吠舎厘国吠舍厘國
吠舍厘國周五千餘里。土地沃壤,花果茂盛,庵沒羅果、茂遮果既多且貴。氣序和暢,風俗淳質,好福重學,邪正雜信。伽藍數百,多已圮壞,存者三五,僧徒稀少。天祠數十,異道雜居,露形之徒,寔繁其黨。吠舍厘城已甚傾頹,其故基趾周六七十里,宮城周四五里,少有居人。
吠舎厘国は周囲五千余里である。土地は肥えて、花と果実が盛んに茂り、庵没羅の実と茂遮の実が多く、また貴ばれている。気候は和やかにのびやかで、風俗は淳朴で質素であり、福を好み学を重んじ、邪なものと正しいものを混ぜて信じている。寺は数百あるが多くはすでに崩れ壊れ、残っているものは三つ五つで、僧はまれで少ない。天神をまつる祠が数十あり、外道が入りまじって住んでいるが、身をあらわにする徒の党がまことに盛んである。吠舎厘城はすでにひどく傾き崩れており、その古い基址は周囲六、七十里、宮城は周囲四、五里で、住む人は少ない。
2宝の蓋を献じた所
宮城西北五六里,至一伽藍,僧徒寡少,習學小乘正量部理論。傍有窣堵波,是昔如來說《毗摩羅詰經》,長者子寶積等獻寶蓋處。其東有窣堵波,舍利子等於此證無學之果。
宮城の西北五、六里のところに寺が一つあり、僧は少なく、小乗正量部の理論を学び習っている。傍らに塔があり、これは昔、如来が『毗摩羅詰経』を説かれ、長者の子の宝積たちが宝の蓋を献じた所である。その東に塔があり、舎利子たちがここで無学の果を証した所である。
3舎利を九斗取った所
舍利子證果東南有窣堵波,是吠舍厘王之所建也。佛涅槃後,此國先王分得舍利,式修崇建。《印度記》曰:「此中舊有如來舍利一斛,無憂王開取九斗,惟留一斗。後有國王復欲開取,方事興工,尋即地震,遂不敢開。
舎利子が果を証した所の東南に塔があり、これは吠舎厘王が建てたものである。仏が涅槃された後、この国の先の王が舎利を分け得て、法式のとおりに崇めて建てた。『印度記』に言う。「この中に昔は如来の舎利が一斛あったが、無憂王が開いて九斗を取り、ただ一斗だけを留めた。後にある国の王がふたたび開いて取ろうとして、まさに工事を起こしたとき、たちまち地が震えたので、ついに開けなかった。」
4猿が掘った池
其西北有窣堵波,無憂王之所建也。傍有石柱,高五六十尺,上作師子之像。石柱南有池,是群獼猴為佛穿也,在昔如來曾住於此。池西不遠有窣堵波,諸獼猴持如來缽上樹取蜜之處。池南不遠有窣堵波,是諸獼猴奉佛蜜處。池西北隅猶有獼猴形像。
その西北に塔があり、無憂王が建てたものである。傍らに石の柱があって、高さは五、六十尺、上に師子の像を造っている。石の柱の南に池があり、これは猿の群れが仏のために掘ったもので、昔、如来がかつてここにとどまられた。池の西の遠くないところに塔があり、猿たちが如来の鉢を持って樹に登り、蜜を採った所である。池の南の遠くないところに塔があり、猿たちが仏に蜜を奉った所である。池の西北の隅には、今も猿の姿と像がある。
5毗摩羅詰の古い宅
伽藍東北三四里有窣堵波,是毗摩羅詰故宅基趾,多有靈異。去此不遠有一神舍,其狀疊磚,傳云積石,即無垢稱長者現疾說法之處。去此不遠有窣堵波,長者子寶積之故宅也。去此不遠有窣堵波,是庵沒羅女故宅,佛姨母等諸苾芻尼於此證入涅槃。
寺の東北三、四里に塔があり、これは毗摩羅詰の古い宅の基址で、霊しき不思議が多い。ここから遠くないところに神しき舎が一つあり、その形は煉瓦を重ねたようであるが、伝えでは石を積んだものという。すなわち無垢称長者が病を現して法を説いた所である。ここから遠くないところに塔があり、長者の子の宝積の古い宅である。ここから遠くないところに塔があり、これは庵没羅女の古い宅で、仏の姨母たち、比丘尼たちがここで涅槃に入り証した所である。
夾注 1
唐言無垢稱,舊曰凈名,然凈則無垢,名則是稱,義雖取同,名乃有異。舊曰維摩詰,訛略也。
唐の言葉では無垢称である。旧くは浄名といったが、浄はすなわち垢がないという意味であり、名はすなわち称えることであるから、義は同じに取っていても、名は異なっている。旧くは維摩詰といったが、誤って略したものである。
6最後に吠舎厘城を観られた所
伽藍北三四里有窣堵波,是如來將往拘屍那國入般涅槃,人與非人隨從世尊,至此佇立。次西北不遠有窣堵波,是佛於此最後觀吠舍厘城。其南不遠有精舍,前建窣堵波,是庵沒羅女園持以施佛。
寺の北三、四里に塔があり、これは如来がまさに拘屍那国へ行って般涅槃に入られようとしたとき、人と人でないものが世尊に随い従い、ここに立ちつくした所である。次に西北の遠くないところに塔があり、これは仏がここで最後に吠舎厘城を観られた所である。その南の遠くないところに精舎があり、前に塔を建てている。これは庵没羅女が園を持って仏に施した所である。
7涅槃の時を告げられた所
庵沒羅園側有窣堵波,是如來告涅槃處。佛昔在此告阿難曰:「其得四神足者,能住壽一劫。如來今者,當壽幾何?」如是再三,阿難不對,天魔迷惑故也。阿難從坐而起,林中宴默。時魔來請佛曰:「如來在世教化已久,蒙濟流轉,數如塵沙,寂滅之樂今其時矣。」世尊以少土置爪上,而告魔曰:「地土多耶?爪土多耶?」對曰:「地土多也。」佛言:「所度者如爪上土,未度者如大地土。卻後三月,吾當涅槃。」魔聞歡喜而退。阿難林中忽感異夢,來白佛言:「我在林間,夢見大樹,枝葉茂盛,蔭影蒙密,驚風忽起,摧散無餘。將非世尊欲入寂滅?我心懷懼,故來請問。」佛告阿難:「吾先告汝,汝為魔蔽,不時請留。魔王勸我早入涅槃,已許之期,斯夢是也。」
庵没羅の園の傍らに塔があり、これは如来が涅槃を告げられた所である。仏は昔ここで阿難に言われた。「四つの神足を得た者は、寿命を一劫のあいだ留めることができる。如来は今、どれほど寿を保つべきであろうか。」こう再三言われたが、阿難は答えなかった。天の魔が惑わしたからである。阿難は座から起って林の中で静かに黙っていた。そのとき魔が来て仏に請うた。「如来が世にあって教化されることすでに久しく、救いを蒙って流転を出た者は塵や砂のように数多い。寂滅の楽しみは、今がその時です。」世尊は少しの土を爪の上に置いて、魔に告げられた。「地の土が多いか、爪の土が多いか。」答えた。「地の土が多いです。」仏は言われた。「救い度した者は爪の上の土のようであり、まだ度していない者は大地の土のようである。この後三か月して、私は涅槃するであろう。」魔は聞いて喜んで退いた。阿難は林の中でふと異しい夢に感じ、来て仏に申し上げた。「私は林の間にいて、夢に大きな樹を見ました。枝と葉は盛んに茂り、陰は濃く密であったのに、驚くような風がふと起こって、砕き散らして何も残りませんでした。世尊が寂滅に入ろうとされるのではないでしょうか。私の心は懼れを懐き、それで参ってお尋ねするのです。」仏は阿難に告げられた。「私は先にお前に告げたが、お前は魔に覆われて、時を得て留まることを請わなかった。魔王が私に早く涅槃に入ることを勧め、すでに許した期がある。この夢がそれである。」
8千人の子が父母に会った所
告涅槃期側不遠有窣堵波,千子見父母處也。昔有仙人,隱居巖谷,仲春之月,鼓濯清流,麀鹿隨飲,感生女子,姿貌過人,惟腳似鹿。仙人見已,收而養焉。其後命令求火,至餘仙廬,足所履地,跡有蓮花。彼仙見已,深以奇之,令其繞廬,方乃得火。鹿女依命,得火而還。時梵豫王畋遊見花,尋跡以求,悅其奇怪,同載而返。相師占言,當生千子。餘婦聞之,莫不圖計。日月既滿,生一蓮花,花有千葉,葉坐一子。餘婦誣罔,咸稱不祥,投殑伽河,隨波泛濫。烏耆延王下流遊觀,見黃雲蓋乘波而來,取以開視,及有千子,乳養成立,有大力焉。恃有千子,拓境四方,兵威乘勝,將次此國。時梵豫王聞之,甚懷震懼,兵力不敵,計無所出。是時鹿女心知其子,乃謂王曰:「今寇戎臨境,上下離心,賤妾愚忠,能敗強敵。」王未之信也,憂懼良深。鹿女乃升城樓,以待寇至。千子將兵,圍城已匝,鹿女告曰:「莫為逆事!我是汝母,汝是我子。」千子謂曰:「何言之謬?」鹿女手按兩乳,流註千岐,天性所感,咸入其口。於是解甲歸宗,釋兵返族,兩國交歡,百姓安樂。
涅槃の期を告げられた所の傍らの遠くないところに塔があり、千人の子が父母に会った所である。昔、ある仙人が巌の谷に隠れ住んでいたが、仲春の月に清い流れで身を濯いだところ、牝鹿が従って飲み、感じて女の子を生んだ。姿も容貌も人に勝れていたが、ただ脚だけが鹿のようであった。仙人はそれを見て、収めて養った。その後、火を求めて来るように命じ、別の仙人の庵に至ったが、足が履んだ地には跡に蓮華が咲いた。その仙人はそれを見て深く珍しく思い、庵をめぐらせてから、ようやく火を得させた。鹿の女は命のとおりにし、火を得て帰った。そのとき梵豫王が狩りに遊んで花を見、跡を尋ねて求め、その珍しさを喜んで、ともに車に載せて帰った。相を見る者が占って言った。「必ず千人の子を生むでしょう。」他の妃たちはそれを聞いて、計を図らない者はなかった。月が満ちると、一つの蓮華を生んだ。華には千の葉があり、葉ごとに一人の子が座っていた。他の妃たちは偽り誣いて、みな祥しくないと称し、殑伽河に投じたので、波に従って流れ漂った。烏耆延王が下流で遊び観ていて、黄い雲の蓋が波に乗って来るのを見、取って開いて見ると、千人の子があった。乳で養って育て上げると、大きな力があった。千人の子があることを恃んで四方に境を広げ、兵の威は勝ちに乗じて、まさにこの国に及ぼうとした。そのとき梵豫王はそれを聞いてたいへん震え懼れたが、兵の力は敵せず、計の出るところがなかった。このとき鹿の女は心にそれが自分の子であることを知り、王に言った。「いま寇の軍が境に臨み、上下の心は離れておりますが、賤しい妾の愚かな忠によって、強い敵を敗ることができます。」王はそれを信じず、憂いと懼れはまことに深かった。鹿の女はそこで城の楼に登って、寇の至るのを待った。千人の子が兵を率いて城を囲み終えると、鹿の女は告げて言った。「逆らう事をするな。私はお前たちの母であり、お前たちは私の子である。」千人の子は言った。「何という誤った言葉か。」鹿の女が手で両の乳を按えると、流れて千の筋に注ぎ、天の性の感じるところであるから、みなその口に入った。そこで甲を解いて宗に帰り、兵を釈いて族に返り、二つの国は交わり歓び、民は安らかに楽しんだ。
9前の生を説かれた所
千子歸宗側不遠有窣堵波,是如來經行舊跡,指告從曰:「昔吾於此歸宗見親。欲知千子,即賢劫中千佛是也。」
千人の子が宗に帰った所の傍らの遠くないところに塔があり、これは如来が経行された旧い跡である。従う者に指さして告げられた。「昔、私はここで宗に帰り、親に会った。千人の子を知りたいか。すなわち賢劫の中の千仏がこれである。」
10普門陀羅尼を説かれた講堂
述本生東有故基,上建窣堵波,光明時燭,祈請或遂,是如來說《普門陁羅尼》等經重閣講堂餘址也。
前の生を述べられた所の東に古い基があり、上に塔を建てている。明るい光がときに照り、祈り請うと叶うこともある。これは如来が『普門陀羅尼』などの経を説かれた重なった閣の講堂の、残った址である。
11阿難の半身の舎利
講堂側不遠有窣堵波,中有阿難半身舍利。去此不過有數百窣堵波,欲定其數,未有克知,是千獨覺入寂滅處。
講堂の傍らの遠くないところに塔があり、中に阿難の半身の舎利がある。ここから遠くないところに数百の塔があって、その数を定めようとしても、はっきりと知ることができない。これは千人の独覚が寂滅に入った所である。
12城の内外の聖なる跡
吠舍厘城內外周隍,聖跡繁多,難以具舉。形勝故墟,魚鱗間峙,歲月驟改,炎涼亟移,林既摧殘,池亦枯涸,朽株餘跡,其詳驗焉。
吠舎厘城の内外、周りの濠には、聖なる跡が繁く多くて、ことごとく挙げることは難しい。形勢の勝れた古い址が魚の鱗のように間を置いてそびえているが、歳月は急に変わり、暑さと涼しさがしきりに移って、林はすでに砕け損じ、池もまた枯れ涸れた。朽ちた株と残った跡によって、その詳しいさまを験すばかりである。
13栗呫婆の子らと別れられた所
大城西北行五六十里,至大窣堵波,栗呫婆子別如來處。如來自吠舍厘城趣拘屍那國,諸栗呫婆子聞佛將入寂滅,相從號送。世尊既見哀慕,非言可諭,即以神力化作大河,崖岸深絕,波流迅急,諸栗呫婆子悲慟以止,如來留缽,作為追念。
大きな城から西北へ五、六十里行くと大きな塔に至り、栗呫婆の子らが如来と別れた所である。如来が吠舎厘城から拘屍那国へ向かわれると、栗呫婆の子らは仏がまさに寂滅に入られようとしていると聞いて、連れ立って号きながら送った。世尊はその哀しみ慕うさまを見て、言葉で諭せるものではないので、すぐに神しき力で大きな河を化作し、崖と岸を深く絶たせ、波の流れを速く急にされたので、栗呫婆の子らは悲しみ慟いて止まった。如来は鉢を留めて、後の思い出とされた。
夾注 2
昌葉反。
昌と葉の反切で読む。
舊曰離車子,訛也。
旧くは離車子といったが、誤りである。
14摩訶提婆 — 国を捨てた転輪王
吠舍厘城西北減二百里,有故城,荒蕪歲久,居人曠少。中有窣堵波,是佛在昔為諸菩薩、人、天大眾引說本生,修菩薩行,曾於此城為轉輪王,號曰摩訶提婆。有七寶應,王四天下,睹衰變之相,體無常之理,冥懷高蹈,忘情大位,舍國出家,染衣修學。
吠舎厘城の西北、二百里に少し足らないところに古い城があり、荒れ果てて年久しく、住む人はきわめて少ない。その中に塔があり、これは仏が昔、菩薩たちや人と天の大勢の衆のために前の生を引いて説かれた所である。菩薩の行を修められたとき、かつてこの城で転輪王となり、摩訶提婆と号された。七つの宝の応えがあって四つの天下に王となったが、衰え変わる相を見、無常の理を体して、心のうちに高く踏み越えることを懐き、大きな位に情を忘れ、国を捨てて出家し、染めた衣をまとって学を修められた。
夾注 1
唐言大天。
唐の言葉では大天である。
15七百人の賢聖が重ねて結集した所
城東南行十四五里,至大窣堵波,是七百賢聖重結集處。佛涅槃後百一十年,吠舍厘城有諸苾芻,遠離佛法,謬行戒律。時長老耶舍陁住憍薩羅國,長老三菩伽住秣菟羅國,長老厘波多住韓若國,長老沙羅住吠舍厘國,長老富阇蘇彌羅住波羅梨弗國。諸大羅漢心得自在,持三藏,得三明,有大名稱,眾所知識,皆是尊者阿難弟子。時耶舍陁遣使告諸賢聖,皆可集吠舍厘城。猶少一人,未滿七百。是時富阇蘇彌羅以天眼見諸大賢聖集議法事,運神足至法會。時三菩伽於大眾中右袒長跪,揚言曰:「眾無嘩!欽哉,念哉!昔大聖法王善權寂滅,歲月雖淹,言教尚在。吠舍厘城懈怠苾芻謬於戒律,有十事出,違十力教。今諸賢者深明持犯,懼承大德阿難指誨,念報佛恩,重宣聖旨。」時彼大眾莫不悲感,即召集諸苾芻,依毗奈耶,訶責制止,削除謬法,宣明聖教。
城から東南へ十四、五里行くと大きな塔に至り、これは七百人の賢聖が重ねて結集した所である。仏が涅槃された後百十年、吠舎厘城に比丘たちがいて、仏法から遠く離れ、戒律を誤って行っていた。そのとき長老耶舎陀は憍薩羅国に住み、長老三菩伽は秣菟羅国に住み、長老厘波多は韓若国に住み、長老沙羅は吠舎厘国に住み、長老富闍蘇彌羅は波羅梨弗国に住んでいた。これらの大羅漢は心に自在を得て三蔵を持ち、三明を得て大きな名声があり、人々のよく知るところであって、みな尊者阿難の弟子であった。そのとき耶舎陀は使いを遣わして賢聖たちに告げ、みな吠舎厘城に集まれるようにした。それでもなお一人足らず、七百に満たなかった。このとき富闍蘇彌羅は天眼で大賢聖たちが法の事を集まり議しているのを見、神足を運んで法会に至った。そのとき三菩伽は大衆の中で右の肩をあらわにして長く跪き、声を揚げて言った。「衆よ、騒ぐな。欽しめ、念え。昔、大いなる聖の法王が善き権りをもって寂滅されてから、歳月は経ったけれども、言葉と教えはなお在る。吠舎厘城の懈怠な比丘が戒律を誤り、十の事が出た。十力の教えに違ったのである。いま賢者たちは持つことと犯すことを深く明らかにしているのだから、畏れ慎んで大徳阿難の指し示された誨えを承け、仏の恩に報いることを念い、聖なる旨をふたたび宣べよ。」そのとき大衆は悲しみ感じない者はなく、すぐに比丘たちを召し集め、毗奈耶に依って訶り責めて制し止め、誤った法を削り除き、聖なる教えを宣べ明らかにした。
16湿吠多補羅の寺
七百賢聖結集南行八九十里,至濕吠多補羅僧伽藍,層臺輪煥,重閣翚飛,僧眾清肅,並學大乘。其傍則有過去四佛坐及經行遺跡之處。其側窣堵波,無憂王之所建也。如來在昔南趣摩揭陁國,北顧吠舍厘城,中途止息遺跡之處。
七百人の賢聖が結集した所から南へ八、九十里行くと、湿吠多補羅の僧伽藍に至る。層をなす台は大きく明るく、重なった閣は雉が飛ぶようであり、僧たちは清く厳かで、みな大乗を学んでいる。その傍らには、過去の四仏が座られ、また経行された跡の残る所がある。その傍らの塔は、無憂王が建てたものである。如来が昔、南へ摩揭陀国に向かわれるとき、北に吠舎厘城を顧みて、途中で休まれた跡の残る所である。
17阿難が身を二つに分けた所
濕吠多補羅伽藍東南行三十餘里,殑伽河南北岸各有一窣堵波,是尊者阿難陁分身與二國處。阿難陁者,如來之從父弟也,多聞總持,博物強識,佛去世後斷大迦葉任持正法,導進學人。在摩揭陁國,於林中經行,見一沙彌諷誦佛經,章句錯謬,文字紛亂。阿難聞已,感慕增懷,徐詣其所,提撕指授。沙彌笑曰:「大德耄矣,所言謬矣!我師高明,春秋鼎盛,親承示誨,誠無所誤。」阿難默然,退而嘆曰:「我年雖邁,為諸眾生,欲久住世,住持正法。然眾生垢重,難以誨語,久留無利,可速滅度。」於是去摩揭陁國,趣吠舍厘城,渡殑伽河,泛舟中流。摩揭陁王聞阿難去,情深戀德,即嚴戎駕,疾馳追請,數百千眾營軍南岸。吠舍厘王聞阿難來,悲喜盈心,亦治軍旅,奔馳迎候,數百千眾屯集北岸。兩軍相對,旌旗翳日。阿難恐鬥其兵,更相殺害,從舟中起,上升虛空,示現神變,即入寂滅,化火焚骸,骸又中析,一墮南岸,一墮北岸。於是二王各得一分,舉軍號慟,俱還本國,起窣堵波,而修供養。
湿吠多補羅の寺から東南へ三十余里行くと、殑伽河の南と北の岸にそれぞれ塔が一つあり、これは尊者阿難陀が身を分けて二つの国に与えた所である。阿難陀は如来の従父の弟である。多く聞いてすべてを持ち、物を広く知り記憶が強く、仏が世を去られた後は大迦葉の後を継いで正しい法を任じ持ち、学ぶ人を導き進めた。摩揭陀国にいて林の中を経行していたとき、一人の沙弥が仏の経を誦えているのを見たが、章句が誤り、文字が乱れていた。阿難は聞いて慕う思いを増し、ゆるやかにその所へ行って、注意を促して指し教えた。沙弥は笑って言った。「大徳は老いられました。言われることは誤りです。私の師は高く明らかで、年は盛りであり、親しく教えを承けておられるので、まことに誤るところはありません。」阿難は黙っていたが、退いて嘆いた。「私は年は老いたが、生きとしいけるもののために久しく世に留まって、正しい法を住持しようと思っていた。しかし生きとしいけるものの垢は重く、誨え語ることが難しい。久しく留まっても利がない。速やかに滅度するのがよい。」そこで摩揭陀国を去って吠舎厘城に向かい、殑伽河を渡ろうとして舟を流れの中に浮かべた。摩揭陀王は阿難が去ったと聞き、情が深くその徳を慕って、すぐに軍と車を整え、急ぎ馳せて追い請うたので、数百、数千の衆が南の岸に軍を営んだ。吠舎厘王は阿難が来ると聞き、悲しみと喜びが心に満ちて、やはり軍旅を整え、走り馳せて迎えたので、数百、数千の衆が北の岸に屯し集まった。二つの軍が向かい合い、旗が日を覆った。阿難はその兵が闘って互いに殺し害することを懼れ、舟の中から起って虚空に上り、神しき変化を示し現して、すぐに寂滅に入り、火に化して骸を焼いたが、骸はまた中ほどで割れ、一つは南の岸に落ち、一つは北の岸に落ちた。そこで二人の王はそれぞれ一つを得、軍を挙げて号き慟き、ともに本国に還って塔を建て、供養を修めた。
從此東北行五百餘里,至弗栗恃國。
ここから東北へ五百余里行くと、弗栗恃国に至る。
夾注 1
北人謂三伐恃國,北印度境。
北の人は三伐恃国という。北印度の境である。