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羯朱嗢祇羅国羯朱嗢祇羅國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 2 · 漢字 188字 · 朗読 0.8分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第10巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

羯朱嗢祇羅國周二千餘里。土地泉濕,稼穡豐盛。氣序溫,風俗順。敦尚高才,崇貴學藝。伽藍六七所,僧徒三百餘人。天祠十所,異道雜居。自數百年王族絕嗣,役屬鄰國,所以城郭丘墟,多居村邑。故戒日王遊東印度,於此築宮,理諸國務。至則葺茅為宇,去則縱火焚燒。國南境多野象。北境去殑伽河不遠,有大高臺,積壘磚石而以建焉,基址廣峙,刻雕奇制,周其方面鏤眾聖像,佛及開形區別而作。

羯朱嗢祇羅国は周囲二千余里である。土地には泉が多くて湿っており、植えて収めるものが豊かで盛んである。気候は温かく、風俗は穏やかである。高い才能を篤く尊び、学問と技芸を貴び重んじる。伽藍は六、七ヶ所、僧徒は三百余人である。天の祠は十ヶ所あり、異道の者が入り混じって住んでいる。数百年前から王族の血筋が絶えて隣国に従属しているので、城郭は丘や廃墟となり、村里に住む者が多い。そのため戒日王が東インドを巡ったとき、ここに宮を築いて諸国の政務を執った。来れば茅を葺いて家とし、去れば火を放って焼いた。国の南の境には野象が多い。北の境、殑伽河から遠くないところに大きく高い台があり、煉瓦と石を積み重ねて建てたものである。基礎は広くそびえ、彫りは奇抜な造りで、その四面を巡って多くの聖者の像を刻み、仏とそれ以外の姿を区別して造っている。

自此東渡殑伽河,行六百餘里,至奔那伐彈那國。

ここから東へ殑伽河を渡り、六百余里行くと奔那伐彈那国に至る。

夾注 1

中印度境。

中インドの境である。