雨の三か月だけは、雨が多いので行かなかった。いつも行宮で日ごとに珍しい饌を修めて、さまざまな学びの者に食を供したが、僧たちが千人、婆羅門が五百人であった。いつも一日を三つの時に分け、一つの時は務めを理めて政を治め、二つの時は福を営み善を修めて、孜々として倦まず、日を尽くしても足りないほどであった。
夾注 7
唐言喜增。
唐の言葉では喜増である。
唐言光增。
唐の言葉では光増である。
唐言王增。
唐の言葉では王増である。
唐言金耳。
唐の言葉では金耳である。
唐言月。
唐の言葉では月である。
唐言辯了。
唐の言葉では弁了である。
唐言戒日。
唐の言葉では戒日である。
4大唐から来た沙門との問答
初,受拘摩羅王請白,自摩揭陁國往迦摩縷波國。時戒日王巡方在羯朱嗢祇邏國,命拘摩羅王曰:「宜與那爛陁遠客沙門速來赴會。」於是隧與拘摩羅王往會見焉。戒日王勞苦已曰:「自何國來,將何所欲?」對曰:「從大唐國來,請求佛法。」王曰:「大唐國在何方?經途所亙,去斯遠近?」對曰:「當此東北數萬餘里,印度所謂摩訶至那國是也。王曰:「嘗聞摩訶至那國有秦王天子,少而靈鑒,長而神武。昔先代喪亂,率土分崩,兵戈競起,群生荼毒,而秦王天子早懷遠略,興大慈悲,拯濟含識,平定海內,風教遐被,德澤遠洽,殊方異域,慕化稱臣。氓庶荷其亭育,咸歌《秦王破陣樂》。聞其雅頌,於茲久矣。盛德之譽,誠有之乎?大唐國者,豈此是耶?」對曰:「然。至那者,前王之國號;大唐者,我君之國稱。昔未襲位,謂之秦王;今已承統,稱曰天子。前代運終,群生無主,兵戈亂起,殘害生靈。秦王天縱含弘,心發慈湣,威風鼓扇,群兇殄滅,八方靜謐,萬國朝貢。愛育四生,敬崇三寶,薄賦斂,省刑罰,而國用有餘,氓俗無宄,風猷大化,難以備舉。」戒日王曰:「盛矣哉!彼土群生,福感聖主。」
はじめ、拘摩羅王の請いを受けて、摩揭陀国から迦摩縷波国へ行った。そのとき戒日王は地方を巡って羯朱嗢祇邏国にあり、拘摩羅王に命じた。「那爛陀にいる遠来の客の沙門とともに、速く来て会に赴くがよい。」そこで拘摩羅王とともに行って、会って相まみえた。戒日王は労をねぎらってから言った。「どの国から来られ、何を望んでおられるのか。」答えた。「大唐国から来て、仏の法を求めることを請うものです。」王は言った。「大唐国はどの方にあり、道の隔たりはここから遠いのか近いのか。」答えた。「ここから東北へ数万余里で、印度でいう摩訶至那国がそれです。」王は言った。「かつて聞くところでは、摩訶至那国には秦王天子があり、若くして霊しく鑑み、長じて神しく武であるという。昔、先の代が喪れ乱れて、国土はすべて分かれ崩れ、兵も戈も競い起こって、人々は苦しみ毒まれたが、秦王天子は早くから遠い略を懐き、大きな慈悲を興して、識をもつものを拯い済い、海の内を平定したので、風と教えは遥かに被り、徳の沢は遠くまで洽い、異なる方、異なる域が教化を慕って臣と称したという。民たちはその育みを荷って、みな『秦王破陣楽』を歌うという。その雅びな頌を聞いてから、もう久しい。盛んな徳の誉れは、まことにあることなのか。大唐国とは、まさにこれなのか。」答えた。「そうです。至那とは前の王の国の号であり、大唐とはわが君の国の称です。昔、まだ位を襲がれないころは秦王と申し、今はすでに統を承けられて天子と称します。前の代の運が終わって人々に主がなく、兵と戈が乱れ起こって、生きるものを残い害しました。秦王は天が縦された含み弘さをもって、心に慈しみと憐れみを発し、威の風を鼓ち扇いで、凶なる者たちを殄し滅ぼされたので、八方は静まり謐かになり、万の国が朝貢します。四つの生を愛し育て、三宝を敬い崇め、賦と斂を薄くし、刑と罰を省いても、国の用は余りがあり、民の俗には盗賊がありません。風と猷が大いに化したことは、つぶさに挙げがたいほどです。」戒日王は言った。「盛んなことだ。あの土の人々は、福によって聖なる主に遇ったのだ。」
5曲女城の大きな法会
時戒日王將還曲女城設法會也,從數十萬眾,在殑伽河南岸。拘摩羅王從數萬之眾,居北岸。分河中流,水陸並進。二王導引,四兵嚴衛,或泛舟,或乘象,擊鼓鳴螺,拊弦秦管。經九十日,至曲女城,在殑伽河西大花林中。是時諸國二十餘王先奉告命,各與其國髦俊沙門及婆羅門、群官、兵士,來集大會。王先於河西建大伽藍。伽藍東起寶臺,高百餘尺,中有金佛像,量等王身。臺南起寶壇,為浴佛像之處。從此東北十四五里,別築行宮。是時,仲春月也。從初一日以珍味饌諸沙門、婆羅門,至二十一日。自行宮屬伽藍,夾道為閣,窮諸瑩飾,樂人不移,雅聲遞秦。王於行宮出一金像,虛中隱起,高餘三尺,載以大象,張以寶幰。戒日王為帝釋之服,執寶蓋以左侍,拘摩羅王作梵王之儀,執白拂而右侍。各五百象軍,被鎧周衛,佛像前後各百大象,樂人以乘,鼓秦音樂。戒日王以真珠雜寶及金銀諸花,隨步四散,供養三寶。先就寶壇,香水浴像。王躬負荷,送上西臺,以諸珍寶、憍奢耶衣數十百千,而為供養。是時唯有沙門二十餘人預從,諸國王為侍衛。饌食已訖,集諸異學,商榷微言,抑揚至理。日將曛暮,回駕行宮。如是日送金像,導從如初,以至散日。
そのとき戒日王は曲女城に還って法会を設けようとし、数十万の衆を従えて殑伽河の南の岸にあった。拘摩羅王は数万の衆を従えて北の岸にいた。河の中ほどの流れを分けて、水と陸を並んで進んだ。二人の王が導き引き、四つの兵が厳かに護って、あるものは舟を浮かべ、あるものは象に乗り、鼓を撃ち螺を鳴らし、弦を拊ち管を奏した。九十日を経て曲女城に至り、殑伽河の西の大きな花の林の中に入った。このとき諸国の二十余人の王が先に告げの命を奉じて、それぞれその国の優れた沙門と婆羅門、官たちと兵士を連れ、大きな会に来て集まった。王はまず河の西に大きな寺を建てた。寺の東に宝の台を起こし、高さは百余尺で、中に金の仏像があり、大きさは王の身に等しかった。台の南に宝の壇を起こして、仏像を浴させる所とした。ここから東北へ十四、五里のところに、別に行宮を築いた。このときは仲春の月であった。初一日から珍しい味で沙門と婆羅門に饌を供し、二十一日まで続けた。行宮から寺に連なるまで、道を挟んで閣を作り、あらゆる輝く飾りを尽くし、楽人は場を移らず、雅びな声を交互に奏した。王は行宮から一体の金の像を出した。中が虚ろで浮き彫りにされ、高さは三尺あまりである。大きな象に載せ、宝の幌を張った。戒日王は帝釈の服を着て宝の蓋を執って左に侍り、拘摩羅王は梵王の装いをして白い払子を執って右に侍った。それぞれ五百の象の軍が鎧を着てあまねく護り、仏像の前と後ろにそれぞれ百頭の大きな象に楽人を乗せて、鼓を打ち音楽を奏した。戒日王は真珠やさまざまな宝、金銀の花を、歩みにつれて四方に散らし、三宝に供養した。まず宝の壇に就いて香の水で像を浴させ、王はみずから担って西の台に送り上げ、さまざまな珍しい宝と憍奢耶の衣数十百千をもって供養とした。このときはただ沙門二十余人だけが付き従い、諸国の王が侍り護った。饌の食が終わると、さまざまな学びの者を集めて、微かな言葉を商り榷べ、至極の理を抑え揚げた。日が暮れようとすると、車をめぐらして行宮に戻った。このように日ごとに金の像を送り、導き従うことは初めのとおりにして、会の散る日に至った。
6宝の台に起こった火
其大臺忽然火起,伽藍門樓煙焰方熾。王曰:「罄舍國珍,奉為先王,建此伽藍,式昭勝業,寡德無祐,有斯災異,咎徵若此,何用生為!」乃焚香禮請而自誓曰:「幸以宿善,王諸印度,願我福力,禳滅火災,若無所感,從此喪命!」尋即奮身,跳履門閫,若有撲滅,火盡煙消。諸王睹異,重增祗懼。已而顏色不動,辭語如故,問諸王曰:「忽此災變,焚燼成功,心之所懷,意將何謂?」諸王俯伏悲泣,對曰:「成功勝跡,冀傳來葉,一旦灰燼,何可為懷?況諸外道,快心相賀!」王曰:「以此觀之,如來所說誠也。外道異學守執常見,惟我大師無常是誨。然我檀舍已周,心願諧遂,屬斯變滅,重知如來誠諦之說,斯為大善,無可深悲。」
その大きな台にふと火が起こり、寺の門楼に煙と炎がまさに盛んになった。王は言った。「国の珍を尽くして捨て、先王のために奉じてこの寺を建て、勝れた業を昭らかにしようとしたのに、徳が寡く加護がなくて、このような災いの異がある。咎の徴がこのようであるなら、生きて何になろうか。」そこで香を焚き礼して請い、みずから誓って言った。「幸いに前の世の善によって、諸々の印度に王となった。願わくはわが福の力によって、火の災いを禳い滅ぼしたまえ。もし感じるところがなければ、ここで命を喪おう。」そしてすぐ身を奮って門の閾を跳び越えると、まるで打ち消すかのように、火は尽き煙は消えた。王たちはこの異を見て、畏れと敬いをいよいよ増した。それから王は顔色も動かさず、言葉も元のままで、王たちに問うた。「ふとこの災いの変で、成した功が焼け尽きた。心に懐くところは、どう思われるか。」王たちは俯し伏して悲しみ泣き、答えた。「成した功と勝れた跡を、来る世に伝えることを願っておりましたのに、一朝にして灰燼となりました。どうして心を保てましょうか。まして外道たちが心を快くして祝い合っておりますのに。」王は言った。「これによって見れば、如来の説かれたことは誠である。外道の異なる学びは常という見を執り守るが、ただわが大師だけは無常を誨えられた。しかし私の布施はすでにあまねく行き、心の願いも遂げられた。このような変わり滅びることに遇って、如来の誠にして諦なる説をふたたび知ったのだから、これは大いに善いことである。深く悲しむべきことはない。」
7刃を持った刺客
於是從諸王東上大窣堵波,登臨觀覽。方下階陛,忽有異人持刃逆王,王時窘迫,卻行進級,俯執此人,以付群官。是時群官惶遽,不知進救。諸王咸請誅戮此人,戒日王殊無忿色,止令不殺。王親問曰:「我何負汝,為此暴惡?」對曰:「大王德澤無私,中外荷福。然我狂愚,不謀大計,受諸外道一言之惑,輒為刺客,首圖逆害。」王曰:「外道何故興此惡心?」對曰:「大王集諸國,傾府庫,供養沙門,熔鑄佛像。而諸外道自遠召集,不蒙省問,心誠愧恥。乃令狂愚,敢行兇詐。」於是究問外道徒屬。有五百婆羅門,並諸高才,應命召集,嫉諸沙門蒙王禮重,乃射火箭,焚燒寶臺,冀因救火,眾人潰亂,欲以此時殺害大王,既無緣隙,遂雇此人,趨隘行刺。是時諸王、大臣請誅外道,王乃罰其首惡,餘黨不罪。遷五百婆羅門出印度之境。於是乃還都也。
そこで王たちとともに東の大きな塔に上り、登って見渡した。まさに階を下りようとしたとき、ふと異しい人が刃を持って王に向かって来た。王はそのとき窘まり迫られ、後退りに段を上がりながら、身を俯してこの人を捕らえ、官たちに引き渡した。このとき官たちは惶てふためいて、進んで救うことを知らなかった。王たちはみなこの人を誅し戮することを請うたが、戒日王は少しも忿った色がなく、殺さないよう命じるだけであった。王はみずから問うた。「私がお前に何を負うたので、このような暴く悪しきことをするのか。」答えた。「大王の徳の沢は私なく、内も外も福を荷っております。しかし私は狂い愚かで、大きな計を謀らず、外道たちの一言の惑わしを受けて、たちまち刺客となり、先に立って逆らい害することを図りました。」王は言った。「外道はなぜこのような悪しき心を興したのか。」答えた。「大王が諸国を集め、蔵を傾けて沙門を供養し、仏像を熔し鋳られました。ところが外道たちは遠くから召し集められながら、省み問われることを蒙らず、心にまことに愧じ恥じました。そこでこの狂い愚かな私に、あえて凶なる詐りを行わせたのです。」そこで外道の徒属を究め問うた。五百人の婆羅門があり、みな高い才があって召しに応じて集まったのだが、沙門たちが王の礼で重んじられるのを嫉んで、火の矢を射て宝の台を焼き、火を救ううちに人々が潰え乱れるのに乗じて、そのときに大王を殺し害そうとしたが、縁の隙が得られなかったので、ついにこの人を雇い、狭い所へ趨って刺させたのであった。このとき王たちと大臣は外道を誅することを請うたが、王はその首となった悪しき者だけを罰し、残りの党は罪としなかった。五百人の婆羅門を印度の境の外へ遷した。そしてすぐ都に還ったのである。
8無憂王の塔
城西北窣堵波,無憂王之所建也。如來在昔於此七日說諸妙法。其側則有過去四佛座及經行遺跡之所。復有如來髮、爪小窣堵波。
城の西北の塔は、無憂王が建てたものである。如来は昔ここで七日のあいださまざまな妙なる法を説かれた。その傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。さらに如来の髪と爪をおさめた小さな塔がある。
9殑伽河に臨む三つの寺
說法窣堵波南,臨殑伽何,有三伽藍,同垣異門,佛像嚴麗,僧徒肅穆,役使凈人數千餘戶。
法を説かれた塔の南、殑伽河に臨むところに寺が三つあり、垣は同じで門が異なっている。仏像は厳かに麗しく、僧たちは静かに厳かで、使役する浄人が数千余戸ある。
10仏の歯
精室寶函中有佛牙,長餘寸半,殊光異色,朝變夕改。遠近相趨,士庶咸集,式修瞻仰,日百千眾。監守者繁其喧雜,權立重稅,宣告遠近:欲見佛牙,輸大金錢。然而瞻禮之徒,寔繁其侶。金錢之稅,悅以心競。每於齋日,出置高座,數百千眾,燒香散花,花雖盈積,牙函不沒。
精室の宝の函の中に仏の歯があり、長さは一寸半あまりで、並ならぬ光と異なる色が、朝と夕とで変わり移る。遠近から互いに走り寄り、士も民もみな集まって、法のとおりに仰ぎ見るので、日ごとに百千の衆である。守る者はその喧しく雑ざるのを煩わしく思い、かりに重い税を立てて、遠近に宣べ告げた。仏の歯を見たい者は、大きな金の銭を納めよ、と。けれども仰ぎ礼する者たちは、まことにその連れが多く、金の銭の税を、喜んで競って納めた。斎日ごとに高い座に出して置くと、数百、数千の衆が香を焚き花を散らすが、花は満ち積もっても、歯の函は埋もれない。
11二つの精舎
伽藍前左右各有精舍,高百餘尺,石基磚室。其中佛像,眾寶莊飾,或鑄金、銀,或熔鍮石。二精舍前各有小伽藍。
寺の前の左右にそれぞれ精舎があり、高さは百余尺、石の基に煉瓦の室である。その中の仏像はさまざまな宝で厳かに飾られ、あるものは金と銀で鋳られ、あるものは真鍮を熔して造られている。二つの精舎の前にそれぞれ小さな寺がある。
12如来の立像
伽藍東南不遠,有大精舍,石基磚室,高二百餘尺。中作如來立像,高三十餘尺,鑄以鍮石,飾諸妙寶。精舍四周石壁之上,雕畫如來修菩薩行所經事跡,備盡鐫鏤。
寺の東南の遠くないところに大きな精舎があり、石の基に煉瓦の室で、高さは二百余尺である。中に如来の立たれた像を造っており、高さは三十余尺、真鍮で鋳て、さまざまな妙なる宝で飾っている。精舎の四方の石の壁の上には、如来が菩薩の行を修められて経てきた事の跡を彫り描いていて、刻み彫ることを尽くしている。
13日天の祠と大自在天の祠
石精舍南不遠,有日天祠。祠南不遠,有大自在天祠。並瑩青石,俱窮雕刻,規模度量,同佛精舍。各有千戶充其灑掃,鼓樂弘歌不舍晝夜。
石の精舎の南の遠くないところに日天の祠があり、その南の遠くないところに大自在天の祠がある。どちらも青い石で輝かせ、ともに彫り刻むことを尽くしており、規模と大きさは仏の精舎と同じである。それぞれ千戸が水を灑ぎ掃く務めに充てられ、鼓と楽と大きな歌が昼も夜も絶えない。
14六か月のあいだ法を説かれた所
大城東南六七里,殑伽河南,有窣堵波,高二百餘尺,無憂王之所建也。在昔如來於此六月說身無常、苦、空、不凈。其側則有過去四佛坐及經行遺跡之所。又有如來髮、爪小窣堵波,人有染疾,至誠旋繞,必得痊愈,蒙其福利。
大きな城の東南六、七里、殑伽河の南に塔があり、高さは二百余尺で、無憂王が建てたものである。昔、如来はここで六か月のあいだ、身が無常であり、苦であり、空であり、浄らかでないことを説かれた。その傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。さらに如来の髪と爪をおさめた小さな塔があり、人が病にかかったとき、至誠をもってめぐれば、必ず癒えて、その福と利を蒙る。
15納縛提婆矩羅城
大城東南行百餘里,至納縛提婆矩羅城,據殑伽河東岸,周二十餘里。花林清池,互相影照。
大きな城から東南へ百余里行くと、納縛提婆矩羅城に至る。殑伽河の東の岸に拠り、周囲は二十余里である。花の林と清い池が、互いに影を映している。
16城の西北の天神をまつる祠
納縛提婆矩羅城西北,殑伽河東,有一天祠,重閣層臺,奇工異制。
納縛提婆矩羅城の西北、殑伽河の東に天神をまつる祠が一つあり、重なった閣と層をなす台が、珍しい工みで並ならぬ造りである。
17三つの寺と塔
城東五里有三伽藍,同垣異門,僧徒五百餘人,並學小乘說一切有部。伽藍前二百餘步,有窣堵波,無憂王之所建也,基雖傾陷,尚高百餘尺,是如來昔於此處七日說法。中有舍利,時放光明。其側則有過去四佛坐及經行遺跡之所。
城の東五里に寺が三つあり、垣は同じで門が異なっている。僧は五百余人おり、みな小乗の説一切有部を学んでいる。寺の前二百余歩に塔があり、無憂王が建てたものである。基は傾き落ちくぼんでいるが、なお高さは百余尺ある。これは如来が昔この所で七日のあいだ法を説かれた所である。中に舎利があって、ときに明るい光を放つ。その傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。
18餓えた鬼が天に生まれた所
伽藍北三四里,臨殑伽河岸,有窣堵波,高二百餘尺,無憂王之所建也。昔如來在此七日說法,時有五百餓鬼來至佛所,聞法解悟,舍鬼生天。說法窣堵波側有過去四佛坐及經行遺跡之所。其側復有如來髮爪窣堵波。
寺の北三、四里、殑伽河の岸に臨むところに塔があり、高さは二百余尺で、無憂王が建てたものである。昔、如来がここで七日のあいだ法を説かれたとき、五百の餓えた鬼が仏のもとに来て、法を聞いて解し悟り、鬼の身を捨てて天に生まれた。法を説かれた塔の傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。その傍らにさらに如来の髪と爪をおさめた塔がある。
自此東南行六百餘里,渡殑伽河,南至阿逾陁國。
ここから東南へ六百余里行き、殑伽河を渡って南へ行くと、阿逾陀国に至る。
夾注 1
中印度境。
中印度の境である。