迦摩縷波国迦摩縷波國
迦摩縷波國周萬餘里,國大都城周三十餘里。土地泉濕,稼穡時播。般娑果、那羅雞羅果,其樹雖多,彌復珍貴。河流湖陂,交帶城邑。氣序和暢,風俗淳質。人形卑小。容貌黧黑。語言少異中印度。性甚獷暴,志存強學,宗事天神,不信佛法。故自佛興以迄於今,尚未建立伽藍,招集僧侶。其有凈信之徒,但竊念而已。天祠數百,異道數萬。
迦摩縷波国は周囲一万余里である。国の大都城は周囲三十余里である。土地は泉が多くて湿っており、植えて収めることを時に合わせて行う。般娑の実と那羅鷄羅の実は、その木が多いとはいえ、いよいよ珍しく貴ばれる。河の流れと湖や池が、城や里に帯のように入り交じっている。気候は和らいで伸びやかで、風俗は純朴で質素である。人の姿は小さく低く、顔色は黒い。言葉は中インドと少し異なる。性質はきわめて荒く激しいが、志は励んで学ぶことにある。天の神を宗として事え、仏法を信じない。そのため仏が興られてから今に至るまで、まだ伽藍を建てて僧侶を招き集めたことがない。清く信じる者がいても、ひそかに念じるだけである。天の祠は数百、異道の者は数万である。
2拘摩羅王が招いた唐の沙門
今王本那羅延天之祚胤,婆羅門之種也,字婆塞羯羅伐摩,號拘摩羅。自據疆土,奕葉君臨,逮於今王,歷千世矣。君上好學,眾庶從化,遠方高才,慕義客遊。雖不淳信佛法,然敬高學沙門。初,聞有至那國沙門在摩揭陁那爛陁僧伽藍,自遠方來,學佛深法,殷勤往復者再三,未從來命。時屍羅跋陁羅論師曰:「欲報佛恩,當弘正法,子其行矣,勿憚遠涉。拘摩羅王世宗外道,今請沙門,斯善事也。因茲改轍,福利弘遠。子昔起廣大心,發弘誓願,孤遊異域,遺身求法,普濟含靈,豈徒鄉國?宜忘得喪,勿拘榮辱,宣揚聖教,開導群迷,先物後身,忘名弘法。」於是辭不獲免,遂與使偕行,而會見焉。拘摩羅王曰:「雖則不才,常慕高學,聞名雅尚,敢事延請。」曰:「寡能褊智,猥蒙流聽。」拘摩羅王曰:「善哉!慕法好學,顧身若浮,逾越重險,遠遊異域。斯則王化所由,國風尚學。今印度諸國多有歌頌摩訶至那國《秦王破陣樂》者,聞之久矣,豈大德之鄉國耶?」曰:「然。此歌者,美我君之德也。」拘摩羅王曰:「不意大德是此國人,常慕風化,東望已久,山川道阻,無由自致。」曰:「我大君聖德遠洽,仁化遐被,殊俗異域拜闕稱臣者眾矣。」拘摩羅王曰:「覆載若斯,心冀朝貢。今戒日王在羯朱嗢祇羅國,將設大施,崇樹福慧,五印度沙門、婆羅門有學業者,莫不召集。今遣使來請,願與同行。」於是遂往焉。
今の王はもともと那羅延天の血筋を継ぐ者で、婆羅門の種である。名は婆塞羯羅伐摩、号は拘摩羅である。自ら土地を占めてから代々君臨し、今の王に至るまで千代を経ている。君主が学問を好むので民衆も教化に従い、遠い地方の高い才のある者が、その志を慕って客として訪れる。仏法を純粋に信じてはいないが、学の高い沙門は敬っている。はじめ、至那国の沙門が摩揭陀の那爛陀の伽藍にいて、遠い地方から来て仏の深い法を学んでいると聞き、ねんごろに二度三度と使いを往き返らせたが、その招きに従わなかった。そのとき屍羅跋陀羅論師が言った。「仏の恩に報いようとするなら、まさに正しい法を広めなければならない。おまえは行きなさい。遠く渡ることをいやがってはならない。拘摩羅王は代々外道を宗としてきたが、今沙門を請うている。これはよい事である。これによって道を改めれば、福と利は広く遠くまで及ぶだろう。おまえが昔、広く大きな心を起こし、大きな誓願を立てて、ひとり異国に遊び、身を捨てて法を求めたのは、あまねく生きものを済うためであって、どうして故郷の国だけのためであったか。得と失を忘れ、栄えと恥に縛られず、聖なる教えを宣べ揚げて、迷う者たちを開き導きなさい。他を先にして身を後にし、名を忘れて法を広めなさい。」そこで辞退しても免れられず、ついに使いとともに行って、会い見ることになった。拘摩羅王が言った。「才のない者ではありますが、つねに高い学を慕っており、お名前を聞いて雅やかなものと尊び、あえてお招きいたしました。」答えて言った。「能は少なく智は狭いのに、おそれ多くもお耳に入れていただきました。」拘摩羅王が言った。「立派なことです。法を慕い学を好み、身を浮いたもののように顧み、重なる険しさを越えて遠く異国に遊ばれる。これはすなわち王の教化のよるところであり、国の風が学を尊んでいるからです。今インドの諸国には摩訶至那国の『秦王破陣楽』を歌う者が多く、聞いてから久しくなりますが、どうして大徳の故郷の国でないことがありましょう。」答えて言った。「そのとおりです。この歌は我が君の徳を讃えたものです。」拘摩羅王が言った。「思いがけず大徳はこの国の人でしたか。つねにその風と教化を慕い、東を望んでから久しくなりますが、山と川が道を阻んで、自ら至る手だてがありませんでした。」答えて言った。「我が大君の聖なる徳は遠くまで行きわたり、仁の教化は遥かに及んで、異なる習わしの別の地域から、宮門に拝して臣と称する者が多くあります。」拘摩羅王が言った。「覆い載せることがそのようであれば、心から朝貢したいと思います。今、戒日王が羯朱嗢祇羅国にあって、まさに大きな施しを設け、福と慧を高く樹てようとして、五インドの沙門と婆羅門のうち学んだ業のある者を、召し集めない者はありません。今、使いを遣わして請うていますので、どうかご一緒に参りましょう。」そこでついに赴いた。
夾注 2
唐言日胄。
唐の言葉では日胄である。
唐言童子。
唐の言葉では童子である。
3蜀の西南の境と接するところ
此國東山阜連接,無大國都,境接西南夷,故其人類蠻獠矣。詳問土俗,可二月行,入蜀西南之境。然山川險阻,嶂氣氛沴,毒蛇毒草,為害滋甚。國之東南野象群暴,故此國中象軍特盛。
この国の東は山と丘が連なって大国の都がなく、境は西南の夷と接しているので、その人々は蠻獠と同類である。その地の習わしを詳しく問うと、二ヶ月ほど行けば蜀の西南の境に入るという。しかし山と川が険しく阻み、山の瘴気が立ちこめ、毒蛇と毒草が害をなすことがきわめて甚だしい。国の東南には野象が群れて荒れるので、この国では象の軍がとりわけ盛んである。
從此南行千二三百里,至三摩呾咤國。
ここから南へ千二、三百里行くと三摩呾咤国に至る。
夾注 1
東印度境。
東インドの境である。