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亀茲龜茲

梁書 諸夷伝(梁書に記された諸夷の記録) 梁書 諸夷傳 · 姚思廉 · 636年(唐・貞観10年) · 段落 1 · 漢字 192字 · 朗読 0.8分

梁書 諸夷伝(梁書に記された諸夷の記録) 全一巻 南朝の梁が見た三十六か国。武寧王が「再び強国となった」と知らせた表文、新羅が初めて自らの名で現れる記録、仏の髪と阿育王塔の話、そして扶桑国・女人国のような海の果ての伝説まで — 南海から西域に至る最も幅広い諸夷伝である。

1亀茲

龜茲者,西域之舊國也。後漢光武時,其王名弘,爲莎車王賢所殺,滅其族。賢使其子則羅爲龜茲王,國人又殺則羅。匈奴立龜茲貴人身毒爲王,由是屬匈奴。然龜茲在漢世常爲大國,所都曰延城。魏文帝初卽位,遣使貢獻。晉太康中,遣子入侍。太元七年,秦主苻堅遣將呂光伐西域。至龜茲,龜茲王帛純載寶出奔,光入其城。城有三重,外城與長安城等,室屋壯麗,飾以琅玕金玉。光立帛純弟震爲王而歸,自此與中國絕不通。普通二年,王尼瑞摩珠那勝遣使奉表貢獻。

亀茲は西域の旧い国である。後漢の光武帝の時、その王は名を弘といい、莎車王の賢に殺され、その族は滅ぼされた。賢はその子の則羅を亀茲王としたが、国の人はまた則羅を殺した。匈奴は亀茲の貴人の身毒を立てて王としたので、これより匈奴に属した。しかし亀茲は漢の世には常に大きな国であって、都する所を延城という。魏の文帝が位についたはじめ、使者を遣わして貢物を献じた。晋の太康年間、子を遣わして入り侍らせた。太元七年、秦の主の苻堅が将の呂光を遣わして西域を伐たせた。亀茲に至ると、亀茲王の帛純は宝を載せて出奔したので、光はその城に入った。城は三重で、外の城は長安の城に等しく、室や屋は壮んに麗しく、琅玕や金玉で飾られていた。光は帛純の弟の震を王に立てて帰ったが、これより中国と絶えて通じなかった。普通二年、王の尼瑞摩珠那勝が使者を遣わして表を奉じ、貢物を献じた。