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達摩悉鉄帝国達摩悉鐵帝國

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 大唐西域記 · 玄奘 著 · 辯機 編 · 646年(唐・貞観20年) · 段落 4 · 漢字 668字 · 朗読 2.7分

大唐西域記(大唐の西域をめぐる記) 第12巻 玄奘が十七年のあいだ西域とインドの百三十八か国を踏んで帰り、唐の太宗に奉った記録。西遊記のもとになった書だが、ここにあるのは妖怪ではなく、国ごとの広さと気候と言葉と信仰である。法顕より二百年後、慧超より八十年前の道である。

達摩悉鐵帝國在兩山間,睹貨邏國故地也,東西千五六百里,南北廣四五里,狹則不逾一里。臨縛芻河,盤紆曲折,堆阜高下,沙石流漫,寒風淒烈。唯植麥豆,少樹林,乏花果。多出善馬,馬形雖小,而耐馳涉。俗無禮義,人性獷暴。形貌鄙陋,衣服氈褐。眼多碧綠,異於諸國。伽藍十餘所、僧徒寡少。

達摩悉鉄帝国は両山の間にあり、睹貨邏国の故地である。東西千五、六百里、南北は広いところで四、五里、狭いところは一里を越えない。縛芻河に臨み、盤り紆り曲折し、堆や阜が高く低く、沙と石が流れ漫り、寒い風が淒しく烈しい。ただ麦と豆だけを植え、樹林は少なく、花と果に乏しい。善い馬が多く出るが、馬の形は小さいけれども、馳せ渉るのに耐える。風俗に礼義がなく、人の性質は獷く暴しい。形貌は鄙しく陋しく、衣服は氈と褐である。眼は多く碧緑で、諸国と異なっている。伽藍は十余ヶ所、僧徒は寡ない。

2王が神の祠を毀して伽藍を建てた由来

昏馱多城,國之都也。中有伽藍,此國先王之所建立,疏崖奠谷,式建堂宇。此國之先,未被佛教,但事邪神,數百年前,肇弘法化。初,此國王愛子嬰疾,徒究醫術,有加無瘳。王乃躬往天祠,禮請求救。時彼祠主為神下語:「必當痊復,良無他慮。」王聞喜慰,回駕而歸。路逢沙門,容止可觀,駭其形服,問所從至。此沙門者,已證聖果,欲弘佛法,故此儀形。而報王曰:「我,如來弟子,所謂苾芻也。」王既憂心,即先問曰:「我子嬰疾,生死未分。」沙門曰:「王先靈可起,愛子難濟。」王曰:「天神謂其不死,沙門言其當終,詭俗之人,言何可信?」遲至宮中,愛子已死。匿不發喪,更問神主,猶曰:「不死,疹疾當瘳。」王便發怒,縛神主而數曰:「汝曹群居長惡,妄行威福。我子已死,尚云當瘳,此而謬惑,孰不可忍?宜戮神主,殄滅靈廟。」於是殺神主,除神像,投縛芻河。回駕而還,又遇沙門。見而敬悅,稽首謝曰:「曩無明導,佇足邪途,澆弊雖久,沿革在茲。願能垂顧,降臨居室。」沙門受請,隨至中宮。葬子既已,謂沙門曰:「人世糾紛,生死流轉,我子嬰疾,問其去留,神而妄言,當必痊差。先承指告,果無虛說。斯則其法可奉,惟垂哀湣,導此迷徒。」遂請沙門揆度伽藍,依其規矩,而便建立。自爾之後,佛教方隆。故伽藍中精舍,為羅漢建也。

昏馱多城は国の都である。中に伽藍があり、この国の先の王が建立したもので、崖を疏き谷を奠めて、法式のとおりに堂宇を建てた。この国は以前、仏教を被らず、ただ邪な神を事えていたが、数百年前に初めて法の教化が弘められた。初め、この国の王の愛子が病に嬰り、医術を究めても、加わるばかりで癒えることがなかった。王はそこで躬ら天の祠に往き、礼をもって請い、救いを求めた。そのとき、その祠の主が神に代わって言を下し、「必ず痊え復るであろう。まことに他の慮りはない」と言った。王は聞いて喜び慰められ、駕を回して帰った。路で沙門に逢ったが、その容止が観るに足るものであったので、その形と服に駭いて、どこから来たのかを問うた。この沙門はすでに聖果を証り、仏法を弘めようとして、そのためにこの儀形をしていたのである。そして王に報えて、「私は如来の弟子、いわゆる苾芻です」と言った。王はすでに心を憂えていたので、すぐに先に問うて、「私の子が病に嬰り、生死がまだ分かれていない」と言った。沙門は「王の先の霊は起こすことができますが、愛子は済い難いでしょう」と言った。王は「天神はその死なぬことを謂い、沙門はその終わるべきことを言う。俗と詭なる人の言、どうして信ずることができようか」と言った。遅れて宮中に至ると、愛子はすでに死んでいた。匿して喪を発さず、改めて神の主に問うと、なお「死んではいない、疹の疾は癒えるであろう」と言った。王はそこで怒を発し、神の主を縛って数えて言った、「汝らは群れ居て悪を長じ、妄りに威と福を行っている。私の子はすでに死んだのに、なお癒えるであろうと言う。これほどに謬り惑わすことを、誰が忍ぶことができようか。神の主を戮し、霊しい廟を殄め滅ぼすべきである」。そこで神の主を殺し、神の像を除いて、縛芻河に投げた。駕を回して還る途で、また沙門に遇った。見て敬い悦び、稽首して謝して言った、「曩には明らかな導きがなく、邪な途に足を佇めていました。澆く弊れたことは久しいものですが、沿い革めることはここにあります。願わくは顧みを垂れ、居る室に降臨してください」。沙門は請を受け、随って中宮に至った。子を葬り終えてから、沙門に言った、「人の世は糾れ紛れ、生死は流れ転じます。私の子が病に嬰ったとき、その去留を問うと、神は妄りに言い、必ず痊え差るであろうとしました。先に承った指し告げは、果たして虚しい説がありませんでした。これならばその法は奉ずるに足ります。ただ哀れみを垂れ、この迷える徒を導いてください」。そこで沙門に請うて伽藍を揆り度らせ、その規矩に依って建立した。それより後、仏教はまさに隆んになった。だから伽藍の中の精舎は、羅漢のために建てたものである。

3人に随って回る金銅の蓋

伽藍大精舍中有石佛像,像上懸金銅圓蓋,眾寶莊嚴。人有旋繞,蓋亦隨轉,人止蓋止,莫測靈鑒。聞諸耆舊曰:「或云聖人願力所持,或謂機關秘術所致。觀其堂宇,石壁堅峻。考厥眾議,莫知實錄。

伽藍の大精舎の中に石の仏像があり、像の上に金銅の円い蓋が懸けられ、衆の宝で荘厳されている。人が旋り繞れば蓋もまた随って転り、人が止まれば蓋も止まるので、その霊しい鑒を測ることができない。耆く旧い人たちに聞くと、「聖人の願の力が持つところであるという者もあり、機関の秘しい術が致すところであるという者もある」という。その堂宇を観ると、石の壁は堅く峻しい。その衆の議を考えても、実の録を知ることができない。

逾此國大山北,至屍棄尼國。

この国の大山を踰えて北へ行くと屍棄尼国に至る。