いにしえの文 › 梁書 諸夷伝(梁書に記された諸夷の記録) › 全一巻

芮芮国芮芮國

梁書 諸夷伝(梁書に記された諸夷の記録) 梁書 諸夷傳 · 姚思廉 · 636年(唐・貞観10年) · 段落 2 · 漢字 270字 · 朗読 1.1分

梁書 諸夷伝(梁書に記された諸夷の記録) 全一巻 南朝の梁が見た三十六か国。武寧王が「再び強国となった」と知らせた表文、新羅が初めて自らの名で現れる記録、仏の髪と阿育王塔の話、そして扶桑国・女人国のような海の果ての伝説まで — 南海から西域に至る最も幅広い諸夷伝である。

1芮芮国

芮芮國,蓋匈奴別種。魏、晉世,匈奴分爲數百千部,各有名號,芮芮其一部也。自元魏南遷,因擅其故地。無城郭,隨水草畜牧,以穹廬爲居。辮髮,衣錦,小袖袍,小口袴,深雍靴。其地苦寒,七月流澌亘河。宋升明中,遣王洪軌使焉,引之共伐魏。齊建元元年,洪軌始至其國,國王率三十萬騎,出燕然山東南三千餘里,魏人閉關不敢戰。後稍侵弱。永明中,爲丁零所破,更爲小國而南移其居。天監中,始破丁零,復其舊土。始築城郭,名曰木末城。十四年,遣使獻烏貂裘。普通元年,又遣使獻方物。是後數歲一至焉。大同七年,又獻馬一匹、金一斤。

芮芮国はおおむね匈奴の別種である。魏・晋の世、匈奴は数百千の部に分かれて、それぞれ名号があったが、芮芮はその一つの部である。元魏が南へ遷ってから、それによってその故の地を擅にした。城郭がなく、水と草に随って牧畜し、穹廬を住まいとする。髪を辮み、錦を着て、小袖の袍、小口の袴、深雍の靴を履く。その地はひどく寒く、七月でも流れる氷が河にわたる。宋の升明年間、王洪軌を遣わしてここに使いさせ、これを引いてともに魏を伐たせた。斉の建元元年、洪軌がはじめてその国に至ると、国王は三十万の騎を率いて燕然山の東南三千余里に出たので、魏の人は関を閉じてあえて戦わなかった。後にしだいに侵され弱った。永明年間、丁零に破られ、あらためて小さな国となって、南へその居を移した。天監年間、はじめて丁零を破り、その旧い土を復した。はじめて城郭を築き、名を木末城といった。十四年、使者を遣わして烏い貂の裘を献じ、普通元年、また使者を遣わして方物を献じた。この後は数年に一度至った。大同七年、また馬一匹と金一斤を献じた。

2風と雪を呼ぶ術

其國能以術祭天而致風雪,前對皎日,後則泥潦橫流,故其戰敗莫能追及。或於中夏爲之,則曀而不雨,問其故,以㬉云。

その国は術によって天を祭り、風と雪を致すことができ、前は皎い日に向かっていても、後ろは泥や潦が横に流れるので、それゆえその戦いに敗れても、誰も追い及ぶことができない。あるいは中夏でこれを行うと、曀るだけで雨は降らない。その故を問うと、暖かいからだという。