いにしえの文 › 大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) › 第11巻

臂多勢羅国臂多勢羅國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 4 · 漢字 220字 · 朗読 0.9分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第11巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

臂多勢羅國周三千餘里,國大都城周二十餘里。居人殷盛,無大君長,役屬信度國。土地沙鹵,寒風淒勁。多宿麥,少花果。而風俗獷暴,語異中印度。不好藝學,然知淳信。伽藍五十餘所,僧徒三千餘人,並學小乘正量部法。天祠二十餘所,並塗灰外道也。

臂多勢羅国は周り三千余里である。国の大都城は周り二十余里である。居る人は殷んに盛んで、大きな君長がなく、信度国に役われ属している。土地は沙く鹵く、寒い風が淒しく勁い。宿麦が多く、花も果も少ない。しかも風俗は獷しく暴しく、言葉は中インドと異なる。芸も学も好まないが、淳く信じることは知っている。伽藍は五十余ヶ所、僧徒は三千余人で、みな小乗正量部の法を学ぶ。天祠は二十余ヶ所、いずれも灰を塗る外道である。

2仙人が王に害された処

城北十五里大林中,有窣堵波,高數百尺,無憂王所建也。中有舍利,時放光明。是如來昔作仙人,為國王所害之處。

城の北十五里の大きな林の中に、窣堵波があり、高さは数百尺で、無憂王が建てたものである。中に舍利があり、ときおり光明を放つ。これは如来が昔、仙人であったとき、国の王に害された処である。

3大迦多延那が建てた伽藍

此東不遠有故伽藍,是昔大迦多延那大阿羅漢之所建立。其傍則有過去四佛座及經行遺跡之處,建窣堵波以為旌表。

この東、遠くないところに故い伽藍があり、これは昔、大迦多延那大阿羅漢が建て立てたものである。その傍らには過去の四仏が坐し、経行された遺跡の処があり、窣堵波を建てて旌の表としている。

從此東北行三百餘里,至阿軬荼國。

ここから東北へ三百余里行くと、阿軬荼国に至る。

夾注 1

西印度境。

西インドの境である。