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波剌斯国波剌斯國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 5 · 漢字 330字 · 朗読 1.3分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第11巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

波剌斯國周數萬里,國大都城號蘇剌薩儻那,周四十餘里。川土既多,氣序亦異,大抵溫也。引水為田,人戶富饒。出金、銀、鍮石、頗胝、水精、奇珍異寶,工織大錦、細褐、氍毹之類,多善馬、橐駝。貨用大銀錢。人性躁暴,俗無禮義。文字、語言異於諸國,無學藝,多工技,凡諸造作,鄰境所重。婚姻雜亂,死多棄屍。其形偉大,齊髮露頭,衣皮褐,服錦氎。戶課賦稅,人四銀錢。天祠甚多,提那跋外道之徒為所宗也。伽藍二三,僧徒數百,並學小乘教說一切有部法。釋伽佛缽在此王宮。

波剌斯国は周り数万里である。国の大都城は蘇剌薩儻那と号し、周り四十余里である。川も土も多いので、気候もまた異なるが、おおむね温かい。水を引いて田とし、人の戸は富み饒かである。金・銀・鍮石・頗胝・水精、奇しい珍しいものや異なる宝が出て、大錦・細褐・氍毹の類を織るのに工みであり、善い馬や橐駝が多い。貨には大きな銀錢を用いる。人の性は躁がしく暴しく、俗に礼も義もない。文字も言葉も諸々の国と異なり、学も芸もないが、工みの技が多く、およそ諸々の造り作るものは、隣の境で重んじられる。婚姻は雑じり乱れ、死ねば多くは屍を棄てる。その形は偉く大きく、髪を齊えて頭を露わにし、皮や褐を衣て、錦や氎を服する。戸に賦も税も課され、人ごとに銀錢四つである。天祠はきわめて多く、提那跋外道の徒が宗とするところである。伽藍は二つ三つ、僧徒は数百人で、みな小乗の教え、説一切有部の法を学ぶ。釈伽仏の缽がこの王の宮にある。

2鶴秣城

國東境有鶴秣城,內城不廣,外郭周六十餘里。居人眾,家產富。

国の東の境に鶴秣城がある。内の城は広くないが、外の郭は周り六十余里である。居る人は衆く、家の産は富んでいる。

3拂懍国

西北接拂懍國,境壤風俗,同波剌斯。形貌語言,稍有乖異,多珍寶,亦福饒也。

西北は拂懍国に接していて、境も壌も風俗も、波剌斯と同じである。形も貌も言葉も、やや乖き異なるところがあるが、珍しい宝が多く、やはり福も饒かである。

4西女国

拂懍國西南海島有西女國,皆是女人,略無男子。多諸珍寶貨,附拂懍國,故拂懍王歲遣丈夫配焉,其俗產男皆不舉也。

拂懍国の西南の海の島に西女国がある。みな女人で、ほとんど男子がない。諸々の珍しい宝や貨が多く、拂懍国に附いているので、拂懍の王が年ごとに丈夫を遣わして配らせる。その俗では、男を産んでもみな挙げない。

自阿點婆翅羅國北行七百餘里,至臂多勢羅國。

阿點婆翅羅国から北へ七百余里行くと、臂多勢羅国に至る。

夾注 1

西印度境。

西インドの境である。