于闐
1于闐の来歴
于闐國,西域之屬也。後漢建武末,王俞爲莎車王賢所破,徙爲驪歸王,以其弟君得爲于闐王,暴虐,百姓患之。永平中,其種人都末殺君得,大人休莫霸又殺都末,自立爲王。霸死,兄子廣得立,後擊虜莎車王賢以歸,殺之,遂爲強國,西北諸小國皆服從。
于闐国は西域の属である。後漢の建武の末、王の俞が莎車王の賢に破られ、移されて驪帰王とされ、その弟の君得を于闐王としたが、暴虐だったので、百姓はこれに苦しんだ。永平年間、その種の人の都末が君得を殺し、大人の休莫霸がまた都末を殺して、自ら立って王となった。霸が死に、兄の子の広得が立って、後に莎車王の賢を撃ち虜にして帰り、これを殺したので、ついに強い国となり、西北の諸々の小国はみな服し従った。
2于闐の風俗
其地多水潦沙石,氣溫,宜稻、麥、蒲桃。有水出玉,名曰玉河。國人善鑄銅器。其治曰西山城,有屋室市井。果蓏菜蔬與中國等。尤敬佛法。王所居室,加以朱畫。王冠金幘,如今胡公帽;與妻並坐接客。國中婦人皆辮髮,衣裘袴。其人恭,相見則跪,其跪則一膝至地。書則以木爲筆劄,以玉爲印。國人得書,戴於首而後開劄。魏文帝時,王山習獻名馬。天監九年,遣使獻方物。十三年,又獻波羅婆步鄣。十八年,又獻琉璃罌。大同七年,又獻外國刻玉佛。
その地は水や潦、砂や石が多く、気は温かく、稲・麦・蒲桃に宜しい。玉を出す水があって、名を玉河という。国の人は銅の器を鋳ることを善くする。その治める所を西山城といい、屋や室、市や井がある。果や蓏、菜や蔬は中国と等しい。とりわけ仏法を敬う。王の居る室は、さらに朱の画を加えている。王は金の幘をかぶるが、今の胡公帽のようであり、妻と並び坐って客に接する。国中の婦人はみな髪を辮み、裘と袴を着る。その人は恭しく、相見れば跪くが、その跪き方は一方の膝を地に着ける。書くには木を筆や劄とし、玉を印とする。国の人は書を受け取ると、首に戴いてから後に劄を開く。魏の文帝の時、王の山習が名のある馬を献じた。天監九年、使者を遣わして方物を献じた。十三年、また波羅婆の歩鄣を献じ、十八年、また琉璃の瓶を献じた。大同七年、また外国で刻んだ玉の仏を献じた。