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室羅伐悉底国室羅伐悉底國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 22 · 漢字 2,637字 · 朗読 10.5分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第6巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

室羅伐悉底國周六千餘里。都城荒頹,疆埸無紀。宮城故基周二十餘里,雖多荒圮,尚有居人。穀稼豐,氣序和。風俗淳質,篤學好福。伽藍數百,圮壞良多,僧徒寡少,學正量部。天祠百所,外道甚多。

室羅伐悉底国は周囲六千余里である。都城は荒れ崩れ、境に定まった筋目もない。宮城の古い基は周囲二十余里で、荒れ壊れた所が多いけれども、なお住む人がいる。穀物は豊かで、気候は和やかである。風俗は淳朴で質素であり、学に篤く福を好む。寺は数百あるが壊れたものがきわめて多く、僧は少なくて、正量部を学んでいる。天神をまつる祠は百か所あり、外道がはなはだ多い。

2勝軍王の宮址

此則如來在世之時,缽邏犀那恃多王所治國都也。故宮城內有故基,勝軍王殿餘址地。

ここはすなわち、如来が世におられたとき、缽邏犀那恃多王が治めていた国の都である。古い宮城の中に古い基があり、勝軍王の殿の残った址である。

夾注 1

唐言勝軍。舊曰波斯匿,訛略也。

唐の言葉では勝軍である。旧くは波斯匿といったが、誤って略したものである。

3生主比丘尼の精舎と善施の古い宅

次東不遠,有一故基,上建小窣堵波,昔勝軍王為如來所建大法堂也。法堂側不遠,故基上有窣堵波,是佛姨母缽邏阇缽底苾芻尼精舍,勝軍王之所建立。次東窣堵波,是蘇達多故宅也。

その東の遠くないところに古い基が一つあり、上に小さな塔を建てている。昔、勝軍王が如来のために建てた大きな法堂である。法堂の傍らの遠くない古い基の上に塔があり、これは仏の姨母、缽邏闍缽底比丘尼の精舎で、勝軍王が建てたものである。次に東の塔は、蘇達多の古い宅である。

夾注 2

唐言生主。舊云波阇波提,訛也。

唐の言葉では生主である。旧くは波闍波提といったが、誤りである。

唐言善施。舊曰須達,訛也。

唐の言葉では善施である。旧くは須達といったが、誤りである。

4指の鬘をつけた人

善施長者宅側有大窣堵波,是鴦窶利摩羅舍邪之處。鴦窶利摩羅者,室羅伐悉底之兇人也。作害生靈,為暴城國,殺人取指,冠首為鬘。將欲害母,以充指數。世尊悲湣,方行導化。遙見世尊,竊自喜曰:「我今生天必矣。先師有教,遺言在茲,害佛殺母,當生梵天。」謂其母曰:「老今且止,先當害彼大沙門。」尋即仗劍往逆世尊。如來於是徐行而退,兇人指鬘疾驅不逮。世尊謂曰:「何守鄙志,舍善本,激惡源?」時指鬘聞誨,悟所行非,因即歸命,求入法中,精勤不怠,證羅漢果。

善施長者の宅の傍らに大きな塔があり、これは鴦窶利摩羅が邪を捨てた所である。鴦窶利摩羅は室羅伐悉底の凶な人である。生きとしいけるものを害し、城にも国にも暴をふるい、人を殺して指を取り、頭に戴いて鬘とした。まさに母を害して指の数を満たそうとした。世尊は憐れんで、そこへ行って導き教化された。彼は遥かに世尊を見て、ひそかにみずから喜んで言った。「私は今天に生まれることは間違いない。先の師の教えがあり、その遺した言葉がここにある。仏を害し母を殺せば、必ず梵天に生まれると。」そして母に言った。「老いた人は今しばらく待て。まずあの大沙門を害さなければならない。」そしてすぐ剣を取って世尊に向かって行った。如来はそこでゆるやかに歩いて退かれたが、凶な指鬘は速く駆けても追いつけなかった。世尊は言われた。「なぜ卑しい志を守って、善の本を捨て、悪の源を激しくするのか。」そのとき指鬘は誨えを聞いて、自分の行ったことが誤りであると悟り、それによってすぐ命を帰して法の中に入ることを求め、勤めて励み怠らず、羅漢の果を証した。

夾注 1

唐言指鬘。舊曰央掘摩羅,訛也。

唐の言葉では指鬘である。旧くは央掘摩羅といったが、誤りである。

5祇園精舎 — 給孤独園

城南五六里有逝多林,是給孤獨園。勝軍王大臣善施為佛建精舍。昔為伽藍,今已荒廢。東門左右各建石柱,高七十餘尺,左柱鏤輪相於其端,右柱刻牛形於其上,並無憂王之所建也。室宇傾圮,唯餘故基,獨一磚室巋然獨在,中有佛像。昔者如來升三十三天,為母說法之後,勝軍王聞出愛王刻檀佛像,乃造此像。

城の南五、六里に逝多の林があり、これが給孤独園である。勝軍王の大臣の善施が仏のために建てた精舎である。昔は寺であったが、今はすでに荒れ廃れている。東の門の左右にそれぞれ石の柱を建てていて、高さは七十余尺である。左の柱はその端に輪の相を刻み、右の柱はその上に牛の形を刻んでいる。どちらも無憂王が建てたものである。建物は傾き壊れて、ただ古い基だけが残っているが、ひとつだけ煉瓦の室が高くそびえて残っており、中に仏像がある。昔、如来が三十三天に上って母のために法を説かれた後、勝軍王は出愛王が栴檀を刻んで仏像を造ったと聞いて、この像を造ったのである。

夾注 1

唐言勝林。舊曰祇陁,訛也。

唐の言葉では勝林である。旧くは祇陀といったが、誤りである。

6金を敷いて買った園

善施長者仁而聰敏,積而能散,拯乏濟貧,哀孤恤老,時美其德,號給孤獨焉。聞佛功德,深生尊敬,願建精舍,請佛降臨。世尊命舍利子隨瞻揆焉,唯太子逝多園地爽塏。尋詣太子,具以情告。太子戲言:「金遍乃賣。」善施聞之,心豁如也,即出藏金,隨言布地。有少未滿,太子請留,曰:「佛誠良田,宜植善種。」即於空地,建立精舍。世尊即之,告阿難曰:「園地善施所買,林樹逝多所施,二人同心,式崇功業。自今已去,應謂此地為逝多林給孤獨園。」

善施長者は仁があって聡く敏く、蓄えてはよく散じ、乏しい者を拯い貧しい者を済い、孤児を哀れみ老いた者を恤んだ。そのとき人々はその徳を美しいとして、給孤独と呼んだ。仏の功徳を聞いて深く尊び敬う心を起こし、精舎を建てて仏をお迎えしたいと願った。世尊は舎利子に命じて付き従って見定めさせられたが、ただ逝多太子の園の地だけが高く爽やかであった。そこで太子のもとへ行き、思いをつぶさに告げると、太子は戯れに言った。「金を敷き詰めれば売ろう。」善施はそれを聞いて心が開けたようになり、すぐ蔵の金を出して、言われたとおりに地に敷いた。少し満たない所が残ると、太子はそれを留めることを請うて言った。「仏はまことに良い田である。善い種を植えよう。」そしてその空いた地に精舎を建てた。世尊はそこへ赴いて、阿難に告げられた。「園の地は善施が買ったものであり、林の樹は逝多が施したものである。二人が心を同じくして功業を崇めたのだから、今より後、この地を逝多林給孤独園と呼ぶがよい。」

7病んだ比丘を洗われた所

給孤獨園東北有窣堵波,是如來洗病苾芻處。昔如來在世也,有病苾芻含苦獨處。世尊見而問曰:「汝何所苦?汝何獨居?」曰:「我性疏懶,不耐看病,故今嬰疾,無人瞻視。」如來是時湣而告曰:「善男子,我今看汝。」以手拊摩,病苦皆愈。扶出戶外,更易敷蓐,親為盥洗,改著新衣。佛語苾芻:「當自勤勵。」聞誨感恩,心悅身豫。

給孤独園の東北に塔があり、これは如来が病んだ比丘を洗われた所である。昔、如来が世におられたとき、病んだ比丘が苦しみを含んでひとりでいた。世尊はそれを見て問われた。「お前は何を苦しんでいるのか。お前はなぜひとりでいるのか。」答えた。「私の性は疎く懶けていて、病を看ることに堪えませんでした。それで今病にかかっても、看てくれる人がいないのです。」如来はこのとき憐れんで告げられた。「善き男子よ、私が今お前を看よう。」手で撫でると、病の苦しみはみな癒えた。助け起こして戸の外に出し、敷物を新しく替え、みずから洗い清めて、新しい衣に着替えさせられた。仏は比丘に言われた。「みずから勤め励むがよい。」比丘は誨えを聞いて恩に感じ、心は喜び身は安らいだ。

8帯ひとつを持ち上げられなかった神通

給孤獨園西北有小窣堵波,是沒特伽羅子運神通力舉舍利子衣帶不動之處。昔佛在無熱惱池,人天咸集,唯舍利子不時從會。佛命沒特伽羅往召來集。沒特伽羅承命而往,舍利子方補護法衣。沒特伽羅曰:「世尊今在無熱惱池,命我召爾。」舍利子曰:「且止,須我補竟,與子偕行。」沒特伽羅曰:「若不速行,欲運神力,舉爾石室至大會所。」舍利子乃解衣帶置地,曰:「若舉此帶,我身或動。」時沒特伽羅運大神通,舉帶不動,地為之震。因以神足還詣佛所,見舍利子已在會坐。沒特伽羅俯而嘆曰:「乃今以知神通之力不如智慧之力矣。」

給孤独園の西北に小さな塔があり、これは没特伽羅子が神通の力を運んでも舎利子の衣の帯を持ち上げて動かせなかった所である。昔、仏が無熱悩池におられたとき、人も天もみな集まったが、ただ舎利子だけが時を得て会に来なかった。仏は没特伽羅に命じて、行って召して来させた。没特伽羅は命を承けて行くと、舎利子はまさに法の衣を繕っていた。没特伽羅は言った。「世尊は今、無熱悩池におられ、私にお前を召すよう命じられた。」舎利子は言った。「しばらく待ってくれ。私が繕い終えるのを待って、ともに行こう。」没特伽羅は言った。「もし速く行かないなら、神しき力を運んで、お前の石室を持ち上げて大会の所まで移すぞ。」舎利子はそこで衣の帯を解いて地に置いて言った。「この帯を持ち上げられるなら、私の身も動くかもしれない。」そのとき没特伽羅は大きな神通を運んだが、帯を持ち上げることはできず、地がそのために震えた。そこで神足で仏のもとへ還ると、舎利子はすでに会の座にいた。没特伽羅は俯いて嘆いた。「今になって、神通の力は智慧の力に及ばないと知った。」

9如来がお使いになった井戸

舉帶窣堵波側不遠有井,如來在世,汲充佛用。其側有窣堵波,無憂王之所建也,中有如來舍利。經行之跡,說法之處,並樹旌表,建窣堵波。冥祗警衛,靈瑞間起,或鼓天樂,或聞神香,景福之祥,難以備述。

帯を持ち上げた塔の傍らの遠くないところに井戸があり、如来が世におられたとき、汲んで仏のお使いに充てた。その傍らに塔があり、無憂王が建てたもので、その中に如来の舎利がある。経行された跡、法を説かれた所には、どこにも標を立て、塔を建てている。目に見えぬ神が警め護り、霊しき瑞がときに現れて、あるときは天の楽を鼓ち、あるときは神しき香が聞こえる。大きな福の祥しさは、つぶさに述べがたい。

10淫女を殺して仏を謗った所

伽藍後不遠,是外道梵志殺淫女以謗佛處。如來十力無畏,一切種智,人天宗仰,聖賢遵奉。時諸外道共相議曰:「宜行詭詐,眾中謗辱。」乃誘雇淫女,詐為聽法,眾所知已,密而殺之,埋屍樹側,稱怨告王。王命求訪,於逝多園得其屍焉。是時外道高聲唱言:「喬答摩大沙門常稱戒忍,今私此女,殺而滅口。既淫既殺,何戒何忍?」諸天空中隨聲唱道:「外道兇人為此謗耳。」

寺の後の遠くないところは、外道の梵志が淫女を殺して仏を謗った所である。如来は十力と無畏と一切種智を備えて、人も天も宗として仰ぎ、聖も賢も遵び奉った。そのとき外道たちは互いに議して言った。「詭りと偽りを行って、人々の中で謗り辱めよう。」そこで淫女を誘い雇って法を聴くふりをさせ、人々がそれを知ってから、ひそかに殺して屍を樹の傍らに埋め、怨みを称えて王に告げた。王が探すよう命じると、逝多の園でその屍が見つかった。このとき外道は高い声で唱えた。「喬答摩の大沙門は常に戒と忍を称えていたが、今この女を私して、殺して口を塞いだ。淫し、かつ殺したのだから、何の戒、何の忍であろうか。」諸天は空中で、声に応じて唱え告げた。「外道の凶な人が、この謗りを作ったにすぎない。」

11提婆達多が生きたまま陥った坑

伽藍東百餘步,有大深坑,是提婆達多欲以毒藥害佛,生身陷入地獄處。提婆達多,斛飯王之子也。精勤十二年,已誦持八萬法藏。後為利故,求學神通,親近惡友,共相議曰:「我相三十,減佛未幾;大眾圍繞,何異如來?」思惟是已,即事破僧。舍利子、沒特伽羅子奉佛指告,承佛威神,說法誨喻,僧復和合。提婆達多惡心不舍,以惡毒藥置指爪中,欲因作禮,以傷害佛。方行此謀,自遠而來,至於此也,地遂坼焉,生陷地獄。

寺の東百余歩に大きく深い坑があり、これは提婆達多が毒薬で仏を害そうとして、生きた身のまま地獄に陥り入った所である。提婆達多は斛飯王の子である。十二年のあいだ勤めて励み、すでに八万の法蔵を誦えて持っていた。後に利のために神通を学ぶことを求め、悪い友に近づいて、ともに議して言った。「私の相は三十あって、仏に足らないところはいくらもない。大衆が取り囲むのだから、如来と何が違おうか。」こう思いめぐらして、すぐに僧を破る事に着手した。舎利子と没特伽羅子は仏の示しを奉じ、仏の威と神しき力を承けて、法を説き誨え諭したので、僧はまた和合した。提婆達多は悪しき心を捨てず、悪い毒の薬を指の爪の中に入れ、礼をするついでに仏を傷つけ害そうとした。まさにこの謀りを行おうとして、遠くから来てここに至ったとき、地はついに裂けて、生きたまま地獄に陥った。

夾注 1

唐言天授。

唐の言葉では天授である。

12瞿伽梨が陥った坑

其南復有大坑,瞿伽梨苾芻毀謗如來,生身陷入地獄。

その南にまた大きな坑があり、瞿伽梨比丘が如来を毀り謗って、生きた身のまま地獄に陥り入った所である。

13戦遮婆羅門の女が陥った坑

瞿伽梨陷坑南八百餘步,有大深坑,是戰遮婆羅門女毀謗如來,生身陷入地獄之處。佛為人天說諸法要,有外道弟子,遙見世尊,大眾恭敬,便自念曰:「要於今日辱喬答摩,敗其善譽,當令我師獨擅芳聲。」乃懷系木盂,至給孤獨園,於大眾中揚聲唱曰:「此說法人與我私通,腹中之子乃釋種也。」邪見者莫不信然,貞固者知為訕謗。時天帝釋欲除疑故,化為白鼠,嚙斷盂系,系斷之聲震動大眾,凡諸見聞增深喜悅。眾中一人起持木盂,示彼女曰:「是汝兒耶?」是時也,地自開坼,全身墜陷,入無間獄,具受其殃。凡此三坑,洞無涯底,秋夏霖雨,溝池泛溢,而此深坑,嘗無水止。

瞿伽梨が陥った坑の南八百余歩に大きく深い坑があり、これは戦遮婆羅門の女が如来を毀り謗って、生きた身のまま地獄に陥り入った所である。仏が人と天のためにもろもろの法の要を説かれていたとき、ある外道の弟子が遥かに世尊を見ると、大衆が恭しく敬っていた。そこでみずから思った。「今日かならず喬答摩を辱めてその善い誉れを敗り、わが師ひとりに芳しい声を占めさせよう。」そして木の盂を紐で腹に結んで懐き、給孤独園に至って、大衆の中で声を揚げて唱えた。「この法を説く人は私と私通した。腹の中の子は、すなわち釈迦の種である。」邪な見をもつ者はそうだと信じない者はなく、貞しく固い者はそれが誹り謗りであると知った。そのとき天帝釈は疑いを除こうとして白い鼠に化し、盂を結んだ紐を噛み切った。紐の切れる音が大衆を震い動かし、およそ見聞きした者はみな喜びを深めた。衆の中の一人が起って木の盂を持ち、その女に示して言った。「これがお前の子か。」このとき地はおのずから裂け、全身が墜ち陥って無間の獄に入り、その殃いをつぶさに受けた。およそこの三つの坑は洞のように底がなく、秋と夏の長雨で溝も池も溢れても、この深い坑には一度も水が溜まったことがない。

14天神をまつる祠の影と精舎の影

伽藍東六七十步有一精舍,高六十餘尺,中有佛像,東面而坐。如來在昔於此與諸外道論議。次東有天祠,量等精舍。日旦流光,天祠之影不蔽精舍;日將落照,精舍之影遂覆天祠。

寺の東六、七十歩に精舎が一つあり、高さは六十余尺である。その中に仏像があって、東に面して座っている。如来は昔ここで外道たちと論議された。次に東に天神をまつる祠があり、大きさは精舎に等しい。日が朝に光を流すとき、天神をまつる祠の影は精舎を覆わず、日が落ちようとして照らすときには、精舎の影がついに天神をまつる祠を覆う。

15舎利子が外道と論議した所

影覆精舍東三四里有窣堵波,是尊者舍利子與外道論議處。初,善施長者買逝多太子園,欲為如來建立精舍,時尊者舍利子隨長者而瞻揆,外道六師求角神力,舍利子隨事攝化,應物降伏。

影が覆う精舎の東三、四里に塔があり、これは尊者舎利子が外道と論議した所である。はじめ、善施長者が逝多太子の園を買って如来のために精舎を建てようとしたとき、尊者舎利子が長者に付き従って見定めた。外道の六人の師が神しき力を競うことを求めると、舎利子は事に応じて摂め教化し、物に応じて降した。

16外道を挫き、請いを受けられた所

其側精舍前建窣堵波,如來於此摧諸外道,又受毗舍佉母請。

その傍らの精舎の前に塔を建てている。如来がここで外道たちを挫き、また毗舎佉の母の請いを受けられた所である。

17枯れた樹の下で兵を返した所

受請窣堵波南,是毗盧擇迦王興甲兵誅釋種,至此見佛歸兵之處。毗盧擇迦王嗣位之後,追怨前辱,興甲兵,動大眾,部署已畢,申命方行。時有苾芻聞以白佛,世尊於是坐枯樹下。毗盧擇迦王遙見世尊,下乘禮敬,退而言曰:「茂樹扶疏,何故不坐?枯株朽蘗,而乃遊止?」世尊告曰:「宗族者,枝葉也。枝葉將危,庇蔭何在?」王曰:「世尊為宗親耳,可以回駕。」於是睹聖感懷,還軍返國。

請いを受けられた塔の南は、毗盧擇迦王が甲と兵を興して釈迦の種族を誅そうとし、ここに至って仏に会い、兵を返した所である。毗盧擇迦王は位を嗣いだ後、先の辱めを怨み、甲と兵を興して大勢を動かし、部署を定め終えて、命を申し渡してまさに行こうとした。そのときある比丘がそれを聞いて仏に申し上げたので、世尊はそこで枯れた樹の下に座られた。毗盧擇迦王は遥かに世尊を見て車を下り、礼し敬ってから、退いて言った。「茂った樹が生い茂っているのに、なぜそこにお座りにならず、枯れた株、朽ちた切り株にとどまっておられるのですか。」世尊は告げられた。「宗族とは、枝と葉である。枝と葉が危うくなろうとしているのに、庇う陰がどこにあろうか。」王は言った。「世尊は宗親のためにそうされるのですね。車を返します。」そこで聖なる方を見て心を動かされ、軍を返して国に帰った。

夾注 1

舊曰毗流離王,訛也。

旧くは毗流離王といったが、誤りである。

18釈迦の女たちが死んだ所

還軍之側,有窣堵波,是釋女被戮處。毗盧擇迦王誅釋克勝,簡五百女充實宮闈。釋女憤恚,怨言不遜,詈其王「家人之子也」。王聞發怒,命令誅戮。執法者奉王教,刖其手足,投諸坑阱。時諸釋女含苦稱佛,世尊聖鑒,照其苦毒,告命苾芻,攝衣而往,為諸釋女說微妙法,所謂羈纏五欲,流轉三途,恩愛別離,生死長遠。時諸釋女聞佛指誨,遠塵離垢,得法眼凈,同時命終,俱生天上。時天帝釋化作婆羅門,收骸火葬。後人記焉。

軍を返した所の傍らに塔があり、これは釈迦の女たちが戮された所である。毗盧擇迦王は釈迦を誅して勝ち、五百人の女を選んで宮の内に充てた。釈迦の女たちは憤って、怨む言葉が遜らず、その王を「家人の子である」と罵った。王は聞いて怒りを発し、誅し戮することを命じた。法を執る者は王の教えを奉じて、その手と足を切り、坑に投じた。そのとき釈迦の女たちは苦しみを含んで仏を称えた。世尊は聖なる鑑みでその苦しみと毒を照らし、比丘たちに命じ、衣を整えて赴かれ、釈迦の女たちのために微妙な法を説かれた。いわゆる、五つの欲に羈られ纏われれば三つの途に流れ転じ、恩と愛は別れ離れ、生と死は長く遠いということである。そのとき釈迦の女たちは仏の示された誨えを聞いて、塵を遠ざけ垢を離れ、法の眼が清らかになり、同時に命を終えて、ともに天上に生まれた。そのとき天帝釈は婆羅門に化して、骸を収めて火葬した。後の人がそれを記した。

19毗盧擇迦王が陥った所

誅釋窣堵波側不遠,有大涸池,是毗盧擇迦王陷身入地獄處。世尊觀釋女已,還給孤獨園,告諸苾芻:「今毗盧擇迦王卻後七日,為火所燒。」王聞佛記,甚懷惶懼。至第七日,安樂無危。王用歡慶,命諸宮女往至池側,娛遊樂飲。猶懼火起,鼓棹清流,隨波泛濫。熾焰飆發,焚輕舟,墜王身,入無間獄,備受諸苦。

釈迦を誅した塔の傍らの遠くないところに大きな涸れた池があり、これは毗盧擇迦王が身を陥らせて地獄に入った所である。世尊は釈迦の女たちを観られてから給孤独園に還り、比丘たちに告げられた。「いま毗盧擇迦王は、この後七日して火に焼かれるであろう。」王は仏の記を聞いて、たいへん惶れ懼れた。七日目に至って安らかで危うげがなかったので、王は喜び祝って、宮女たちに命じて池の傍らへ行き、遊び楽しみ飲ませた。それでも火が起こることを懼れて、清い流れに棹を鼓ち、波に従って漂っていた。盛んな炎がつむじ風のように起こって軽い舟を焼き、王の身を墜として無間の獄に入らせたので、さまざまな苦しみをつぶさに受けた。

20眼を得た林

伽藍西北三四里,至得眼林。有如來經行之跡,諸聖習定之所,並樹封記,建窣堵波。昔此國群盜五百,橫行邑里,跋扈城國。勝軍王捕獲已,抉去其眼,棄於深林。群盜苦逼,求哀稱佛。是時如來在逝多精舍,聞悲聲,起慈心,清風和暢,吹雪山藥,滿其眼已,尋得復明。而見世尊在其前住,發菩提心,歡喜頂禮,投杖而去,因植根焉。

寺の西北三、四里で、得眼の林に至る。如来が経行された跡や、聖者たちが定を習った所があって、どれにも標を立てて記し、塔を建てている。昔、この国の盗賊の群れ五百人が邑と里を横行し、城にも国にも跋扈した。勝軍王は彼らを捕らえてから、その眼を抉り取って深い林に棄てた。盗賊の群れは苦しみに迫られ、哀れみを求めて仏を称えた。このとき如来は逝多の精舎におられたが、悲しむ声を聞いて慈しみの心を起こされた。清い風が和やかに吹いて雪山の薬を運び、その眼に満ちると、たちまちまた明るさを得た。そして世尊がその前に立っておられるのを見て、菩提の心を起こし、喜んで頂礼し、杖を投げて去ったが、それによって根がついた。

21迦葉波仏がお生まれになった城

大城西北六十餘里有故城,是賢劫中人壽二萬歲時,迦葉波佛本生城也。城南有窣堵波,成正覺已初見父處。城北有窣堵波,有迦葉波佛全身舍利。並無憂王所建也。

大きな城の西北六十余里に古い城があり、これは賢劫の中で人の寿命が二万歳であったとき、迦葉波仏がお生まれになった城である。城の南に塔があり、正覚を成されてから初めて父に会われた所である。城の北に塔があり、迦葉波仏の全身の舎利がある。どちらも無憂王が建てたものである。

從此東南行五百餘里,至劫比羅伐窣堵國

ここから東南へ五百余里行くと、劫比羅伐窣堵国に至る。

夾注 1

舊曰迦毗羅衛國,訛也。中印度境。

旧くは迦毗羅衛国といったが、誤りである。中印度の境である。